日本・ハンガリー国交樹立150周年記念『くちづけ〜現代音楽と能』

『くちづけ〜現代音楽と能』(3月9日 16:00/東京文化会館 小ホール)を聞い/観た。簡単にメモする。

能:青木涼子[ce]

フルート:斎藤和志[abe]

バスクラリネット:山根孝司[abce]

クラリネットバスクラリネット:コハーン・イシュトヴァーン[bce]

ヴァイオリン:横島礼理[ae]

チェロ:多井智紀[abe]

打楽器:神田佳子[abcde] 

演出:(Harakiri/くちづけ)平田オリザ

東京文化会館 舞台芸術創造事業

 中堀海都(1989- )の「二つの異なる絵」[a] (委嘱作品/世界初演)は、森や海など自然のざわめきを感じさせる曲。編成はフルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、打楽器各種。奏法が間欠的でいかにも現代音楽。

バログ・マーティー(1990- )の「名所江戸百景」[b](委嘱作品/世界初演)は、12のゴングを含む低音(バスフルート、バスクラリネット2、チェロ)のみの曲。現代音楽でも普通に音を出して構わない。典型から自由。低音のオスティナートが心地よい。なにしろ鼾が聞こえたぐらいだ。

休憩後の後半冒頭はエトヴェシュ・ペーテルの「Harakiri」[c](1973)。本作はコンポージアム2014「ペーテル・エトヴェシュの室内楽」で初めて聞いた(東京オペラシティ リサイタルホール)。その時の走り書き——《ゆったりとした時間の創出。青木は最初普通の語り方から入るが、次第に濃密な謡の節に変わる。聞いていて気持ちが好い。打楽器奏者(竹島悟史)は様々な拍子木を使い分けるが、このアクセントが効いている。二つのバスクラ(山根孝司 他)は深々とした呼吸から世界を創り出す・・・》(クラリネットの山根氏をはじめ、五年前もフルートとチェロは同じ奏者)。今回はどうか。

バスクラは左右離れた椅子に対面して座り、打楽器(拍子木、木板)はカミテ後方やや中央寄りに位置する。シモテから紋付袴の青木涼子が摺り足で登場し、中央で正面を向き語り始める。始めは客電が点いたまま。平田演劇ではお馴染みの〝ゼロ場〟か。やがて客席が暗くなる。二人のバスクラが持続音でやりとりするなか、時おり打楽器が金槌で木板を打ちつける。青木は詩のテキストを日本語で朗唱する。詩はハンガリーの詩人イシュトヴァーン・バーリントが三島由紀夫の割腹自殺と、アンデルセン童話『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』を重ねて創作したもの(シンゴ・ヨシダ訳)。青木は普通の語り口、謡、(謡から)裏声、と三通りにうたい分ける(五年前は裏声の記憶がない)。青木は朗唱の後半からゆっくりと後ずさりし、退場する。その後、バスクラは互いに高音でコブシをきかせるような音型を奏するが、尺八ならぬサキソフォンに聞こえた。やがて拍子木が打たれて終曲となる。五年前の公演後半、たしか青木が舞を舞ったように思うが、今回それはない。その分、少し面白みが減った印象。だが、一方で音楽の強度は増したのかも知れない。

細川俊夫の「打楽器のための線Ⅳ」[d](1993)は大変面白かった。神田佳子がバスドラム、コンガ2、ボンゴ2、シンバル(小)を使い、自在な打法(奏法)でひとつの世界を創り出した。大きく腕を振り上げて素手でボンゴを打ち下ろす。それを何度か続けた後、打ち下ろすと思いきや、寸止めのフェイントで聞き手の裏をかく。思わず笑みがこぼれた。ただ叩くだけではなく、小さな器具(?)や唾をつけた指で皮の表面を擦ったり等々。作者同様、作品にも独特のユーモアがある。

最後はエトヴェシュの「くちづけ」[e](国際共同委嘱作品/日本初演)。青木涼子の依頼により作曲された本作は、アレッサンドロ・バリッコの小説『絹』(1996)の一場面を描いたもの。

絹の秘密を守っている日本人男性との商談でエルヴェ(ジョンクール)は初めてその若い女性に出会う。男性の膝枕で横たわる女性。会話の中でエルヴェと女性の目が会い、女性の目の形が東洋人のものでないことに驚く。当惑したエルヴェは茶を一口飲むと、女性はその茶器を取り、エルヴェが口を付けたところから茶を飲み、静かに茶器を置く。エルヴェは再び茶器を手に取り、茶を飲み干す。二人は二度と会うことはない。(ファゼカシュ・ゲルゲイ/中原薫訳)

公演前に『絹』(鈴木昭裕訳)を読んでみたが、小説というより散文詩のような趣き。たとえば主人公のフランス人が「世界の果て」日本へ何十日もかけて旅するくだりが、その都度、リピートされる。まるで音楽みたいだ。実際バリッコは音楽学者でもあり、本作を「白い音楽」と呼んでいる。

編成はアルトフルート、クラリネットバスクラリネット、ヴァイオリン、チェロ、打楽器(グロッケンシュピール、クロタル、ヴィブラフォン、トライアングル3、シズルシンバル、銅鑼、バスドラム、ウィンドチャイム)。「白」装束(衣裳:江角泰俊)の青木は、この間接的な「くちづけ」場面を日本語で朗唱(ナレーション)する(日本語台本は平田オリザ)。朗唱は「Harakiri」同様、三通りにうたい分けられた。楽器の種類が増えた分、多彩な音色が得られたはずだが、なぜか音楽をほとんど覚えていない。「白い音楽」だからそれでよいのか。ただし、正面奥のバスドラムは印象的だった。ドラムの皮に赤いテープが貼られ、その部分を撥で叩いた後、奏者はその上から別のテープを十字に貼り付ける。やがて奏者は終曲近くでそのテープを剥がすと、鈍い音がした。この赤い十字テープは、茶器に残ったキスマークなのだろう。あの鈍い音は何を表すのか?

公演にエトヴェシュ自身の姿は見えなかった。本人が来日すれば、また違った演奏(上演)になったかも知れない。五年前の「室内楽」は、「ペーテル・エトヴェシュの音楽」(コンサートホール:タケミツ メモリアル)同様、どの楽曲もきわめてシアトリカルだった。特に前者での「三つのクラリネットのための僧侶の踊り」(1993/2001)や後者の「スピーキング・ドラム〜パーカッションとオーケストラのための4つの詩」(2012/13)には惹きつけられた記憶がある。今後こうした企画がもっと増えるといいのだが・・・。