井上ひさし原案/蓬莱竜太 作『木の上の軍隊』 オキナワの内なる声

『木の上の軍隊』を観た(4月6日13:30/Bunkamura シアターコクーン)。
井上ひさしが最後までこだわり続けた企画の舞台化。千田是也の演出にすまけいと市川勇の二人芝居で1990年4月の上演が決まっていた。ところが、台本があがらずに中止。その後、2010年7月に再度上演(配役に藤原竜也)が予定されたが、今度は井上の急逝(4月9日)で実現せず。それが今回、井上の熱意を引き継いだ栗山民也の演出、その原案を基に書き下ろした蓬莱竜太の台本でやっと日の目を見た。

原案:井上ひさし
作:蓬莱竜太
演出:栗山民也
音楽:久米大作
美術:松井るみ
照明:小笠原純
音響:山本浩一
衣装:前田文子
出演:藤原竜也(新兵役) 山西 惇(上官役) 片平なぎさ(語る女)
演奏:徳高真奈美(ヴィオラ
主催:こまつ座/ホリプロ
提携:Bunkamura

舞台中央には滑り台のように傾斜したガジュマルの巨木が設えられている。島の志願兵である「新兵」(藤原竜也)と「この国」(本土)の「上官」(山西惇)との対話。「語る女」(片平なぎさ)が島娘の出で立ちで二人の物語を媒介する。「女」はガジュマルの「木の精」でもある。ヴィオラの生演奏(徳高真奈美)が二人の〝戦争〟を立体化する。
激しい銃撃戦の末、二人は追い詰められガジュマルの大木へ登り身を隠す。二年間に亘る長い樹上生活の始まりだ。やがて、純真無垢な新兵と本土出身の経験豊富な上官との間に様々な齟齬が生じる。二人のちぐはぐな遣り取りは客席を何度も笑わせるが、次第に、両者の〝ずれ〟こそ悲劇の根であることが解ってくる。そのとき、舞台は寓話に、すなわち「新兵」は沖縄に、「上官」は本土に、見えてくる。

上官 この国の人間なら、あいつら[米兵]の食い物が身体の中にあると思うだけで、死んでしまいたい気持ちになるんだよ。それともお前は、この国の人間じゃないのか? この島の人間はやっぱり国民じゃないのか? あ?
[・・・]
新兵 だけど……あいつらと、あいつらの食い物は別だと……俺は思うんですけど……。

そんな新兵を憎み、殺意さえ抱く上官。やがて、上官だけでなく、新兵もすでに戦争が終わったことを知る。だが、「生き恥」を極度に恐れる上官は、木から降りることを拒み、再度、新兵に殺意を抱く。ナイフを取り出す上官。

新兵 ……落としますか。
上官 お前は……それでも信じるのか。この国を。この俺を。
[・・・]
新兵 信じます。[・・・]それしか出来ないからです。[・・・]守られているものに怯え、怯えながら……すがり、すがりながら、憎み……憎みながら信じるんです……もう、ぐちゃぐちゃなんです。

新兵のこの言葉は〝本土〟のわれわれに沁みてくる。それでも汚れのない笑い声を上げる新兵(オキナワ)。
幕切れに、傾斜していた巨木がそのまま後方へスライドし、垂直に立ち上がる。〝木になった〟二人の兵士は、じっと動かずこちらを、沖縄の基地を、見つめている。戦闘機やヘリコプターの爆音が劇場内を圧するように響く。誰もが「オスプレイ」の名を思い浮かべただろう。語る女が新兵の言葉を繰り返す、「守られているものに怯え、怯えながら……すがり、すがりながら、憎み……憎みながら信じる」・・・。
沖縄はいまも基地問題等で「ひどい目に遭」い続けている。そうした人々の内なる声の淵源がここにはある。少なくともその声の一端を聴き取ることはできる。ガジュマルの木はあらゆるものを吸い続ける「絞め殺しの木」といわれる。だが、そう語る片平なぎさは、島の新兵はもとより、彼を憎む上官を、戦陣訓に縛られた本土の上官をも、やさしく包み込んでいるように感じた。
大半は巨木のうえで演じられるため、朗読劇のような趣きもあった。終戦(敗戦)と分かっても上官が木を降りたくない理由(「これが戦ってきた人間の姿か!? 国のために戦ってきた人間の!」「・・・敵国の姿になり、敵国の飯を食らい続け! 二年前より醜く太っている! こんな姿を見せられるわけがないだろう!」)は、カウラ収容所の日本兵たちが脱走した理由と重なる(坂手洋二『カウラの班長会議』)。
藤原竜也は新兵の無垢な純粋さを内側から生きた。上官の山西惇には、堅固な演技力のうえに藤原の〝ぶつかり〟をしっかり受け止める度量が感じられる。片平なぎさの佇まいには、島娘の素朴さと悲劇を見守る優しさがあった。
台本を受けもった蓬莱竜太はよい仕事をしたと思う。じつに柔軟で巧み。ただ、少し中弛みを感じた。また、上官の造形に、時代の刻印が若干薄いと感じる部分もあった。特にギャグや笑いを仕掛ける所はキャラを逸脱するきらいがなきにしもあらず。作者の世代とあの時代との径庭ゆえか。
久し振りにシアターコクーンで芝居を観た。キャパは747席。これでも広すぎると感じるし、なにより椅子の幅が狭い。しかも出演者はたった3名にもかからわず、チケット代はS席10,000円/A席8,500円/コクーンシート5,000円。AやCSは見にくいし、Sは高すぎるので当初は見ないつもりだった。ところがネットでS券を6,000円で入手。さもなければ見なかっただろう。もう少し安価で見られるとよいのだが。