芸劇 dance ワークショップ 発表公演『√オーランドー 身体的冒険と三百年の遊び』2023

昨年12月のツイートを同月「フィールドワーク予定」に追記した感想メモ、公演名を立てて再掲する。

芸劇 dance ワークショップ2023 発表公演『√オーランドー 身体的冒険と三百年の遊び』を見た(12月24日(日)13:00/芸劇シアターイースト)。

原案:ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』/講師・構成・振付・出演:中村 蓉/出演:芸劇danceワークショップ2023『√オーランドー』参加者;秋山舜稀 内田颯太 川島信義 佐藤正宗 中野亜美 中野利香 中森千賀 幡野智子 廣庭賢里 巻島みのり 森口ありあ 大和奈月 山本結 吉村元希 律子/スペシャリスト(各専門分野の視点から作品創作にご協力をいただく方々):浅野ひかり(現代美術):三村一貴(中国語中国文学)ほか

勧められて中村蓉の公演を初めて見た。たしかに面白い。WSの参加者を活かす舞台。ピナ・バウシュ特に瀬山亜津咲がさいたまゴールド・シアター(もうない)を振付・演出したwork in progress の公演を想起。当然とはいえ舞台が閉じてない(ピナは閉じてた)。

舞台正面奥に扇や松で飾られた目出度いオブジェ。原作の謝辞になぞらえた中村の〝挨拶〟後、一人のメンバーが登場、その動き(行動)を別のメンバーが追いながら言語化し、それをさらに中村が追いながら言語化していく。このアクションを続々登場するメンバーが繰り返す。ヴァージニア・ウルフの原作『オーランドー』(1928)は主人公の行動を追いながら〝伝記作者〟(当然)虚実ないまぜに書き記したフィクション(小説)だ。冒頭のシークエンスはこの原作構造に「発表公演」の取り組みを、さらなるメタ視線として重ねたように見えた。

舞台は小説『オーランドー』の主要な出来事を語るテクストが字幕で表示され、パフォーマンスが展開される。凍ったテムズ河の氷上でオーランドーがサーシャとスケートする場面、逃げ出したトルコでの暴動後オーランドーが昏睡し女性に変身する場面、遊牧民族(ジプシー)と行動を共にする場面等々。昏睡するオーランドーを女性が丁寧にケアする場面はなぜか見入った(音楽はブラームスピアノ曲「4手のためのワルツ集(16のワルツ)」から15番)。あのメンバーはナースなのか。横で「純潔」「貞節」「謙譲」をチアガールが賛美し、そこへオーランドーがベッドから〝幽体離脱〟して「真実」のカードを持ち…。

男女が互いに対で動きつつ対話するシークエンスは面白い。卵焼きになにをかけるか、インドア派かアウトドア派か等々。価値観に違いがあっても一緒に居られるか。無理、無理じゃない…動きとやりとりが次第に激化し、いつの間にか互いの意見が反転する。からだへの負荷が〝なぞられた〟発話を〝生きられた〟発話へ変えていく。対話とは互いに変わることだった。

女性経済学者のメンバーがオーランドーの行動に関する質問に次々答えていくシーンも印象的。メンバー数人にサポートされリフトされる女性学者は、インタビュアーにその都度マイクを口にあてがわれ、答える。結構アクロバティック。質問(中村?)はスピーカーから。答え:オーランドーは経済学的に言うと浪費が過ぎる…。質問:ではどうすべきだったか? 答え:投資すべきだった!(場内笑い)。このシークエンスも発話を〝なぞり〟から遠ざけ自発性に近づける仕掛けが見事。青年団平田オリザ)の演技術を想起した。

暗転後「19世紀の夜明け…イギリス全土の上空に大きな雲が居座る」場面。メンバー数人うつ伏せに横たわり中央に中村も。上手のAmazonならぬAsazonボックス(アイデア等を定期便で届けた現代美術の浅野ひかりに因むらしい)から雲を模したスモークが湧き出てる。メンバーは徐々に捌け、中村だけ残る。男女が箱を持ち去りつつ「女の子は嫁に出すからつまらん」と。小津安二郎『晩春』(1949)で父役の笠智衆が吐くセリフ。続いて紀子(原節子)が嫁に行く前、親子で京都旅行した帰り際に交わす対話が音声だけ流れる。このまま父と一緒に居たいと言う紀子、それは違うと父。ここで踊る中村のソロに正直な願望(娘)と社会的制度(父の言葉)の葛藤に苦悶する様が見えた。最後は父に従う娘。はいと答える原の声に合わせ頷き発する中村。はいと頷く後の、うなだれる中村のからだ。そのシルエットは、笠が娘の婚礼後 自宅で一人うなだれるラストのシルエットと重なる。『晩春』にも出てくるワーグナーの結婚行進曲は、ここではトロンボーン重奏+ハープ演奏。この場面によく合ってた。(23/12/30 のツイートに加筆修正)