パリ・オペラ座バレエ団『ドン・キホーテ』最終日

『椿姫』だけのつもりが、これも見ておいたほうがと勧められ上野へ(3月16日/東京文化会館)。
席はDランクの4階右バルコニー三列目。それでも11,000円。やはり高い。

音楽:ルートヴィク・ミンクス
編曲:ジョン・ランチベリー
振付・演出:ルドルフ・ヌレエフマリウス・プティパ版による)
美術:アレクサンドル・ベリヤエフ
衣裳:エレナ・リヴキナ
照明:フィリップ・アルバリック

パリ・オペラ座初演:1981 年3 月6 日

◆主な配役◆

キトリ(ドルシネア):マチルド・フルステー
バジリオ:マチアス・エイマン

エスパーダ:ヴァンサン・シャイエ
街の踊り子:サブリナ・マレム

ドン・キホーテ:ギョーム・シャルロー
サンチョ・パンサ:シモン・ヴァラストロ
ガマーシュ、キトリの求婚者:マロリー・ゴディオン
ロレンツォ、キトリの父:パスカル・オーバン


ドリアードの女王:アマンディーヌ・アルビッソン
キューピッド:ミリアム・カミオンカ


演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮:ケヴィン・ローズ

まず感じたのは、コール・ドに至るまで皆やる気満々なこと。キトリ役のマチルド・フルステーはロマンティックな味わい。押し出しは強くないが、独特の魅力をもっている。一幕のキホーテ(ギョーム・シャルロー)とメヌエットを踊る場面でなぜかグッときた。古き良き時代の感触。〝失われた時代〟を無媒介に知ってはいないのに、そう思わせるから不思議。バジルを踊ったマチアス・エイマンの足技は尋常でない。かといって、外連味とは別種の、気品も漂う。ここにも〝喪失した時〟の刻印が感じられる。
ヌレエフ版はビデオで(いいかげんに)見て、あまりの悪趣味な編曲に辟易した記憶しかなかった。実際に見ても、当初は「なぜランチベリーはメロディまで改変するのか」と思ったが、次第に、なるほど、振付がここまで変則なら、それに見合う〝新奇な〟音楽を必要としたのかと、納得できた。従来版の改竄というより、むしろそれを侵犯しないための配慮ともとれる。やはり舞台芸術はビデオでは何も分からない。それにしても、ランチベリーの音楽的装飾は、霊柩車の意匠みたいなキッチュさだ(井上章夫)。一幕の太鼓や三幕一場の居酒屋でのトロンボーンのコミカルな響きはとても効果的。
パンサ(シモン・ヴァラストロ)の造形が面白い。スカートめくり、角笛に詰められた布での洟かみ等々。それを「ばっちい」とでもいうようにステッキで退かせるガマーシュ(マロリー・ゴディオン)にも笑った。
ダンサーたちはみな思いっきり踊る。しかも、そこにスタイルの統一がある。見ていて気持ちのよい所以だろう(とりわけ脚のコントロールがみな素晴らしい)。結果、きわめてインテグリティの高い舞台となっていた。
三幕二場のパ・ド・ドゥ(アダージョ)では、キトリがバランスをとるとき、バジルは「私はまったく手を貸しません。彼女の独力でのバランスです」といわんばかりに、客席に背を向け、両腕を隠したように見えた。古楽のトランペット奏者みたい。指孔なしのナチュラル・トランペットの場合、楽器を右手で持ち、左手は腰に当てたまま吹くのが作法。「バルブも指孔もいっさいありません。すべて口のコントロールだけで自然倍音を鳴らします」というように(これも「現代」以前への郷愁か)。バジルのヴァリエーションは無音での独りバランスで始まり、トゥール・アン・レールはブルノンヴィルばりに左右両回転を敢行。数々の難技も力技も、すべて、独特の気品を失わずにやってのける。素晴らしい。
カーテンコールでは、ドン・キ役のダンサーにエスコートされたファンダンゴ(?)の衣裳を着た中年女性ダンサーを、出演者全員で称え、祝福した。この舞台で最後なのかも知れない。嬉しそう。それにしても、気持ちのよいカーテンコールだ。新国立劇場(というかザ・スタッフ)は見習って欲しい。
このところ、東京シティフィルによるバレエ伴奏を聴く機会が多いが、この日も丁寧でよい演奏。特にトランペットの技量が高い。ぜひ新国立のピットに入って欲しい。それとも両者は条件が異なるのか。