DULL-COLORED POP 福島三部作・第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

福島三部作 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』二日目マチネを観た(8月15日 14:00/東京芸術劇場 シアターイースト)。

作・演出:谷 賢一/美術:土岐研一/照明:松本大介/音響:佐藤こうじ/衣裳:友好まり子/舞台監督:竹井祐樹/演出助手:美波利奈/宣伝美術:ウザワリカ/制作助手:柿木初美・德永のぞみ・竹内桃子(大阪公演)/制作:小野塚央

 第一部(昨年)と第二部の感想はここ。第三部は、演劇について、あるいは危機と表現(表象)の問題について、いろいろと考えさせられた。以下、正直な感想をだらだらと書いてみる。

第三部は、舞台のあちこちに倒れた家具や調度等が散乱している。シモテ奥にはベッドがあり、パジャマ姿の老人が横たわる。カミテ上方に夥しい電球の吊された塊が見えるのは、第二部と同じ。

穂積 真(53歳・穂積家三男・TV-U福島 報道局長):井上裕朗*

塩崎将暉(45歳・TV-U福島 報道局ナンバー2):平吹敦史

不破修二(30歳・TV-U福島 報道局勤務):ホリユウキ*

小田真理(25歳・TV-U福島 報道局勤務):柴田美波(文学座

荒島 武(35歳・双葉町出身・元荒物屋・足が悪い):東谷英人*

飯島佳織(25歳・富岡町出身・妊娠三ヶ月):佐藤千夏*

飯島貴彦(30歳・富岡町出身・元教師):森 準人

宮永壮一(45歳・飯舘村出身・元牛の肥育農業・現在酒浸り):大原研二*

宮永美月(17歳・飯舘村出身・福島県放射能汚染をネットで発信):春名風花

高坂美穂(20歳・浪江町出身・地元でアルバイト):有田あん(劇団鹿殺し

老人(69歳・穂積 忠?):山本 亘

美弥(69歳・その妻):都築香弥子

幻の人(19歳と44歳と69歳を行き来・老人の見る幻):渡邊りょう

 * DULL-COLORED POP

開演時間。客席の両側ドアから黒いコート姿の数人が談笑しながら登場。突然、轟音が響き、照明が落ちる。音はどんどん増大し臨界点を超えていくかのよう。地震津波を知らせるアナウンサーの声。老人がなにか叫んだか。恐怖におののく人々。東日本大震災原発事故の衝撃的な再現だ。

重低音の大音量は正直苦手。鼓動が速くなる。ダムタイプの『memorandum』(2000年/新国立小劇場)やビントリーの『E=mc²』(2013年/新国立劇場オペラハウス)では思わず耳を塞いだ。後者の「マンハッタン計画」では原子爆弾の炸裂音を模していたか。

やがて、黒い服を着た人々が客席に向かって次々に訴える。「私は死にたくなかった!」「私たちは死にたくなかった!」「私は魚に食べられたくなかった!」「私は水で腐りたくなかった!」「私には家族がいた!」「私には夢があった!」「私たちは帰りたかった!」「私たちは見つけて欲しかった!」

この場面で、ジェシカ・ラングが新国立劇場バレエ団に振り付けた『暗やみから解き放たれて』(2013/2016)を想起した。同作は(私見では)大津波で波に浚われ死にゆく人々が、〝暗やみから解き放たれて〟光の世界へと旅立つさまを描いている。「救い」が感じられるダンス作品だ。

舞台では、地元のテレビ局員らが議論をたたかわすミーティング場面や、局員らが福島の人々を取材し報道する場面と、ベッドの老人(元町長の忠)が幻を見たり、妻や見舞いに来た真(弟)らとの遣り取りなどが、コラージュ的に描かれる。冒頭の大地震原発事故の場面は、老人のフラッシュバックかも知れない。

震災・原発事故の被害を受けた/受けつつある人々(荒島、飯島夫妻、宮永父娘、高坂)は、互いにいがみ合ったり、苦しい胸の内を口にしたりする。これらの言動は、設定上は、局員のインタビュー(取材)やテレビカメラを介した間接的なものである。だが、俳優たちの演技は、当然ながら、観客席に向けられる。その怒りや叫びは、直接、われわれに目がけて発射されるのだ。しかも、叫び続ける彼/彼女らの発話と動きに、様式性はない(つかこうへいの舞台を想起するような)。むしろ、生で未加工な印象さえ受ける。この点を含め、第一部・第二部とは演劇的な感触がまったく違った。

テレビの局員たちは取材や報道のあり方で何度も対立する。認知症気味の元町長(山本亘)は、弟の真(局長)らが見舞いや取材に来ても、原発事故については何も語らない。そのまま向こうの世界へ旅立っていく(幻の人が介添えし去る)。元町長の沈黙は戦場経験者の戦後を想起させた。「福島に自信と誇りを取り戻す」報道が信条の真(井上裕朗)は、結局、定年前にテレビ局を辞め、浪江町の職員に転職する。信条を貫くためだ。

たしかに被災者たちの生(なま)の叫びは、人の心を動かす。最初は話すのを拒んでいた荒島(東谷武)も、幕切れ近くでみずから口を開く。妻と娘を津波で失った経緯を語る彼の言葉は、とりわけ観客席の涙を誘った。

だが、それでも演劇としては物足りない。こうした話を伝えるなら、それこそテレビのドキュメンタリーの方が向いている。演劇はフィクション(虚構)だ。本作もむろんフィクションだが、 第一部・第二部で見られた演劇的趣向(パペットや歌と踊りによる異化効果等々)が影を潜めている。なぜなのか。その理由はプログラムに見出せる。

2016年に作者は自転車で福島県中通りから浜通りまで現地取材した。「絶対に自分から震災/原発の話はしない」と決めて。ところが、みな自然に愚痴や怒りをこぼしてきたという。つまり、被災者役の俳優たちが発したのは、作者が現地で聞き取った「語られたがる言葉たち」であった。作者にすれば、そんな貴重な生の言葉(事実)を、演劇(虚構)の仕掛けのために、加工したり、異化することは憚られたのかも知れない。

ロビーに平積みされた『Alios paper vol. 67』(いわき芸術文化交流館アリオス/2019.6.5)に、作者と平田オリザの対談「ここに立つ覚悟」が載っていた。平田は「隣に当事者がいても(その演劇を)一緒に観られるか」を基準に書いているという。平田の『ソウル市民』(三部作)には、支配する側の日本人がされる側の朝鮮人(当時)に差別的な言葉を発する場面がけっこうある。それを韓国で上演するのは、たしかに「非常に怖いし、勇気のいること」だ。が、「表現者は他者を傷つけるリスクを超えて[、]でも表現しなくてはならない」「そこを超えていかないと表現は成り立たない」。さらに平田はこうもいう、「劇作家は、地元出身であろうがなかろうが、言葉にするという仕事をするにあたっては他者です。なので、できるだけ遠くから、月からぐらいの距離から、できるだけ解像度の高い顕微鏡でものを見る必要がある」と。

「月からぐらいの距離から」という言葉は、チェルフィッチュの『現在地』(2012)を思い出させる。「放射性物質の影響を気にして九州に移住した」岡田利規が、同調圧の問題を実体験から戯曲化したものだ。舞台では壁に空や地球が変化していく映像を映すことで、自らの体験を相対化し、普遍化しようとした。同じ3.11の主題でも、今回の三部作とは真逆の selfish(chelfitsch)な視点から創作したものだ。『地面と床』(2013)『部屋に流れる時間の旅』(2016)と合わせて岡田の3.11三部作といってもよい。

先の対談によれば、福島三部作の作者が原発問題を作品化したきっかけは「使命感」だという。震災の4年前チェルノブイリに取材した作品(セシウムベリー・ジャム)を創作・上演したが、当事者意識が欠けていたと。さらに「父親が原発に出入りしていた技術者だったということで、半ば自分が犯罪を犯したかのような気持ちにすらなっ」たとも。先に平田が「他者」と「距離」の問題を持ち出したのは、こうした作者の当事者意識や加害者意識への言及を受けたものだ。

原発事故の前史を扱う第一部・第二部は、「月からぐらいの距離」はともかく、「他者」として一定の距離感をもって創作しえていたと思われる。重いテーマにもかかわらず、ふんだんに笑いが起きた事実等がそれを証ししている。が、地震原発事故を扱う第三部ではどうか。むしろ、当事者(被災者)に寄り添いすぎではないか(「胡散臭い」平田や selfish な岡田に比べ、この作者は優しすぎるのか)。「語られたがる言葉たち」を神聖視して演劇的なディヴァイスを控えた結果、泣かせる態の芝居に近づいていないか。テレビ局の取材を介在させる趣向も、「言葉たち」に手を付けず発話させる方便ではないか。それとも、倫理的観点から、演劇性を弱めてでも直接「言葉たち」を伝えることを優先したのか。あるいは、三作を連続して見たら(都合でそれは叶わないが)、また異なった印象になる可能性もあるのだろうか・・・。