劇団銅鑼『短編集』岸田國士・T.ウィリアムズ・小関直人「五感で楽しむ演劇」【訂正あり】

劇団銅鑼公演ドラマファクトリー vol. 10『短編集——3つの短編を彩る』の初日を観た(8月25日 17:00/銅鑼アトリエ)。
岸田國士の「温室の前」とテネシー・ウィリアムズの「ロング・グッドバイ」に小関直人の新作「僕を待つ部屋」を加えた三編。これらを連作に見せる趣向で上演。また、今回はDIALOG IN THE DARK JAPAN(暗闇の中の対話)の協力により「五感で楽しむ演劇」として、玉砂利を踏む音やコロンの香りや天井から降る雨やカレーの匂い等で、視覚以外の感覚を刺激する試みも。
テレビや映画やネット等の非全身的な享受が当たり前の昨今、元来「五感で楽しむ」演劇(舞台芸術)は特権的な効能を発揮する。そこでは、演者はもとより受容者も生きた身体を丸ごと「いま、ここ」に現前させる。この条件が、両者間の「エネルギーの交流」(スタニスラフスキー)や「共振作用」または「共有」(別役実)を、「内的対話」(平田オリザ)を生じさせるかも知れない。演劇のこうした機能を強調するには、今回の「五感で楽しむ」趣向は有効だと思う。

岸田國士(1890-1954)『温室の前』(1927)
大里貢:山賀教宏(青年座)/大里牧子:栗木 純/高尾より江:馬渕真希/西原敏夫:館野元彦

テネシー・ウィリアムズ(1911-83)『ロング・グッドバイ』(1940)倉橋健訳
ジョー:池上礼朗/マイラ:宮藤希望/母:渡部不二実/シルヴァ:山形敏之/ビル:川邊史也/運送屋1:鶴岡秀一/運送屋2:向 曉子/運送屋3:早坂聡美/運送屋4:齋藤千裕

小関直人『僕を待つ部屋』(2016)
服部公平:木下昌孝/服部知美:福井夏紀/飯島弘子:永井沙織/服部勇太:中村 結(子役)

【スタッフ】
演出:磯村 純(青年座)/美術・衣裳:根来美咲(青年座)/照明:鷲崎淳一郎/音響:坂口野花/舞台監督:村松眞衣/宣伝美術:山口拓三(GAROWA GRAPHICO)/制作:平野真弓
協力:DIALOG IN THE DARK JAPAN
助成:アーツカウンシル東京ACT

今回入場できるのは数人ずつ。まずは黒いカーテンで仕切られた狭く暗い空間で、灯りを持つアテンダントから説明がある。その後、奥へ入ると中も薄暗い。能舞台を思わせる板張り舞台が中央に設置されている。ただ屋根や鏡板や橋掛かりは取り払われ、四つの柱の間には欄間のような飾り板が見える。この舞台を二列または三列の客席が四方から取り囲む。舞台の外周二辺には白い小石を敷き詰めた白州がある。客席に着くとき、そこを通ると「じゃりじゃり」音がして心地よかった。
開演すると、薄闇の中たぶん出演者全員が様式的な歩みで登場し、顔見せのような動きをする。数人の黒衣が椅子や机等を舞台にセットするが、その動きはやや不自然。彼らが次の「ロング・グッドバイ」の運送屋となるのだろう。
『温室の前』一幕三場。東京近郊の大里家の応接間。自宅の温室で草花を育て販売する兄の貢(山賀教宏)とその世話をする妹の牧子(栗木純)。兄妹は人とほとんど交際しない。そこへ牧子の学校時代の友人高尾より江(馬渕真希)が来訪。さらに貢の学友西原敏夫(館野元彦)がフランス留学から五年ぶりに帰国。より江は出戻りの職業婦人。西原は民衆劇の運動を起こすべく奔走する活動家(作者同様フランス帰りの西原がいう「遊動劇」は十四年後の戦時に「日本移動演劇連盟」が発足し岸田が委員長に就任することを思うと意味深長)。活発で社会的な二人の来訪を機に、大里家の応接間はにわかに華やぎ(絵画が新たに掛けられる)、引っ込み思案の兄妹に「希望」が芽生える。妹は西原と、兄はより江と、新しい生活を始める希望が。だが、結局は来訪者同士が結ばれる皮肉な結末に……。
舞台はコメディ志向の強い演出に見えた。少しあからさま? 特に貢役の無理に笑いを捻り出す演技は、他の俳優たちとのアンサンブルを崩しはしないか。岸田國士の悲喜劇は「あからさま」より「そこはかとなく」の方がしっくりくる。もちろん、岸田作品特有の絶妙な可笑しさや悲哀を舞台に醸し出すのは、モーツァルトの演奏同様、容易ではないだろう。ともに素材(言葉・音)の本来的な美しさが前提となる。「笑い」そのものを狙うより、むしろ劇詩ともいうべき見事な台詞や対話に「韻律」(岸田)が宿るまで愚直に発語し動けば、「可笑しさ」や「悲哀」はおのずと生まれてくるのではないか。現に2010年の試演会で観た『留守』や『紙風船』ではそれがある程度できていたと記憶するのだが。モーツァルトならぬシューベルト歌曲の選曲はよかったと思う。

ロング・グッドバイ』一幕。アメリカ中西部のアパートの一室。売れない作家ジョー役の池上礼朗はキャラ的には合っているようだが、キャラ造形はまだ十分とは見えなかった。シルヴァ役の山形敏之は台詞回しが自在。ジョーの過去の追想(結局は身を持ち崩した妹のマイラや保険金を残すため自殺した生前の母とのやりとり等)と引越作業中の現在との切り替えはどうか。マイラ(宮藤希望)や母(渡部不二実)が捌けきる前に意図的にフライングで運送屋を登場させるのはよい。ただ、このスイッチングに演劇としての妙(面白さ)が感じられないと、つまり、ジョーの内的な世界がそこに現出したと信じることができないと、この芝居は生きてこない。

『僕を待つ部屋』一幕三場(?)。雨のなか、かつて長年住んでいた家を訪ねる服部公平(木下昌孝)は途上で白杖を持つ目の不自由な飯島弘子(永井沙織)と偶然出会う。弘子は訪ねた家のいまの住人であることが分かる。公平を家に招じ入れる弘子。二人の対話から、弘子は、公平の父が自分たちを捨てて再婚した女性の連れ子であることが判明。二人の葛藤……。室内で視覚障害者の弘子が不自由なく公平を接待するシーンは興味深い。腕の取れたウルトラマンのフィギュアが触媒となり、いまや自身も息子を持つ父である公平に「変化」を促す……。永井の台詞回しはとても自然で聴きやすい。白杖の扱いも堂に入っていた。飲み物やカレー等を弘子に供給する黒衣はパーカー姿の可愛い子役が務めたが、素晴らしい。特にカレーを持って舞台の外周を一周し(観客に匂いを嗅がせるためか)弘子に渡す一連の動作は、人を注視させる魅力があった。
公平の家。男の妻知美(福井夏紀)は離婚を決意しているが、帰宅した夫のいつもと違う有り様に怪訝な表情を向ける。いつになく窓を開け外気を喜ぶ公平を見ながら「なにこのひと。なんでいつもと違うの」といった訝しがるあり方がとてもリアル。夫との生活や子育て等に少々疲れてはいるが完全には希望を捨てていない内側がその身体に表出されていた。福井は無意識の領域が広い(マリヴォーの『二重の不実』のシルヴィア役は印象的だった)。その分、観客にあれこれ想像する余地を与えてくれる。結局、離婚届には署名しない公平。就寝のシーン。夫婦の布団の間で息子(例の子役)も眠る。スポットを浴びたこの子が右手を突き上げ決めのポーズで幕。黒衣もこなす子役の存在は、オペラ《ばらの騎士》の小姓を想起させる。終演のレヴェランスでパーカーのフードを脱いだ子役(中村結)の頭はお団子だった。女の子か。あとで聞くと【休団中の武智綾】の娘との由。歩き方や身体の使い方、それにお団子からすると、バレエをやっているのかも知れない。
変化への希求と挫折(絶望の闇)に始まり、希望(光)を示唆して終わる公演だった。近所にこれだけ芝居を楽しめるアトリエがあるのは本当に有り難い。若手の試演会を含め、上演の頻度がより高まればさらに嬉しい。