木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』岡田利規 脚本・演出

岡田利規の脚本・演出による木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』六日目を見た(2月8日 水曜 18:00/あうるすぽっと)。木ノ下歌舞伎はこれが初めて。

先月下旬に手術したから行くのは無理かと思ったが、なんとか間に合った。当然ながら体調は万全でなく、開始後数十分は猛烈な睡魔等に抗いながらの観劇。そんな状況だが感取できたことを簡単にメモしたい。

作:鶴屋南北(1755-1829)初演1817/監修・補綴:木ノ下裕一/脚本・演出:岡田利規サウンドデザイン:荒木優光/美術:稲田美智子/照明:吉本有輝子/音響:甲田徹/衣裳:藤谷香子/補綴助手:稲垣貴俊/演出助手:中村未希/演出部:湯山千景/舞台監督:大鹿展明/宣伝美術:外山央/宣伝写真:吉次史成/宣伝衣裳:藤谷香子/宣伝ヘアメイク:国府田圭(成河)、須山智未(石橋静河)/宣伝衣裳協力:PHBLIC×KAZUI、大野知英/観劇サポート:師岡斐子/制作:本郷麻衣、堀朝美、大蔵麻月/企画・製作:木ノ下歌舞伎/一般社団法人樹来舎/連携:穂の国とよはし芸術劇場PLAT、ロームシアター京都、りゅーとぴあ 新潟市⺠芸術⽂化会館 、 久留⽶シティプラザ (久留⽶市)

[配役]成河:清玄+釣鐘権助+伝六/石橋静河:桜姫+白菊丸+九郎八/武谷公雄:長浦+山田郡治兵衛+軸谷宗毒/足立智充:入間悪五郎+井野谷半兵衛+綱右衛門/谷山知宏:残月+軍助+甚太夫+侍/森田真和:粟津七郎+丑島眼蔵+有明仙太郎/板橋優里:松井源吾+小雛+金兵衛/安部 萌:若松丸+お十/石倉来輝:井野谷半十郎+非人たち+土手助+勘六+三太

廃墟のプールサイドで現代の若者がカブキを演じてみる、そんな趣向か。チェルフィッチュお馴染みのロー テンションだらだら喋りに奇妙な手脚の動きは歌舞伎でも変わらず。若者らは出番がないとき、地べたにしゃがんで演じ手を見守り、巧みにかけ声を掛ける。成河には「いなげ屋」「ポメラニ屋(アン)」(このとき子犬の鳴き声も)、石橋には「紅屋」等々。歌舞伎の例の「サア」「サア」「サアサアサアサア」の掛け合いもある。衣裳の着替えもサイドでおこなう。さらに、各場面の簡単な筋書きをその都度字幕で示す(プラカード)。演技を短いシークエンスで区切る。ひとりの女性(安倍萌?)が移動しながら絶えず挑戦的な表情で客席を見る(第四の壁を壊す)。いずれもフィクション性を高めず、観客に感情同化させない(役者も役に意識的には感情同化しない)というブレヒト的異化効果を狙ったものだろう。結果、役者が時おり呟く批評的コメントと相俟って、歌舞伎が有する不条理やジェンダー問題や非人間性など〝ネガティブな側面〟(木ノ下裕一)が安易なカタルシスで糊塗されることなく、露わになる。異化とは歴史化すること、つまり「諸々の出来事や人物を歴史なものとして、移り変わるものとして表現すること」だった(ブレヒト)。赤子が泣く声の模倣を含むダブ演奏(荒木優光)も、こうした歌舞伎の現代(歴史)化に貢献した。

これまで省略されてきたという三幕目の「郡治兵衛内の場」で吉田家の旧家臣 稲野谷半兵衛(足立智充)が許婚の子雛(板橋優里)と自分の弟 半十郎(石倉来輝)とのあらぬ不義を言い立て、二人の首を打ち落とす。桜姫と松若の身替わりに役立てるためと。『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」を想起させるなか、二つの首を持ち去る役(石倉?)が〝歌舞伎の異常さ〟を呟くと笑いが起きた。終幕の桜姫と清玄の〝風船〟幽霊とのやり取りはとてもユーモラス。このあと桜姫は吉田家の仇と知った権助と我が赤子を仇の子として刺し殺し、取り戻した家宝を別の役者(安倍)が投げ捨て、桜姫は客席を睨みつける。見得を切ったのか。投げ捨てた安倍の掛け声「ハレルーヤ(屋)」は爽快に響いた。

公家の姫が宿場女郎にまで転落するという実に悲惨でグロテスクな話だが、観終わった後なにより桜姫のたくましさが印象に残った。「権助によって転落させられた桜姫は、その転落によって得た行動力で、敵[かたき]とわかった権助を殺す。こうして桜姫は、前生(=さきしょう/清玄)と現在(権助)の二つの柵[しがらみ]から自分を解き放つ。そして再生する」。廣末保のこの言葉が腑に落ちた。

成河は清玄と釣鐘権助の早変わりを巧みな動きで見事に演じ分けた。ただ、色悪な側面が出ればさらによかった。身体を自在に動かす石橋静河は前傾姿勢でただ歩く、それだけで注視させる魅力がある。石橋は『未練の幽霊と怪物』(2021年6月)では能の現代版で、『近松心中物語』(2021年9月)では文楽の演劇版で好演した。今回は歌舞伎の現代版だが、期待を裏切ることはなかった。他の出演者もみな達者。武谷公雄の口跡は本格的。谷山知宏は個性的…等々。