劇団民藝〈築地小劇場開場100周年〉『オットーと呼ばれる日本人』2024【追記】

『オットーと呼ばれる日本人』の初日を観た(5月17日金曜18:30〜22:10/紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA)。追記あり↓】

宇野重吉(1914-88)のアイデアが切っ掛けで木下順二(1914-2006)が戯曲を書き、宇野演出(オットー 滝沢修/ジョンスン 清水将夫)で初演したのが1962年。民藝が上演するのは、1966年の再演(宇野演出)2000年の三演(米倉斉加年演出/オットー 三浦威/ジョンスン 鈴木智)以来らしい。

本作を初めて見たのは新国立中劇場の鵜山仁演出(オットー 吉田栄作/ジョンスン グレッグ・デール)で、2008年だった。獄中の尾崎秀実(ほつみ)が家族に宛てた書簡集や風間道太郎『尾崎秀実伝』、鶴見俊輔「翼賛運動の設計者」の尾崎秀実の項(『転向』)、ゾルゲの獄中手記等を事前に読んで臨んだが、キャスティングを含めあまり感心しなかった記憶がある。〝本家〟の公演はどうか。以下、簡単にメモする。

作:木下順二/演出:丹野郁弓

[配役]ジョンスンと呼ばれるドイツ人:千葉茂則/宋夫人と呼ばれるアメリカ人:桜井明美/フリッツという名のドイツ人:山本哲也/王:釜谷洸士/鄭:横山陽介/林:吉田正朗/青年:小守航平/日野:平野 尚/オットーと呼ばれる日本人:神 敏将/その妻:中地美佐子/その娘:松井優梨愛(劇団ひまわり)/瀬川:みやざこ夏穂/その妻:石巻美香/その娘:佐々木美月(劇団ひまわり)/ジョーと呼ばれる日本人:塩田泰久/南田のおばちゃん:戸谷 友/ゾフィー:石川 桃/検事:吉岡扶敏/弁護士:境 賢一

装置:勝野英雄/照明:前田照夫/衣裳:宮本宣子/効果:岩田直行/舞台監督:中島裕一郎/助成:文化庁文化芸術振興費補助金舞台芸術等総合支援事業(公演創造活動))独立行政法人日本芸術文化振興会

第1幕(1930年代の初頭。上海)共同租界の中華料理店で男=オットーと呼ばれる日本人(神敏将)が林(吉田正朗)に語る蜂の子を食べる話は、〝諜報活動〟がはらむ自身の危うさを暗示して興味深い。

租界のアパートでオットーとその妻(中地美佐子)の対話では妻役の中地が空間を一気に変えた。酔ったオットーが妻にウィスキーを飲ませる艶っぽいやりとりでは、妻にも明かさぬ〝活動〟の高揚感が伝わってくる。

オットーと宗(スン)夫人と呼ばれるアメリカ人(桜井明美)の対話では、桜井の人物造形が秀逸。芯(信念)の強さ、それでいてオットーへの女としての思いも滲む。アメリカ人にも見えた。

女優らの好演は場面を立体化。林役の吉田は、演技に奥行きがある。

第2幕(1930年代の半ば。東京)オットーの家族と友人夫婦とのやりとり。転向した瀬川(みやざこ夏穂)と妻(石巻美香)の苦境。オットー家の表面上の明るさ。〝成功した〟オットーとそれを妬み当てこする友人(瀬川)の対話が、後者の屈折した狭量さと前者の鷹揚さ(懐の深さ)を照らし出す。両家が揃ってスナップ写真を撮るが、予期せぬ林(吉田)の訪問で空気が一変。

オットーが翻訳した宋夫人の小説(アグネス・スメドレーの『女一人大地を行く』がモデル)を林に見せる。ビールを持ってきた妻(中地)は障子を閉めるとき、一瞬、悲しげな表情に。リアル。ジョーと呼ばれる日本人(塩田泰久)と南田のおばちゃん(戸谷友)の対話はカミテで、ジョンスン(千葉茂則)とフリッツ(山本哲也)+ゾフィー(石川桃)の対話はシモテで、ほぼ同時に進行する(平田オリザの〝同時多発会話〟ほど同時ではないが)。オットーとジョンスンの対話から「宋夫人が日本に来てる」と…

ジョンスン役はセリフの不安定さが初日を割引いても少し気になった。宋夫人が上海で語ったジョンスン像と(大柄な点を除くとモデルのゾルゲとも)あまりフィットしない気も(一流の学者+行動力+女性にモテる…)。

第3幕(1940年代の初頭。東京)警察が迫っている兆候に皆さほど頓着しない。ジョンスンはもうここでの仕事は終わったと日本から離れることを告げる。オットーとの別れ、生きていてくれよ、と言い抱き合うシーンはグッと来た。そこに至るオットー、ジョンスン、ジョー(米国共産党が日本に派遣した画家 宮城與徳がモデル)の印象的なやりとりがある——

オットー 軍部があの貧弱な政治理論を行き詰まらせて、政権を放り出すまで待てばいいんだ。そしてその時に彼[当時の日本の総理(近衛文麿がモデル)]をかつぎ出す。軍部が呼号している東亜新秩序、大東亜共栄圏の理論を、そのままぼくのいう東亜協同体理論へ、社会主義の理念へ切りかえて行くんだ。

ジョンスン どうやって? え? どうやって切りかえて行くんだ? オットー。歴史は一歩々々、必然的にしか発展しないものだ。民衆が変わらないで社会が変わるものか。不可能なことと可能なこととの区別ぐらい、もっと理性的に持ちたまえ。

オットー ジョンスン、今の日本は、不可能を可能に変えなければならない現実に迫られている。

ジョンスン きみは神がかりの軍人と同じような表現を使いだしたな。日本がどうしてアメリカに惨敗してはいけないんだ?

ジョー そうです。ぼくもそれは同意見だ。

オットー (ジョーへどなる)きみは、きみのような国籍不明の外国人が、何を発言する権利があるんだ!

ジョンスン ますますきみは右翼みたいな発言をやり出したぞオットー。ぼくははっきりいうよ。日本を崩壊状態に突き入らせろ。日本を悲惨な敗戦に追い込め。そこからしか日本の革命の契機は予想できない。

オットー ぼくは、ジョンスン、日本の国民に何としてでも流血の惨を味合わせたくない。

ジョンスン きみが一人で勝手にそう思っていたらいいだろう!

オットー まだそれがくいとめられる限りはだ。くいとめる努力もしないで眺めている奴をぼくは軽蔑する!

ジョンスン 誰が眺めてろといった? 追いこむように努力しろといってるんだ!

オットー ジョンスンーー

ジョンスン きみはそれでもコミュニストか!

オットー ジョンスン! ぼくは、ぼくは、自分を何と呼んだらいいのか分からない。…

ジョンスン(ゾルゲ)のように俯瞰で見うる立ち位置と、この地に妻や子供が暮らすオットー(尾崎)との対話から、この国の現況が何度も浮かんでくる。エピローグの最後のセリフは、オットーの上記のセリフへの自答なのだろう。

エピローグ 中央に囚人姿のオットー(神)。検事(吉岡扶敏)がシモテ後方から、同窓のよしみで恩着せがましい言葉を発する。カミテ後方からは、老弁護士(境賢一)の、思想や行為は唾棄すべきで国賊に違いないが、国を憂える心から弁護を引き受けたと述べる。無反応な被告に、検事は怒鳴り声を上げると、沈黙を続けていたオットーは言う。

ぼくのこれまでの行動について、一つだけぼくにいえることはーーぼくは、オットーという外国の名前を持った、しかし正真正銘の日本人だったということだ。そして、そのようなものとして行動してきたぼくが、決してまちがっていなかったということ、このことなんだ。

幕開きに標題役を見た時、正直、この役が担えるのかと、懐疑的だった。が、最後のセリフを語る場面を見ながら、この男が、あのようなことをおこなってきたのだと、それなりに信じることが出来た。

あの時代にあのような行動をとった者たちをイメージして書かれた戯曲の上演は、さらに難しくなっていくと思う。そもそも役を担う俳優(というか日本人)が簡単には見当たらないだろう。それを一劇団で上演したのは、やはり大したものだ。演出は丹野郁弓。いろいろ思うところはあるが、作り手(たち)が戯曲に込めた意味を考えることはできた。

【追記】加藤哲郎氏は、上演プログラムのインタビューで、新資料の発見からゾルゲ事件に関する新事実が種々判明したと語っている(聞き手 河野孝)。これを踏まえ、演出の丹野郁弓氏は(1962年初演の)「当時は入手しにくかったであろう資料を読み込んで数年を費やして書かれたこの芝居を私は完全にフィクションととらえて上演することにした」と断っていた(プログラム)。

公演後、加藤哲郎ゾルゲ事件——覆された神話』(平凡社新書 2014)と、渡部富哉『偽りの烙印——伊藤律・スパイ説の崩壊』(五月書房 1993)を読み、どちらも文献資料の渉猟と妥協のない現地調査の徹底ぶりに舌を巻いた。

戯曲『オットー』では「林」の名で登場する川合貞吉は戦後も生き残った当事者のひとりだが、加藤の『ゾルゲ事件』によれば、川合はGHQの反共諜報部活動の参謀第2部(G2)から月々金を渡されていたスパイであり、上海での秘密会議に自分も同席したとでっち上げ、当時日本共産党の幹部だった伊藤律ゾルゲ事件の密告者とする「伊藤律スパイ・ユダ説」をG2が作ったシナリオ通りに証言していたという。背景には朝鮮戦争や米国の反共マッカーシズム赤狩り)があり、共産党を叩く狙いがあったと。さらに、オットーこと尾崎秀実をゾルゲに紹介したのはアグネス・スメドレー(「宋夫人と呼ばれるアメリカ女性」)ではなく、米国共産党員でコミンテルン要員の鬼頭銀一であることも明らかに。これまで謎だったキーパースンの鬼頭について、加藤は、本籍地への現地調査等から知りうる限りの情報を記している。

加藤が高く評価する渡部富哉の『偽りの烙印』は、新国立の上演時(2008)に入手したが〝積ん読〟のまま手放していた本だ。やはり読む時機というのはあるらしい。本書は「伊藤律スパイ説」を、当時の「警視庁職員録」を含むあらゆる角度から検証し、粘り強く突き崩していく。その過程はかなり読み応えがあった(本書に垣間見えるかつての日本共産党内の権力闘争は実に凄まじくかつ怖ろしい)。渡部の執念が、尾崎秀樹(秀実の異母弟)の『生きているユダ』(1959)等数著や松本清張の「革命を売る男・伊藤律」(『日本の黒い霧』1960)等々の告発が、川合証言(=GHQ ウィロビー報告)を鵜呑みにした冤罪であることを立証した。『オットー』関連で印象的なのは、「南田のおばちゃん」こと北林トモについてだ。

渡部は、北林が米国から帰国後に住んだ渋谷区の洋裁女学校や、夫の帰国後 夫婦で移住した和歌山県粉河(こわか)への数度にわたる現地調査をおこない、北林を張り込んだ刑事やトモの夫 北林芳三郎の縁者(養子)を突きとめインタビューしている。養子夫妻の家には宮城与徳の絶筆とみられる絵があった。画家の宮城は北林の家に滞在し「粉河寺山門」の絵を描いていたらしい(1990年の沖縄タイムス社版「宮城与徳遺作画集」には収録されていない)。渡部がたまたま入った図書館で、獄中 北林と親しく接した山代巴の『囚われの女たち』に出くわす条りも興奮するが、山代や久津見房子(宮城与徳=「ジョーと呼ばれる日本人」の情報収集を支援して逮捕)による服役中の北林に関する証言には心が動く。久津見によれば、服役中、北林は聖書以外の差し入れ本は受け付けず、「自分はクリスチャンだから共産主義のためにやったのではない、神のため、平和のためにやったのだ、ソビエトを守るためにやったのではない、だから検挙されるとは思わなかったと、山代さんにいったそうですよ」。「わたし(久津見)の房は陽があたったけれど、北林さんの房は陽があたらなかった。たったそれだけの差でも戦争末期の刑務所では、ついに北林さんのいのちを奪うことになった」と。

『オットーと呼ばれる日本人』のように戦時の諜報活動を扱う作品は、題材の性質上、時の経過がその「歴史的限界」を露呈させてしまう。これはやむをえない。たとえば、川合貞吉がモデルの林が登場する、オットー(尾崎)とのいくつかの場面など、真相を知ったうえで思い返すと、少し違和感を覚える。ただ、加藤は「そのこと(歴史的事実が正確でない問題)で、尾崎を主人公とした木下の演劇の価値が損なわれるわけではない」と言っている。同感だ。と同時に、いま、木下順二が生きていたら、本作をどのように改訂するだろうか…。あれこれ想像してみると興味は尽きない。