新国立劇場 開場20周年記念公演『消えていくなら朝』2018

無料配信で本作の舞台映像を三年半振りに見た(2021.12.26)。〝面白い〟記憶はあったが、こんなにぐさぐさ刺さるコトバの応酬だったか。当時のメモを探したら簡単な走り書きが見つかった。以下に転記する。

蓬莱竜太『消えていくなら朝』の2日目を観た(2018年7月13日 金曜 19:00/新国立小劇場)。

演出:宮田慶子/美術:池田ともゆき/照明:中川隆一/衣裳:髙木阿友子

蓬莱自身の家族を痛いぐらいに鋭く描き出す。久し振りに帰省した作家の定男。劇作家の仕事を認めない父と兄。ボーイッシュな妹(高野志穂)。母(梅沢昌代)の宗教のこと等々。家族同士でぶつけ合うコトバの火花。その火の粉が客席まで飛んできてひりひり痛い。家族に「嫌い」と思いっきり叫ぶ定男。笑いも出るが、心からの笑いではない。『焼き肉ドラゴン』では〝大嫌い〟が〝大好き〟に転換する。が、ここではそれはない。まだ過去になっていないから。

演出は、コトバのぶつけ合いは距離をとれば可笑しいが、そのオカシサをどの程度に調整するかにかかっている? 定男の鈴木浩介は当初すこし弱々しすぎると思ったが、ポイントではかなり強めのフォルテを出した。父親役 高橋長英のとぼけた(ぼけた?)感じが絶妙。

定男が兄(山中嵩)に叩きつけるコトバ「自分のコトバを持っていない! …自分で選んでいない! が、おれは違う!」 連れてきた恋人(吉野実沙)に矛盾を突かれる定男。兄みたいに電車で毎日会社へ通うのとは異質な作家(演劇)の仕事。その意味、意義を言い返せない定男。言い返すコトバをつくれるはずだが、あえてそうしない作家(作者)。倫理的。

配信であらためて見ると、言及した役者に限らずみなうまい。梅沢昌代は、宗教に嵌まった自己肯定の強い母親を深刻かつユーモラスに演じる。吉野実沙は作家の恋人で〝売れない〟役者だが、兄の放つ〝虚業〟批判の流れ弾を浴びつつ、家族の修羅場に立ち会う重要な役。客席との媒介と作家をソフトに相対化する〝受け〟の芝居が効いていた。高野志穂は、息子二人を母の宗教に取られた父の〝理想の息子〟を演じざるを得なかった妹役。その苦境をぶちまけるが、家族の反応は鈍い(家族の〝無意識〟の話だから無理もないが)。兄役の山中嵩は声を振り絞って弟(演劇界)を攻撃するが、その科白は、当然、山中本人のみならず、他の俳優やスタッフ全員を刺したはず。そうした世間の〝無理解〟のなかで彼/彼女ら演劇人は舞台を創っている。これが 8年に渡り演劇部門の芸術監督を務めた宮田慶子の締めくくり公演だった。いま思えば、新国立の演劇はあの頃の方が面白かったし時には刺激もあった。というか、その前の前(栗山民也監督)の方がさらに刺激的だった。