新国立劇場バレエ『ダイナミック ダンス! Bintley's Choice』ビントレーの絶妙なチョイス/サープが仕掛けた疑似ペンテコステ

タンホイザー』初日の翌日から二夜連続で新国立劇場バレエ『ダイナミック ダンス! Bintley's Choice』を観た(1月24日・25日/新国立中劇場)。二つのキャストを見比べるとダンサー達の個性がよく分かりとても興味深い。ただ、残念ながら平日のためか両日とも空席が目立った。生でバロックとジャズを聴きながら〝ダイナミックなダンス〟を楽しむことが出来るのに、もったいない。

『コンチェルト・バロッコ』 "Concerto Barocco"(1941)
振付:ジョージ・バランシン
Choreography: George Balanchine
音楽:ヨハン・セバスティアン・バッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調
Music: Johann Sebastian Bach, "The Concerto for 2 Violins, Strings and Continuo in D Minor," BWV 1043
ステージング:ダーラ・フーヴァー
Staging: Darla Hoover
指揮:大井剛史
Conductor: Ooi Takeshi
演奏:漆原啓子藤江扶紀(vl.)、新国立劇場弦楽アンサンブル
Performance: Urushihara Keiko / Fujie Fuki (vl.) / String Ensemble, NNTT

1月24日(木)
男性プリンシパル:山本 隆之
女性プリンシパル:小野 絢子/長田 佳世
1月25日(金)
男性プリンシパル:厚地 康雄
女性プリンシパル:米沢 唯/寺田 亜沙子

バランシンの作品を見ると、いつも、音符が人のかたちとなって舞台で飛び跳ねているように感じる。
24日は小野絢子と長田佳世がプリンシパル。長田の踊りは強度が高い。バランシンのスタイル優先で抑え気味だったが、サポートが無くともなんのその、クリアで勁さを感じさせる動き。小野は小気味がよくかたちの調った踊り。山本隆之がサポートすると小野は俄然踊りが大きくなり、より自由に見えるから不思議だ。いまのうちに、山本さん、相手を活かすサポート術を他の男性ダンサーたちに伝授してください。
25日のプリンシパルの一人、寺田亜沙子はとてもきれいで愛らしい踊り。特に腕の使い方が美しい。米沢唯は〝美しさ〟とは別の基準で踊る。ソロでもサポートを受けても基本的に変わらない。厚地康雄の形姿のよさ、大きさはやはり魅力的。サポートも丁寧。作品としては、二日目の方がまとまって見えた。
ヴァイオリンの二人をはじめ、新国立劇場弦楽アンサンブルは大井剛史指揮の下、しっかりとした音楽を作り出した。

『テイク・ファイヴ』 "Take Five"(2007)
振付:デヴィッド・ビントレー
Choreography: David Bintley
音楽:デイヴ・ブルーベックポール・デスモンド
Music: Dave Brubeck / Paul Desmond
デザイン:ジャン=マルク・ピュイサン
Designs: Jean-Marc Puissant
照明:ピーター・マンフォード
Lighting: Peter Mumford
演奏:荒武 裕一朗(ピアノ)/菅野 浩(アルト・サックス)/石川 隆一(ベース)/力武 誠(ドラム)
Performance: Aratake Yuichiro (Piano) / Sugano Hiroshi (Alto Sax) / Ishikawa Ryuichi (Bass) / Rikitake Makoto (Drums)
1月24日(木)
テイク・ファイヴ:湯川 麻美子
スリー・トゥ・ゲット・レディー:寺田 亜沙子/井倉 真未/加藤 朋子
フライング・ソロ:八幡 顕光
トゥー・ステップ:本島 美和/厚地 康雄
フォー・スクェア:八幡 顕光/菅野 英男→奥村 康祐/古川 和則/小口 邦明
1月25日(金)
テイク・ファイヴ:米沢 唯
スリー・トゥ・ゲット・レディー 長田 佳世/丸尾 孝子/細田 千晶
フライング・ソロ:福田 圭吾
トゥー・ステップ:小野 絢子/福岡 雄大
フォー・スクェア:マイレン・トレウバエフ/福田 圭吾/奥村 康祐/清水 裕三郎

24日冒頭の「テイク・ファイヴ」は、初日の硬さからか、いまひとつリズムに乗り切れていなかった。「スリー・トゥ・ゲット・レディー」の三人は愛嬌のある踊りを楽しそうに踊った。「フライング・ソロ」(Bossa Nova USA)の八幡顕光はキレのある攻撃的な踊りで魅せた。流石だ。「トゥー・ステップ」の本島美和は "Autumn in Washington Square" の気だるい音楽をよく感じ取り、じつに味のある踊り。厚地康雄もそれによく応えて、ダウンタウンの秋の気配が漂う濃密なドラマが立ち上がった。
25日の "Take Five" は見事。米沢唯の身体は変拍子のリズムにすっぽり入り込み、空気のように柔軟かつ自在にスウィングする。見ていてとても気持ちが好い。福田圭吾の「フライング・ソロ」は、八幡とは対照的に、ふっくら感を保ったまま粋にかつ軽快に踊る。そう目指している。面白い。小野の踊りは、はじめは〝倍音〟が出ていなかったが、後半の福岡雄大との絡みでは開き直ったように(?)遊び心が滲み出た。「フォー・スクェア」(Blue Rondo à la Turk)のラストで米沢が下手から登場してほどなく転んでしまった。思えば、前日に『イン・ジ・アッパー・ルーム』の50分にわたる長丁場を踊りきり、この日は『コンチェルト・バロッコ』でプリンシパルのトップを踊り、20分の休憩後にこの『テイク・ファイヴ』である。かなり脚を消耗していたのだろう。
ジャズ・カルテットの演奏は、やはり二日目の方が初日の硬さがほぐれ、より自由にかつ自在に演奏していたように感じた(もちろん踊りの伴奏という厳しい制約下での話だが)。

『イン・ジ・アッパー・ルーム』"In the Upper Room"(1986)
振付:トワイラ・サープ
Choreography: Twyla Tharp
音楽:フィリップ・グラス
Music: Philip Glass
衣裳:ノーマ・カマリ
Costumes: Norma Kamali
照明:ジェニファー・ティプトン
Lighting: Jennifer Tipton
ステージング:エレイン・クドウ
Staging: Elaine Kudo
※録音による音源使用
1月24日(木)
小野 絢子/本島 美和/厚木 三杏/米沢 唯/丸尾 孝子/大和雅美/盆子原 美奈
福岡 雄大/福田 圭吾/輪島 拓也/小口 邦明/清水 裕三郎/原 健太
1月25日(金)
長田 佳世/寺田 亜沙子/井倉 真未/竹田 仁美/奥田 花純/加藤 朋子/五月女 遥
マイレン・トレウバエフ/八幡 顕光/厚地 康雄/貝川 鐵夫/江本 拓/原 健太

この作品の効果は独特だ。見せ物というより、見る者をも巻き込む一つの体験というべきか。もちろんこれはどの舞台芸術にもいえることだが、とりわけ本作は、時間を共有する者の身体に作用する特性がより強く感じられる。
いきなり大量のスモークが炊かれ、縦縞模様のパジャマのような、囚人服のような、浴衣のような生地感の服を着た男女のダンサー達が、次々に入れ替わり登場する(衣装はノーマ・カマリ)。白いスニーカーを履いた者もいれば、赤いトウシューズもいる。フィリップ・グラスの音楽はリズムやメロディーを延々と反復しながら微細に変化していく。先月聴いたスティーヴ・ライヒのコンサートを想い出した(コリン・カリー・グループ:ライヒ《ドラミング》ライヴ Steve Reich's DRUMMING/果てしない反復の果てに微かな変化=希望が/日本の若者気質との親和性? - 劇場文化のフィールドワーク)。漸進するミニマルな音楽とジェニファー・ティプトンの照明に呼応するように、衣装も少しずつ変わっていく。女性のある者は〝パジャマ服〟から赤いレオタードに、男性のある者は上半身裸に。ダンサー達は無我夢中で踊っては去り、また踊る。見る方も次第に意識が朦朧としてくる(ダンサーはとっくにそうなるのだろうが)。やがて、音楽に女性の声が加わるあたりから(Dance IX)、見る側の身体が徐々にほぐれてくる。いわば意識と無意識の境目が曖昧になる感じ。50分にわたる舞台が終わり、気がつくとニンマリと頬が弛み、全てを肯定したくなっている自分を見出す。そんな感じなのだ。これはなんだろう。ライヒの音楽を聴いたときも似たような感触があったが、やはりそれとも違う。
24日の初日では、本島美和がとても印象的。自分の好さを見違えるほど素直に出せている。厚木三杏はこの手のものを踊らせると嵌るし、カッコイイ。福田圭吾は自分の世界だといわんばかりにどっぷり浸かって踊っていた。盆子原美奈を初めて認識したが、好かった。なぜか米沢唯だけは、作品世界から疎外されているように見えた。
プログラムには、作品名の 'In the Upper Room' について「新約聖書では「最後の晩餐」がとられた部屋を指すなど多義的かつ暗示的な意味を持ち、黒人霊歌の歌詞にも登場する」とある(立木子)。なるほどそうか。ちょっと調べてみると、新約には二種類の 'Upper Room' が出てくるらしい。ひとつは『マルコ』(14:15)と『ルカ』(22:12)の福音書に出てくる「(席が調って用意のできた)二階の広間」(新共同訳)。もうひとつは『使徒言行録』(1:13)に記された「(使徒たちが泊まっていた家の)上の部屋」(同前)である。前者はイエス使徒たちと過越の食事をとったいわゆる「最後の晩餐」の部屋だが、後者はイエスが天に召されたのち使徒や女たちが大勢つどって祈りを捧げていたらイエスのお告げどおり聖霊が降臨した「ペンテコステ」の部屋である。両者は異なるギリシア語が使われているらしいが、同一の部屋と見做す解釈が一般のようだ。
サープは、おそらく後者の「聖霊降誕」が起きた部屋の意味を込めたのではないか。今回このダンスを二度見たが、二回とも身体が弛み、なんともいえない昂揚した、肯定的な気持ちになった。これは、ある意味、擬似的な宗教体験といえなくもない。ダンス批評としてはいろいろあるだろうが、舞台を見ているとダンサー達との共有感が高まり、そんなことはどうでもよくなる。そういう作品だった。
それにしてもビントレーのチョイスは絶妙だ。そう思わせるトリプルビルだった。