「バレエ・コフレ」初日と2日目マチネを見た(3月14日 金曜 19:00,15日 土曜 14:00/新国立劇場オペラハウス)。簡単にメモする。
『火の鳥』振付:ミハイル・フォーキン(1880-1942)/音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー/美術:ディック・バード/衣裳:ナターリヤ・ゴンチャローワ/照明:沢田祐二/新国立劇場初演:2010年10月/指揮:マーティン・イエイツ/管弦楽:東京交響楽団(コンマス:グレブ・ニキティン)
〈初日〉火の鳥:小野絢子/イワン王子:奥村康祐/王女ツァレヴナ:益田裕子/魔王カスチェイ:小柴富久修
〈2日目〉火の鳥:池田理沙子/イワン王子:渡邊拓朗/王女ツァレヴナ:内田美聡/魔王カスチェイ:中家正博
初日はオケの演奏が甘くオーボエは詰まりぎみだが、後半は調子が出てきた。舞台上も総じて仕上がりがあまりよくない。
火の鳥の小野はきれいな踊りだが、やや洗練に傾きがち。もっと非人間=化け物性がほしい気も。やんちゃが身上の奥村王子は悪くないが、城の魔物らから逃げる場はやや予定調和的。カスチェイ小柴は王冠が脱げ、急遽、手に持って演技。王女益田は悪くない。本作は美術と衣裳が素晴らしい。
2日目(開始後1F後方の断続的ピー音は補聴器ノイズか)。この日はオケも調い舞台もよくなった。池田火の鳥は荒々しさが出たのはよい。渡邊王子は鳥を捕獲したオスの〝いやらしさ〟をかつての山本隆之のようにもっと出したいが、他は好い。内田王女もOK。王女たちの林檎投げは改善されノーミス。カスチェイ中家はさすがの演技と動きで舞台が底上げされた。
『精確さによる目眩くスリル』<新制作>振付:ウィリアム・フォーサイス(1949- )/音楽:フランツ・シューベルト《交響曲第9番 ハ長調〝ザ・グレート〟》よりフィナーレ Allegro Vivace/美術・照明:ウィリアム・フォーサイス/衣裳:ステファン・ギャロウェイ
〈初日〉出演:米沢 唯、直塚美穂、根岸祐衣、速水渉悟、渡邊峻郁
〈2日目〉花形悠月、山本涼杏、東 真帆、森本亮介、上中佑樹
初日はダンサーたちの迫力、エナジー、スピード感に圧倒され、誰が踊っているのかよく見えない。ああ、あれが米沢か、あれが直塚か…。直塚の伸びやかさは古典でやや〝過剰〟に見えたがここでは活きた。渡邊も古典よりフィットしてる。米沢が全開(快)の笑顔で帰ってきたのは嬉しい。根岸がここまでやるとは。速水はマッチョな体がやや硬く見えるが、「精確さ」を〝正確に〟ズラしているのか。中間で木管がベートーヴェン(歓喜の歌)オマージュを奏する場は米沢のソロ。…ダンサーの奮闘を見ながら思わずガンバレと念じていたら終曲。あっという間の10分でオケもよかった。からだが温まりほぐれてた。
2日目は三階左バルコニーから。初日とまったく別モノに見えた。森本亮介と山本涼杏に目が行った。上中は親指トムほどの勢いではないが悪くない。今後に期待する。楽日の米沢と山本の共演も見たかったがBCJ定演と重なり断念。
ちなみにシューベルトの〝ザ・グレート〟(作曲1825-26/初演1838)フィナーレは、数十年後ビゼーが作曲する〝シンフォニーインC〟(1855)同様、ハ長調。ゆえか曲調が少し似た感じ(ビゼーの第1・4楽章)。バランシンがビゼーに振り付けたのは1947年。フォーサイスの『スリル』は1996年。
『エチュード』<新制作>振付:ハラルド・ランダー(1905-71)/音楽:カール・チェルニー/クヌドーゲ・リーサゲル(クヌーズオーエ・リスエア 1897-1974)編曲/ステージング:ジョニー・エリアセン/アーティスティック・アドヴァイザー:リズ・ランダー/照明:ハラルド・ランダー
初めて見た。バレエの基本レッスンから始まる。同じデンマーク生まれのブルノンヴィル『コンセルヴァトワール』を想起したが、あれはノスタルジックな幸福感が印象的。こちらは少女がレッスンを段階的に重ね、やがてロマンティックバレエを踊り、ロシア風のダイナミックなバレエまで展開していく。中間部から後半の三連音符や三拍子(6/8を含む)が多用されるシークエンスは面白い。カミテ奥からシモテ手前に引かれた〝光の道〟を女性ダンサーが三連のリズムで次々に回転しながら進む。さらに左右逆の道を男女のダンサーがジュテやバレルターンなどダイナミックな技を見せながら進むが、すべて三拍子。整数で割り切れないこの拍子はメヌエット、マズルカ、ワルツ、サラバンドなど、舞踊に独特の魅力を与え、見る者にマジカルな効果をもたらすらしい。
プリンシパル・バレリーナ(PB)は両日とも適役に見えず。初日のプリンシパル・メイル(PM)井澤はきれいな踊りを見せたが、要所で少し物足りなさも。〝気〟の入った福岡の踊りは印象的。特に後半のマズルカは、ドメスティックな空気を攪乱する踊りで福岡にぴったりだ。
初日PBは何も出ないし、2日目のPBは不慣れなサポートもあるがあのバタバタはいただけない。山田は意思をかたちに出来るダンサーでキレが身上だが、サポートはこれからか。代役の水井は柔軟性(弾性)を感じさせる踊りで技術もありそう。
本来PBは小野と米沢、PMは渡邊峻と速水だろう。むろん今後を考慮した若手起用も分かるが(残念ながら未だ育っ(育て)ていない)。
ステージングで来日のジョニー・エリアセンは『エチュード』に重要なのは「正確さ」それがすべてだと言い、この言葉を「精密さ/精度」を含め7回も使っていた(インタビュー/プログラム)。観客は、『精確さによる目眩くスリル』で「ダンサーがリスクを負いながらもギリギリのバランスで踊る瞬間」の「目眩くスリル」(渡沼玲史/プログラム)を目の当たりにした直後、「正確さ」を連呼されたダンサーの舞台を見たことになる。「転倒すらもダンスの可能性を拡張する要素となりうる」(渡沼)など、エリアセンに導かれたダンサーには思いもよらない言葉だろう。再演時はもっと快活な踊りを見たいものだ。
編曲のクヌドーゲ・リーサゲルからチェルニーのエチュードを提案されたハラルド・ランダーは懐疑的だったらしい。音楽が単調だし、幼少期のピアノレッスンを思い出すと。が、熟考したら突然アイデアが浮かび、全体の構想が生まれたという(エリック・アッシェングリーン)。ただしデンマーク・ロイヤルで初演した後、パリ・オペラ座に入れる際、部分的に削ったり静かに終わるエンディングを変えたりと改訂している。1977年に東京バレエ団がレパートリー化したのは、このパリ・オペ版だろうが、今回エリアセンが振り移ししたのは、それと同じなのか。東バの版が未見のため分からない。
いずれにせよ、本作はバレエ団とオーケストラのクオリティを露わにする。その意味では怖い作品だ。
