「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜—アイヌであればこそ」展 2021【図版を追加】

「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜——アイヌであればこそ」展を見た(9月10日 金曜 15:00/東京ステーションギャラリー)。勧められて見たが、見てよかった。

アイヌ民族の両親から生まれた藤戸竹喜(1934-2018)の木彫り作80余点。熊、群熊、長老(エカシ、フチ)、観音像、狼、狐、海の生物等々。そのいずれにも命が宿っているかのようだ。熊のからだを覆う毛は〝毛彫り〟で作り出すらしいが、いかにも柔らかそうで、硬い木材にはとても見えない。

「川の恵み」(2000)は川の急流に遡上した鮭を熊たちが捕まえ、小石の河原で食べるさまを彫った作。親熊と2頭の小熊が河原で鮭に噛みつき、裂けた内蔵のイクラに喰らいついている。全体の構成の大胆さと今にも動き出しそうなディテールには舌を巻く。これが一本の木から彫り出されたとは!

19点の連作「狼と少年の物語」(2016-2017)も印象深い。川べりでアイヌの幼子が両親からはぐれ流れにさらわれるが、狼の夫婦が岩に引っかかったその子を助け、山の巣穴に連れ帰り、狼の子と区別なく育てる話だ。19点の制作年月を見るとばらばらで、物語の順序とは一致しない。何点か狼を彫る中で、連作を思いついたのかもしれない。1900年ごろ絶滅したといわれる狼を藤戸が彫りたいと思ったのは、少年期にエゾオオカミの複製を見たのがきっかけという。狼を彫るとき、藤戸はタモの埋もれ木を好んで使った。「土に埋もれ灰色に変色した埋れ木で狼を彫って、なんとか狼を蘇らせたかったのかもしれない」とは本人の言葉だ。たしかに「倒木し、土中などでさら100年、200年と眠り続けた埋もれ木は、エゾオオカミが哭き、森を駆け抜けていた時代に生きていたものだ」(五十嵐聡美/図録)。

この連作から柄谷行人柳田國男論を思い出した(『世界史の実験』2019)。柄谷によれば、柳田の山人研究は、それを滅ぼした者(柳田を含む)による山人の供養である。つまり「滅ぼされた先住民を、それを滅ぼした者の子孫であると同時に、その先住民の血を引いているかもしれない柳田が「一巻の書」を成すことによって、弔うこと」であると。さらに柳田は「山人」論が批判されると、今度は絶滅されたとみられた狼を論じはじめる。柳田が採取した狼の記録には、婦女や童子が「悪い」狼と闘って殺した話のほか、村人が一匹の狼に袂をくわえられ怯えながらも引かれるまま草叢に入ると、目の前で狼の群れが地響きを上げて通りすぎたという「送り狼」の話もある(狼史雑話」1932)。柳田は、柄谷によれば、狼は狩猟採集民(山人)の狩猟仲間であり、狼が敵視されるのは定住農耕民の段階以後とみていた。まるで柳田は山人と狼を同一視し、その絶滅を「弔い」供養しているかのようだ。

藤戸竹喜が狼を彫り、また狼がアイヌの子を助けた話を彫るのも、その絶滅を「弔い」供養するためといえる。だが、藤戸自身、狩猟採集民(アイヌ)の血を丸ごと引く身であれば、弔いの対象は、狼らと共存しえたアイヌ民族(文化)とその世界(アイヌモシリ)だったのかもしれない。