新日本フィル定演 #606 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉ヘレヴェッヘ初登場

新日本フィル定演 #606〈トリフォニー・シリーズ〉を聴いた(5月31日 14:00/すみだトリフォニーホール)。

メンデルスゾーン(1809-47)

序曲「フィンガルの洞窟」op. 26

 〝いわゆる〟でない、初めて聴くような感触。すべてが〝ほどよく〟響き、各楽器の素材のよさがじわーと伝わってきた。

シューマン(1810-56)

ピアノ協奏曲 イ短調 op. 54

 仲道郁代は激しい。取り憑かれたように一気呵成に弾くヴィルトゥオーソ風。一方、オケはロマン派というより古典的。木管が奏したテーマをピアノが受け継ぐとき、仲道は決してそれをなぞらない。自分の〝気〟を注入するようにたっぷりと弾き込んでいく。一楽章のラストは少し乱れもあったが、まったく頓着せず。続く二楽章は、その熱情が冷めないまま過ぎていく。三楽章は再び……。ヘレヴェッヘは時おり仲道の方を見るが、仲道はひたすら我が道を行く。指揮者とピアニストの指向はまったく異なるようにみえたが、作品としてはひとつに収まった。そんな印象。大変面白い演奏だった。アンコールは予想どおり《子供の情景》から「トロイメライ」。仲道は淡々と弾いた。ヘレヴェッヘはオケの後ろに座って聴いていた。仲道は(たぶん)それに気づかず、再度のカーテンコールで探しに行き、二人で連れ立って、互いに肩を組み話しながら退場。終始、頬が緩んだ。ここで20分休憩。

シューマン

交響曲第2番 ハ長調 op. 61

 一楽章はピリオド奏法のせいか「ミサ・ソレムニス」を想起する部分も(第1ヴァイオリン特にコンマスの崔文洙はほとんどビブラートをかけなかったが、第2ヴァイオリンやチェロは結構かけていた)。二楽章のスケルツォは楽しい踊り。三楽章のアダージョオーボエ(古部)、クラリネット(重松)、フルート(荒川)等によるアリアの競演。四楽章のアレグロは喜びに満ちていた。プログラムにシューマンの言葉の引用がある。「ここで露わになっているのは精神の抵抗である。私は自分の病状に打ち勝とうとしているのだ」。が、作品に彼の病状を読み取ろうとすると肩透かしを食らう。団員らは楽しそうにかつ全身全霊で演奏し、客席にもその喜びが伝わってきた。ここにあるのは病気とは真逆のもの。まさに創り手が「病状に打ち勝」った証しではないか。ヘレヴェッヘは主に左手で指揮し、袖へ捌けるとき右肩を押さえる仕草もみられた。痛めていたのか。

今回、客席の反応はよかった。仲道郁代ヘレヴェッヘのファンが来ていたせいもあるが。マチネの〈ルビー〉では聴衆の反応があまりに低血圧で、来日した指揮者らは二度と来ないのではないかと心配になるほど。ヘレヴェッヘはかなり面白がっていたから、たぶん大丈夫だろう。また新日本フィルとの協演が実現することを期待している。