青年団第79回公演『日本文学盛衰史』/質の高い知的エンターテインメント

平田オリザの新作『日本文学盛衰史』の初日と中日を観た(6月7日,22日 19:30/吉祥寺シアター)。
原作者の高橋源一郎は前に朝日の論壇時評を楽しみに読んでいたが、小説はまったく未読。公演の数日前に小説『日本文学盛衰史』(2001)をあわてて読み始めた。口語と書き言葉の関係や「内面」の問題に格闘する明治の文学者が次々に登場する。頻出する下ネタに辟易しながら、80年代に親しんだ柄谷行人の『日本近代文学の起源』(1980)を想起した。言文一致と「内面の発見」や「風景の発見」の問題は柄谷の著作で知ったから。なるほど、「現代口語演劇」の実践者がこの小説を舞台化した動機は納得できる。ただし六百頁以上の小説はとても読み切れず、初日を迎えてしまった。以下、だらだらとメモする。

原作:高橋源一郎
作・演出:平田オリザ
舞台美術:杉山 至
美術アシスタント:濱崎賢二
照明:井坂 浩 西本 彩
音響:泉田雄太 櫻内憧海
衣裳:正金 彩
舞台監督:小林朝紀 
宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子
宣伝写真:佐藤孝仁
宣伝美術スタイリスト:山口友里
制作:石川景子 太田久美子


出演
山内健司 松田弘子 志賀廣太郎 永井秀樹 小林 智 兵藤公美  島田曜蔵  能島瑞穂 大塚 洋 鈴木智香子 田原礼子 大竹 直 村井まどか 山本雅幸 河村竜也 長野 海 堀 夏子 村田牧子 木引優子 小瀧万梨子 富田真喜 緑川史絵 佐藤 滋 藤松祥子


企画制作:青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
提携:(公財)武蔵野文化事業団
協力:(株)アレス 城崎国際アートセンター(豊岡市
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
   独立行政法人日本芸術文化振興会

セットは畳の広い宴会場。後方に廊下、正面奥は襖障子。芝居は、北村透谷、正岡子規二葉亭四迷夏目漱石の各葬儀の場から成る。弔問を終えた文学者らはこの宴会場で奥から手前に二列ずつ向き合って座り、酒を飲みながら文学談義に花を咲かせる。四つの場は次々に切り替わるが、畳の会場は同じだし、藤村やご近所の数人も変わらない。ただ、一つの場が終わる度に、女中らが座布団や箱膳を片付け、残った島崎藤村が正面の襖障子を開ける。すると向こうに日本庭園の夜景が見える。空間の「外」を見ることで観客は一息つけるのだ。ほどなく新たな会葬者らが登場し、次の場が始まる。
各場面の途中で喪主やその親族・関係者らが登場し、中央奥で正面を向いて挨拶する。故人の妻や母役を務めた能島瑞穂は自在さとは別種の存在感で場の重しになった。時おり出てきて挨拶する志賀廣太郎もよく効いていた(声はとてもつややか)。さらに、ヨコのベクトルで交わされる宴席での談話に対し、正面奥から客席に向かってタテになされる発話はこちらに真っ直ぐ響き、長丁場のアクセントになった。
藤村役の大竹直は本当にうまい。田山花袋を演じた島田曜蔵は下品にならず空気を和ませた。二人ともほぼ出ずっぱりにもかかわらず、あれだけの演技を維持できるとは。特に狂言回しの大竹には脱帽した。一場で樋口一葉役の女優(小瀧万梨子)が新作小説「大つごもり」の説明をするくだりは、チェルフィッチュのパロディだ。初日は大いに受けたが、中日はあまり反応がない。岡田利規を知らない客が多かったのか。LINEやツイートやラップ等をわざとアナクロニスティックに使い、随所に時事ネタを入れる。これらは明治の文学・思想界を観客の身近に引き寄せる趣向だろう。ある意味、原作に忠実とはいえ、大変面白い。
そんな笑いの合間に、会葬者の一人が宙に向かって故人の名「まさおか・しき」と発すると、別の者がそれをまた繰り返し、さらに別の者が繰り返す。このとき空気がぴーんと張り詰めた。するとたまらず妹の律(能島)が「のぼさーん」と兄の本名を呼びながらカミテ(式場)へ走り去る。グッときた。不在の名を呼ぶだけで、というか、それこそが喪の行為なのだと納得した。
ヒゲの女優(兵藤公美)が演じた夏目漱石の言葉も印象的。のちに大逆事件で逮捕される幸徳秋水山本雅幸)らが正面の廊下で太鼓を叩いてシュプレヒコールを上げ、思想や考えを言葉にしたら罪なのかと会葬者らに問う。それはわれわれ文学者たちのせいだ、と夏目は答える。政府は、人民の言葉が内面の何を表しているのか不安でたまらないのだ、と。さらに、幸徳の生まれ故郷である土佐の中村より東京は広い、と夏目。東京より日本は広い。日本より・・・「世界は」と言うのかと思いきや、頭の中の方がはるかに広い、と夏目は言う。その広さを政府は怖がっていると。ここでも会場はシーンと静まり返って聞いていた。言文一致の実践から「内面」を表現しようとした二葉亭四迷の葬儀にふさわしいスピーチだった。
漱石の葬儀の場の後半、それまで漱石を演じた兵藤がマイクとスケボーを持ったラッパー宮沢賢治に扮し、ラップを披露する。彼女は演技もラップもめちゃくちゃうまい。
幕切近くで昭和に活躍した坂口安吾(佐藤滋)と織田作之助永井秀樹)と太宰治(村井まどか)のデカダンス漫才トリオが登場(三人ともご近所さんを演じていた役者)。漱石が死んだ時はいずれもまだ幼いはず。その三人が会葬者らに彼らの未来を予言していく。そして、文学の死も。機械やAIの進化が文学の死をもたらす(もたらした)と言いたいらしい。しかし、やがて機械が宇宙船に乗って植民したどこかの惑星で、また一人の北村透谷が、一人の正岡子規が生まれる、と。ここはカレル・チャペック『ロボット』(1920)のラストシーンを想起した。そこでは人間が楽をするため労働の手段として大量生産したロボットたちが人間を絶滅させる。手を使って働くのをよしとする建築士ひとりを除いて。結果、ロボットを再生産する手段も喪失するが、やがて、愛にめざめた一対のロボットを、この老建築士はアダムとイブのように世界へ送り出す。滅亡後の再生へのかすかな希望か。もちろん、チャペックよりオリザの方が時代が降った分だけペスミスティックだが。
実に面白い。繰り返しの観劇に耐える質の高い知的エンターテインメント。これだけの舞台が一月間続くのだからすごい。戯曲もすばらしいが、俳優の質の高さが半端ではない。青年団畏るべしだ。