パリ市立劇場『犀』

パリ市立劇場によるイヨネスコの『犀』を観た(11月22日 15:00/彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)。パリ同時多発テロから約一週間後の来日公演だった。
これまた二ヶ月以上経ってしまったが、やはり直後の走り書きから簡単にメモを残したい。

作:ウジェーヌ・イヨネスコ
演出:エマニュエル・ドゥマルシー=モタ
出演:パリ市立劇場カンパニー
製作:パリ市立劇場
共同製作:ルクセンブルク市立劇場、ロワール・アトランティック公立劇場「ル・グラン・T」
初演:2004年10月 パリ市立劇場
字幕翻訳:岩切正一郎
主催:公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団、フェスティバル/トーキョー実行委員会、豊島区、公益財団法人としま未来文化財団、NPO法人アートネットワーク・ジャパン
助成:アンスティチュ・フランセ パリ本部、平成27年文化庁劇場・音楽堂等活性化事業
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協賛:アサヒビール株式会社、株式会社資生堂
協力:アーツカウンシル東京・東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団
フェスティバル/トーキョー15 主催プログラム

リアリズムではなく、きわめて様式性の高い演出・美術。フランスらしく理屈っぽい対話・議論の面白さ。日本では受けにくいか。字幕だし。第二幕のオフィスの場はさらに戯画的かつダンス的。だが、客席はなかなか反応しない。よく考えられた舞台で、アンサンブルの質も高い。第一幕ではジャン(ユーグ・ケステル)の強い声と台詞回し。第二幕ではパピオン部長(パスカル・ヴィルモ)の躊躇のない演技が印象的。初演のジャン=ルイ・バロー演出(1960)では仮面を使い、犀を舞台に出したそうだが、こちらは音響と照明と役者たちの演技で犀の存在を、その怖さを巧みに表出。冒頭でベランジェ(セルジュ・マジアーニ)が実存の不安を想わせる独白をしたが、これは原作にはない。少しカットもあったか。たとえば最後の場でデイジーがベランジェのアパートへ来たときの対話の一部など。
街に突然犀が出現。当初の恐怖から次々に人間が犀になっていく。恐怖の対象(犀)が魅力を有する存在に変わり、「美しい」とまで。イヨネスコは、故国ルーマニアでのナチズム体験を作品に込めたらしい。ベランジェに身なりをちゃんとしろと言っていたジャン。いかにも社交的で、覇気もあるジャンが「犀」になる。オフィスのパピオン部長も。犀の出現をあれほど否定していたボタール(ヨリス・カサノヴァ)も。そしてベランジェと二人で生きていこうとしたデイジーセリーヌ・カレル)までもが「犀は美しい」と言って離れていく。覇気がなく他人とうまくやっていけないベランジェだけが最後まで抵抗する。否、彼ですら、デイジーが去った後は犀に惹かれる彼らを肯定し、自分を否定しそうになるが・・・。それぐらい多数派の締めつけは洗脳として機能するということか。ベランジェが体現する思想の自立性。迎合への抵抗。独り孤立し戦うのはかくも難しい。ただの変わり者と見られる恐怖。
終演後のカーテンコールで出演者たちが並んだときの表情はかなり深刻で、思わずグッときた。一週間前にはパリで同時多発テロが起き、百数十人もの死者が出たのだ(11月13日)。そこには劇場で死亡した観客も含まれる。俳優たちの顔には、依然、そのショックが見て取れた。そんななか皆よく来てくれた。さすがに芸術監督の来日は急遽とり止めになったが。ホワイエに哀悼を示すものがあるかと期待したが何もなかった。