iaku 新作『フタマツヅキ』2021【追記】

横山拓也(iaku)作・演出の新作『フタマツヅキ』2日目を観た(10月29日 金曜 19:00/シアタートラム)。

家族がテーマ。もしくは、夢を持つことの世代間ギャップ。噺家くずれのダメ親父と彼をけなげに支える母親。そんな父をひとり息子は嫌っている。この時間軸に、二人の出会いから一緒に暮らし始めた過去の時間が加わり、現在の時間と交互に、ときに交錯し、進行する。「二重の時間軸」とリズミカルな「場面転換」は横山演劇の特色だし、魅力でもある。以前はこうした仕掛け自体に、受け手は(恐らく創り手も)演劇的な喜びを見出していた。それが、仕掛けは次第に手段として後景に退き、ドラマの中身に重点がシフトしてきた印象だ。以下、簡単にメモする。

鹿野克[すぐる](開店休業中の落語家・二荒亭山茶花):モロ師岡

鹿野花楽(克と昌子の息子):杉田雷麟[らいる]

鹿野雅子(克の妻):清水直子

竹橋由貴(花楽の幼なじみ):鈴木こころ

沢渡裕美(ギャラリーサワタリのオーナー):ザンヨウコ

二荒亭茶ノ木(二荒亭山茶花の弟弟子):平塚直隆(オイスターズ)

スグル:長橋遼也(リリパットアーミーⅡ) 

マサコ:橋爪未萠里 

舞台の中央には、ちゃぶ台の狭い和室と小さなテーブルセットのダイニングがある。襖で隔てたこの二間続きのセットと、これを取り巻くなにもない空間が演技場となる。横山の舞台は、従来、洗練された段差のあるセットへ役者がテンポよく出入りし移動することで、小気味のよい場面転換を実現していた。今回は、中央のフタマツヅキのセットを役者が手動で回転させて場面転換する。少し野暮ったい感じだが、その分、生な感情がじかに湧いてくる気もした。

モロ師岡は少し枠からはみ出しがちだが、元芸人で噺家の独特な味はよく出ていた。初舞台という杉田雷麟は花楽役の真っ直ぐな性格をよく生きた。清水直子は〝無職〟の夫を甲斐甲斐しくいたわる妻役の演技が見事。母の甲斐甲斐しさに息子の花楽は苛立つが、花楽の誕生前の時間軸(芸人の克を応援するのが雅子の生きがいに…)から、観客は理解できる仕掛け。由貴役の鈴木こころには何度も笑わされた。花楽の幼なじみで、いつかエステティシャンになり裕福になって好きな人(花楽らしい)と暮らすのが夢。現実は回転寿司のバイトリーダーで、専門学校に行くお金もないが、けなげに生きる20歳の元気な女性。花楽に放つ軽口は救いとしての笑いを生む。沢渡裕美のザンヨウコは現実のギャラリーオーナーにそっくり。過去の克との微妙な関係を絶妙に匂わせた。ラスト近くで克(モロ)はテーブルの上に座り、襖の向こうで泣き崩れる妻に向けて「初天神」を一心に語る。噺のなかの息子〝金坊〟のセリフは、子供時分に覚えた花楽に言わせる。初めは嫌がるが次第に本気でやり始める花楽。本作のクライマックスだ。このとき、側でかつての弟弟子(平塚直隆)が口をあんぐり開けて聞いている、その表情が実に秀逸だった。過去のスグル(克)を演じた長橋遼也はめっちゃうまい。マサコ(雅子)役の橋爪未萠里は横山演劇に必須の女優。二人の優れた演技が本筋を見事に歴史化していた。

文学座公演の『ジャンガリアン』も横山氏の新作だ。とても楽しみ。

【追記】横山演劇の「二重の時間軸」が興味深いのは、第一に、二つの時間が積層し攪乱される点。観客は当初それが異なる時間軸と分からないまま見続ける。やがて、あれはそういうことだったのか、とあとで納得することになる。これは現実世界のメタファーだ。ひとは簡単に分かり合えないし、他人を理解するにはかなり時間がかかるだろう。二つ目は、現在の時間に生きる人間の身体が、過去に生きた人間の身体と、同じ平面に現前し、交差し、場合によっては、両者が(暗黙の)対話を交わすのを、観客が目の当たりにできる点。そこから、演劇ならではの希有な喜びと思考が生まれると思う。