新国立劇場オペラ《ばらの騎士》2015

再演《ばらの騎士》の初日を観た(5月24日 14:00/新国立劇場オペラハウス)。
本プロダクションの初演が2007年6月。再演は2011年4月だが、3.11の影響で出演者の来日キャンセルが相次ぎ、オクタヴィアン、ゾフィー、ファーニナルに日本人歌手を充てる大幅なキャスト変更でなんとか上演にこぎ着けた。今回は三回目の公演となる。

指揮:シュテファン・ショルテス
演出:ジョナサン・ミラー
美術・衣裳:イザベラ・バイウォーター
照明:磯野 睦


元帥夫人:アンネ・シュヴァーネヴィルムス
オックス男爵:ユルゲン・リン
オクタヴィアン:ステファニー・アタナソフ(本人と所属するオペラハウスの都合で降板したステファニー・ハウツィールの代役)
ファーニナル:クレメンス・ウンターライナー
ゾフィー:アンケ・ブリーゲル(本人の都合で降板したダニエラ・ファリーの代役)
マリアンネ:田中三佐代
ヴァルツァッキ:高橋 淳
アンニーナ:加納悦子
警部:妻屋秀和
元帥夫人の執事:大野光彦
ファーニナル家の執事:村上公太
公証人:晴 雅彦
料理屋の主人:加茂下 稔
テノール歌手:水口 聡
帽子屋:佐藤路子
動物商:土崎 譲
合 唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター:近藤 薫)

序曲はホルンが頑張った。元帥夫人(マルシャリン)役のアンネ・シュヴァーネヴィルムスは、2007年11月にドレスデン国立歌劇場の来日公演で聴いている。当初《タンホイザー》(コンヴィチュニーの面白い演出)のエリーザベト役のみの予定が、《ばらの騎士》で歌うはずのアンゲラ・デノケがインフルエンザで来日できず、シュヴァーネヴィルムスが代役を務めたのだ。彼女はエリーザベトもよかったが、マルシャリンの方が印象に残っている(指揮はファビオ・ルイジ)。今回の彼女はさらに成熟した美しい歌声を聴かせてくれた。立ち居振る舞いにも元帥夫人としての風格と気品が備わっていた。
後半のモノローグ。時間への省察、年を重ねること。素晴らしい歌唱だった。窓外の雨を見つめながら煙草を吸うシーンは、何度みてもぐっとくる。
オクタヴィアンのステファニー・アタナソフはステファニー・ハウツィールの代役だが、なかなかの美形で歌もよいと思う。マルシャリンに比して少し背が低めだが、ゾフィーとは声質ともに合っていた。
オックス男爵役のユルゲン・リンは下品な演技が〝なま〟過ぎる印象。本プロダクション初演のピーター・ローズ(イギリス人なのに劇場の表記はなぜかペーター・ローゼ)や原発事故直後にもかかわらず来日してくれたフランツ・ハヴラタ、さらにゼンパーオーパーのクルト・リドルらに比べると、少し見劣りがする。オペラの舞台では、あくまでも絵になる〝下品〟でないといけない。歌は、低音もよく出るし悪くないが。
テノール歌手は初演時からすべて同じキャストだが、聴いていていつもはらはらする。他にいないのか。
指揮者のシュテファン・ショルテスは器用な棒さばきではないが、緻密な音楽作り。かなり細かい人かも知れない。オケはまずまず。オーボエはミスはないがスラーがあまりスムーズでなく、鳴りが悪い。第1幕の幕切れでソロヴァイオリンの弱音での高音がやや不安定。4月からコンマスに就いたばかりで少し緊張したのか。歌手たちの明確でない動きが散見。再演演出は適切になされていたのか。
第2幕。ゾフィーのアンケ・ブリーゲルはダニエラ・ファリーの代役だが、悪くない。見かけは役柄通りいかにも田舎くさいが、歌い回しは正確。ファーニナルのクレメンス・ウンターライナーは芝居も歌も巧い。汗をかいて盛り上げるタイプ。オックスはやはりいまひとつ。声はよく出るし芝居気もあるが、人物・音楽ともに造形が少々粗い。オクタヴィアンは姿はよいが、もっと声が前に出てもよい。ジョナサン・ミラーの演出は美術・衣裳(イザベラ・バイウォーター)も含めてオーソドックスで、細部までよく練られていた記憶がある。だが、今回はシークエンス間の流れがいまひとつスムーズでない。かたちの指示しか与えられていないような印象。内的必然性がないと演者は決然と動けない。どうもオーボエが弱い(と思いきや、プログラムをみると、4月のバレエ公演『こうもり』3幕で音が上がりきらなかった奏者)。オーボエがくすんでいてはリヒャルト・シュトラウスの爛熟した美しさが損なわれてしまう。
第3幕。演者の動きがやはり気になる。ニュアンスが演出家の意図と違う気がする。たとえばメイドに化けたオクタヴィアンの振る舞いなど、少し大雑把。児童合唱の声が小さい。いよいよ本作の、いや、オペラのハイライト。まず三重唱。シュヴァーネヴィルムス(マルシャリン)は別格だが、ブリーゲルが歌うゾフィーはメロディラインがくっきり聞こえ、アタナソフ(オクタヴィアン)も一定のこくのある声を出していた。後半、マルシャリンがもっとも強く歌うところで少し力みが入ったが、総じて素晴らしい三重唱。成熟した女性の、諦念の美徳が表出される場面。そういえば、2007年9月に来日したチューリッヒ歌劇場の演出(スヴェン・エリック・ベヒトルフ)は面白かった。三重唱の場面でマルシャリン(ニーナ・シュテンメ)がこわばった表情のまま思わず転びそうになるのだ。成熟した女としてとりあえず若い燕(カサロヴァ!)を断念しゾフィーに譲ったけど、本当は私とても耐えられないの、という感じ。これには笑った。マルシャリンを現代化するとそうなるのだろうか。だが、わがミラー演出はあくまでも正統的に成熟したいさぎよい女性像を造形している。二重唱では若い二人の声がよく合っていた。ラストのお小姓(子供)は残り物を食べに来たのか。
新制作の《椿姫》は楽日が5月26日で《ばらの騎士》の初日が5月24日だった。前者の素晴らしさはブログに書いたとおりだが、後者もなかなかのもの。こうした質の高い舞台が僅かな期間とはいえ日替わりで上演されると、サブスクライバーとして少し誇らしい。来週はバレエ『白鳥の湖』が控えている。『白鳥』の場合、特にオーボエ(そしてホルン)の人選は重要だ。オケの質さえ水準を保ってくれたら、この劇場はかなり満足度が上がると思うのだが。