新国立劇場オペラ《タンホイザー》 卓越した合唱/ヴォルフラム役のクプファーが出色/気が漲る東京交響楽団

今年初めて更新する。生来の無精に加え、このところ面倒な雑務に追われて、つい四週間もほったらかしにしてしまった。
思えば暮れに観た最後の舞台は12月23日の『音のいない世界で』(新国立小劇場)。今年最初の公演は1月11日の新日本フィルのトリフォニー定演で、指揮は9月からアルミンクに代わり芸術監督ならぬ"Conducter in Residence"に就任するインゴ・メッツマッハー。ともにメモを書き殴ったままだ。
ルパージュの旧作『ポリグラフ 嘘発見器』(東京芸術劇場 シアター・イースト/12月12日)などはしっかり書いておきたかったのだが、あっという間に時間が過ぎてしまった。まず新国立劇場のオペラから始めたい。

タンホイザー》の初日を観た(1月23日)。このプロダクションは若杉体制の劈頭を飾った舞台で、もう五年余り前になる(2007年10月)。そのときの印象はあまりよくない。というか、印象に残っているのは、タンホイザーの代役で来日したボンネマがはぐれ者のようで歌はぐちゃぐちゃだが妙な面白さがあったこと。それから合唱とくに男声が素晴らしかったことぐらい。

【指揮】コンスタンティン・トリンクス
【演出】ハンス=ペーター・レーマン
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【照明】立田雄士
キャスト
【領主ヘルマン】クリスティン・ジグムンドソン
タンホイザー】スティー・アナセン
【ヴォルフラム】ヨッヘン・クプファー
【ヴァルター】望月哲也
【ビーテロルフ】小森輝彦
【ハインリヒ】鈴木 准
【ラインマル】斉木健詞
【エリーザベト】ミーガン・ミラー
【ヴェーヌス】エレナ・ツィトコーワ
【合 唱】新国立劇場合唱団
管弦楽】東京交響楽団

今回の再演でも合唱が群を抜いて好かった。特に男声による「巡礼の合唱」はきわめて洗練度が高く、痺れた。第2幕の入場の行進曲では、これ見よがしにならず、透明で引き締まった混声を響かせた。これは指揮者トリンクスの意向があったのかも知れないが、それを高いレベルで実現する意思と技倆を新国立劇場合唱団はもっている[後記:合唱指揮の三澤洋史の力が大きかった]。何度でも書くが、彼/彼女らの待遇もそれに見合ったものになって欲しい。
ヴォルフラムを歌った長身のヨッヘン・クプファーは出色だった。第3幕の「夕星の歌」が象徴的だが、決して〝美的〟にならず内側から真率に語るように歌う。演技と歌唱が地続きなのだ。十年前にBCJがアメリカ公演からの〝凱旋公演〟として『マタイ受難曲』を披露したとき、クプファーを初めて聴いた(東京オペラシティ コンサートホール)。第2グループのバスのアリアを歌ったが、好い歌手だと思った記憶がある。
タイトルロールのスティー・アナセンは、六年前に新日本フィルの《ローエングリン》(コンサート・オペラ形式)で聴いて以来だが、悪くない。第2幕の途中から何度か咳をして声が嗄れたが、第3幕では持ち直し、ローマ語りでは本来の素直で艶のある歌声を聴かせた。ただ、背が低く、体形も・・・。エリーザベト役のミーガン・ミラーはかつてのハリウッド女優を彷彿とさせる美しい形姿。歌も悪くないが、より密度の濃い歌唱はこれからか。ヴェーヌスのエレナ・ツィトコーワは、官能の女神役としては声質も形姿も性格もまったく合っていないが、妙な面白さはあった。領主ヘルマンのクリスティン・ジグムンドソンは、芝居もうまいし歌唱もよかった。舞台をワキからしっかり支えるタイプ。牧童の國光ともこはよい仕事をしたと思う。ヴァルターの望月哲也は、声量が美点だが、いつも演歌のような揺れの大きいヴィブラートが他の歌手たちと音楽的に齟齬を来たす。ビーテロルフの小森輝彦は、このステージでは埋もれてしまった。
コンスタンティン・トリンクスの指揮は、先に触れたように、引き締まった機能的な音楽作りを目指していたように感じる。悪くないが、さほど好いともいえない。だが、東京交響楽団は管もよく鳴り、弦もよく響いていた。音に艶というか、身体の健康を示す(元)気が漲っている。明白(致命的)なミスもない。これらはすべて、東フィルと比較しての印象だ。東フィルがなんらかの改善策を講じない限り、サブスクライバーとしては、東響の回数を増やしてほしいと切に願わずにはいられない。残念だが仕方ない。オペラ公演にとって、オケの質は、それくらい重要だということだ。
演出については、初演時でもそうだったが、序曲で奈落から鍾乳洞を思わせる半透明の柱が次々に迫り上がってくると、期待感が高まった。だが、その期待はほどなく失望に変わる。あとは特にいうことはない。結局この演出は中途半端で新しいものはなにもない。第3幕のヴィーナスの登場のさせ方等もまったくいただけない。
第1幕のバレエについて。初演時は牧阿佐美バレエ団から17名、新国立バレエ団から4名の出演だった。が、今回は24名の出演(交代を含む)で全員が新国立劇場バレエ団。知人の言葉を借りれば「これはビントレーのダンサー達への愛だと思う」。バレエ団はギャラ制だから出番を増やせば生活の足しになるし、なによりダンサーの成長につながる。ダンサーは、歌手も役者もそうだろうが、本番の舞台でしか成長できないのだ。初日は堀口純と福田紘也のペアがトップを踊った。みな真面目に踊っていたが、如何せん、ヴェーヌスベルクの属性である官能性がまったく出ない。これはダンサー達のせいではない。メメット・バルカンの振付があまりに平凡で、官能に訴える動きがどこにもないからだ。第1幕終了後、楽屋へ向かうビントレーの姿があった。『ダイナミックダンス!』開幕の前日にもかかわらず、ダンサー達を見守っていたのだ。彼が振り付けていたら、と思わずにはいられなかった(たとえば『アラジン』の砂漠の場面における砂嵐の群舞などピッタリだ)。
今回の公演は、演出の効果が薄く歌手の身体性にかなりデコボコがあったが、後味は悪くない。その理由は、おそらく東京交響楽団が(別のオケのように貧弱ではない)生きた音楽を作り出したことが大きいと思う。