青年団第80回公演『ソウル市民』『ソウル市民1919』 歌の力

『ソウル市民』『ソウル市民1919』をそれぞれ同日のマチネとソワレで観た(10月20日 14:30, 18:00/こまばアゴラ劇場)。
『ソウル市民』(初演 1989年)はフレデリック・フィスバック演出を見たのみで(2005年12月/シアタートラム)、『ソウル市民1919』(初演 2000年)は今回が初めて。

『ソウル市民』『ソウル市民1919』作・演出:平田オリザ/舞台美術:杉山 至/照明:三嶋聖子/衣裳:正金 彩/舞台監督:中西隆雄 黒澤多生/制作:林有布子 石川景子/出演:山内健司 松田弘子 永井秀樹 たむらみずほ 天明留理子 秋山建一 木崎友紀子 兵藤公美 島田曜蔵* 太田 宏 申 瑞季 田原礼子 大竹 直 村井まどか 山本雅幸 荻野友里 石松太一 井上みなみ 菊池佳南* 富田真喜(*『ソウル市民1919』のみ出演) @こまばアゴラ劇場

『ソウル市民』は1909年の夏「韓国併合」を翌年に控えたソウル(漢城)で文房具店を経営する篠崎家の日常を描く。舞台は大きなテーブルと食器戸棚がある客間。当主やその親族など使用(支配)する側と、女中や書生など使用(支配)される側の違いが、服装のみならず、挨拶の仕方や立ち居振る舞いから即わかる。とても新鮮。かつての日本はそうだった。さらに、同じ女中でも日本人と朝鮮人では、チマチョゴリを措いても、言葉遣い(敬語)等で両者の違いが識別できる。
女中たちが休憩時にテーブルを囲んで雑談するシーンは、岸田國士の『留守』を想起させる。『留守』は、主人の留守中に隣家の奉公人同士が談笑するなかへ八百屋の御用聞きが加わるユーモラスな佳作。オリザの作では、日本人女中らの朝鮮人への(いまからみれば)無神経な言葉が客席にちくちく刺さり、居心地が悪い。
長女の愛子(富田真喜)が女中らの話に加わるシーン。愛子曰く、朝鮮語の音は文学に向いていないと思う…。女中の福山(田原礼子)曰く、たしかにこっちの言葉は刺々しいから…。愛子「やっぱり、文学には、それなりの美しい言葉の響きが必要だから」。福山「それは、やっぱり、言葉のことより、朝鮮人の方が問題なんじゃないですか?」/愛子「だからね、そこが間違いなのよ。だって、朝鮮人も日本人も同じ人間なんだから、文学に向かない人間なんて、いないわけがないのよ」。この愛子の言い間違いを指摘するのは、この家で育ち日本語が達者で文学好きの朝鮮人女中 李淑子(荻野友里)である。淑子「文学に向かない人間はいないんですよね」。愛子「そうそう。あぁ、文学に向かない人間なんて、いるわけがないか。[…]こういうのを、ヒューマニズムっていうんだけどね」。
朝鮮語を挨拶程度しか解さない篠崎家の長女が、朝鮮語と文学の非親和性について語る言説は、誰よりも(日本)文学を理解する朝鮮人女中の指摘により、自己解体している様が見事に露呈する(このシーンは、レジナルド・ローズの『十二人の怒れる男たち』でスラム出身の被告を馬鹿呼ばわりする10番陪審員の英語の間違いを、ヨーロッパ難民の出自を持つ11番が指摘する件りを思い出させる)。いずれにせよ、朝鮮への無知や無理解から来る差別的言説が飛び交うとき、例によって、当事者たる淑子は客席に背中を向けて座り、表情は判らない。その分、観客は朝鮮人淑子の立場に身を置き、彼女が感受するであろう痛みを想像し、深く共感するのである。
書生の友人手品師の来訪とその不可解な失踪、いくら待っても来ない次女幸子の文通相手、朝鮮人女中と長男の家出(駆け落ち)…。これらの「事件」はなんの解決も見ないまま終幕する。作品の主眼は別にあるからだ。

続編の『ソウル市民1919』では、朝鮮人女中 朴貫礼役を演じた申瑞季(シン・ソゲ)の素晴らしい歌唱にやられた。
…二人の朝鮮人女中が部屋の掃除をしている。金美玉(たむらみずほ)はオルガンや椅子を拭いていたが、朴と二人きりになると、小声で鼻歌を口ずさむ。正面奥の食器戸棚を拭いていた朴が、ほどなく金と向き合い、やおらそのメロディを韓国語で歌い出す。パトス(受苦=情熱)のこもった力強い歌声だ。チマチョゴリ姿の二人は、途中から、片足を歌のリズムに合わせ大きく踏み鳴らしながら歌う。震えた。韓国語の意味は分からなくとも、あきらかに、家の外で沸き起こっている独立運動に呼応するものだ。
歌い終わると、二人は韓国語で短く言葉を交わし、朴は勢いよく【でもなかったか】外へ出て行く。金は同僚を見送ると、下手のオルガンを開き、先ほどのメロディをゆっくり弾く。驚いたのは、キーが同じだったこと。そもそも二人が完全にキーを維持したまま歌い終えたのもすごい。想田和弘監督の映画『演劇1』(2012)で地方公演のリハーサルの合間に、女優二人が「(キーが)低い」と言いながら朗々と韓国語で歌うシーンはとても印象的だった。あれはこの歌だったのか。
一方、篠崎家の人々は出入する者らも含め、みな脳天気。通りに朝鮮の人々があふれているのは祭りか何かとしか思わない。植民地における自分の存在が彼らに何を意味するか想像できない。他者性の欠如。現在まで地続きの島国的偏狭さがヒリヒリと伝わってくる。
『ソウル市民1919』は「日本の植民地支配下での最大の抵抗運動」である「三・一独立運動」が背景になっている(プログラム)。前作同様、一家のなかでは、ほぼ平凡な日常生活が続いていく。もちろん内地から相撲取り(島田曜蔵)が来訪したり、出戻りの幸子(荻野友里)が兄(店主)の謙一(山内健司)ともめたりと、多少の変化や波風は見られる。だが、そうした家族間のわだかまりも、オルガンの先生(木崎友紀子)を交えた幸子の演奏「発表会」が流行の替え歌披露に発展するなかでかき消され、大団円のうちに終演する。だが、観終えた者の内側では、この替え歌と朝鮮人女中二人によるあの歌の世界との皮肉な対照がくすぶり続けるのだ。
帰りの電車で台本を見ると、あの歌はアイルランド歌曲で「霧の滴」とある。プログラムの用語説明にも、観る前は気づかなかったが簡単に記されていた。歌詞は1916年にダブリンで勃発した「イースター蜂起」を題材に、北アイルランドカトリック司祭が作詞。メロディは古くから伝わる民謡らしい。さらにネットで調べると、革命歌として作られたのはイースター蜂起から3年後の1919年頃。とすれば、この芝居の設定と同時期だ。しかも、イギリス支配から独立すべく武装蜂起した事件を綴ったとあれば、「霧の滴(The Foggy Dew)」は「三・一独立運動」の精神を表象する歌としてまさに打ってつけといえる。

ダブリンの街、誇り高く
戦いの旗が揺れる
誰も私たちを束縛できない
自由の空を目指す
その唄は荒れ地を越え
谷間を抜けて出ていく
破壊者達 銃を手に
霧を切り裂いて迫る


霊鎮めの鐘が鳴る
祈祷の歌が響く
復活祭の春の静かな朝
すべてをかけて立ち上がる
その歌は、海を越え
ときを越えて、いまここに
誇り高き自由の光
朝の滴に揺れる

(この歌詞の訳は、元の英語と、中川敬氏、伊丹英子氏の日本語訳を参考に記してある。実際の舞台では、これがさらに韓国語で歌われる)
――『青年団上演台本』

「霧の滴」はソウル・フラワー・ユニオンがカバーしたものらしい(『エレクトロ・アジール・バップ』1996)。平田オリザは曲調や歌詞の内容から『ソウル市民1919』に使えると判断したのだろう。だが、韓国語へは誰が翻訳したのか。あるいは韓国でもカバーされていたのか。いずれにせよ、申瑞季の歌をもう一度聴くため、11月1日(木)にアゴラ劇場へ行く。
(カーテンコールで彼女の姿が見られないのは残念。後半に出番はないから仕方ないのか。)