新日本フィル #561 サントリー定演/上岡敏之の音楽監督就任/オールR. シュトラウス

上岡敏之音楽監督に就任後、初のコンサートを聴いた(9月9日 19:00/サントリーホール)。コンサートマスターは崔文洙。簡単にメモする。
前半は、リヒャルト・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき」op. 30(1896)。
決して力まない。力ませない。冒頭の序章もふっくらした感触ではじまる。まさに夜明け。力点は冒頭などにはない。低弦の囁くような弱音。耳を澄ませ、と。中間部の締めくくりの強音。が、それもすっと消える。後半の数人の弦楽アンサンブル。とても美しい。ラスト近くのそれは《ばらの騎士》終幕の三重唱、二重唱のよう。まるで室内楽のような音詩(交響詩)。あまり気のない拍手。威圧するような演奏を期待した向きには、物足りなかったのか。
休憩後は交響詩英雄の生涯」op. 40(1898)。
演奏はドラマティックというより、どこまでも音楽的。たとえば「英雄の敵」である批評家を揶揄するフレーズなど戯画的なニュアンスは微塵もない。崔のソロは、端正かつ正確。名人芸よりも、音楽のスタイルを重視。四年前ハーディングの下で演奏した時とは別人のよう(http://d.hatena.ne.jp/mousike/20120708/1341755860)。
アンコールは、オペラ《サロメ》(1905)。「七つのヴェールの踊り」から開始した(と思う)。一気に濃密で怪しい空気がホールを満たした。《ばらの騎士》第二幕の居酒屋の場面や「英雄の生涯」と似ている。そう初めて気づいたが、感触はまったく違った。さすが。上岡指揮のオペラを聴きたい(2008年、新国立で《椿姫》を、日生劇場で《魔笛》を聴いたが、どちらも素晴らしかった)。
三曲とも演奏の印象がまったく異なる。発表された2016/2017シーズンの地味なプログラムを見たときは、オペラもないし、正直ちょっと失望。が、この日の演奏を聴くと、妙に納得した。あの一見地味なプログラミングは、「ツァラトゥストラ」等(半年前のマーラー「巨人」も)の演奏のあり方と通底している。プログラムにも演奏にも、オケはもとより、聴衆をも育てようとの意志が感じられるからだ。音楽監督はゲスト指揮者とそこがまったく違う。アンコール演奏には、そうしたトレーナー意識を離れた自由さが漲っていた。16日のトリフォニーも楽しみだ。