新国立劇場バレエ『こうもり』2015 全4キャスト/湯川麻美子の引退公演

バレエ版『こうもり』を全4キャストで観た(4月21日 19時,25日 13時・18時,26日 14時/新国立劇場オペラハウス)。
シュトラウスII世のオペレッタ1873年の初演、プティのバレエ版は1979年マルセイユ・バレエで初演された。新国立での初演は2002年9月。あれから何回再演されたか。直近では2012年2月にカオとテューズリー、小野と菅野らが踊っている。オペレッタは三ヶ月前この劇場で再演されたばかり。

音楽:ヨハン・シュトラウスII世(1825-99)
編曲:ダグラス・ガムレイ
振付:ローラン・プティ(1924-2011)
装置:ジャン・ミッシェル・ウィルモット
衣裳:ルイザ・スピナテッリ
照明:マリオン・ユーレット/パトリス・ルシュヴァリエ
芸術アドヴァイザー/ステージング:ルイジ・ボニーノ
指揮:アレッサンドロ・フェラーリ
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団


ベラ:小野絢子(21・23)/米沢 唯(25M)/本島美和(25S)/湯川麻美子(26)
ヨハン:エルマン・コルネホ[アメリカン・バレエ・シアター](21・23)/菅野英男(25M)/井澤 駿(25S)/福岡雄大(26)
ウルリック:福岡雄大(21・23)/八幡顕光(25M・26)/福田圭吾(25S)
メイド:寺田亜沙子(21・23)/今村美由起(25M)/益田裕子(25S・26)
グランカフェのギャルソン:マイレン・トレウバエフ,江本 拓,奥村康祐(25M・25S)/福田圭吾(21・23・26)
フレンチカンカンの踊り子:堀口 純,玉井るい,中田実里(21・23・25S・26)/ 益田裕子(25M)
チャルダッシュ:マイレン・トレウバエフ(21・23・25S)/池田武志(25M・26),堀口純,丸尾孝子,奥田花純,柴山沙帆,細田千晶,飯野萌子(21・23)/寺田亜沙子(25M・25S・26)
警察署長:貝川鐵夫(21・23・25S・26)/輪島拓也(25M)
ヨハン(歌):菅野 敦(テノール

4月21日(火)19時(初日)
序曲は比較的ゆったりスタート。指揮のアレッサンドロ・フェラーリは、その後テンポを的確に変化させ、きわめて快活で粋のよい音楽をつくりだした。
小野絢子のベラはお茶目で魅力的な造形。そこに充実した踊りが合わさり素晴らしい出来栄え。三年前の前回より大きく成長している。ヨハンのエルマン・コルネホは力強く踊りも巧みだが、ややシックさに欠ける。福岡雄大のウルリックには驚かされた。踊りの巧さ、運動神経のよさがチャップリンを模したコミカルなこの役にぴったり。小野とのハイテンポでのやりとりは、見応え充分。かつて小嶋直也がヨハン役から急遽この役に変更されたが、対他的な在り方など、彼を凌駕している。あとは吉本泰久に見られた悲哀が出せればいうことはない。寺田亜沙子のメイド役にも意表を突かれたがなかなかのもの。夫がこうもりのように飛び去った顛末をベラは駆けつけたウルリックに嘆く。すると悲しみを吹き飛ばす術がベラに教授される。この音楽はロザリンデとアデーレとアイゼンシュタインの例の三重唱。三者三様に表面は悲しみを装いつつ腹ではウキウキ嬉しくてしょうがないという、モーツァルト顔負けの信じがたい音楽。特にテンポがスローから次第にアッチェランドするシークエンスは、物語と音楽と振付が絶妙な相乗効果をあげて、いつもこころを踊らせながら見入ってしまう。他にも音楽と振付の関係に触れたい部分はたくさんあるが、先へ進もう。
4場(グランカフェ)。13年前の初演同様、トレウバエフがギャルソンを踊る。体力的には少しキツそうだが、開脚ジャンプも廻転も今なお本当にきれい。福田圭吾もよいが、江本拓は相変わらず快活さと脚の開きが不十分。ポルカ「雷鳴と電光」に振り付けられたヨハンのソロ。コルネホはもちろん技術的には申し分ないが、ここではマッチョな力強さより、洒脱な色気が要求される(森田健太郎のセンスのよい踊りが懐かしい)。総じてエネルギッシュに過ぎる印象。ベラのソロ。ウルリックに相談したときの例の音楽。小野は表情豊かできっちりときれいに踊る。
第2幕。5場の背景画にいつも少し違和感が。屋外で仮面舞踏会? 木々を描いた書き割りは庭園なのか。チャルダッシュは感慨深い。初演時のトレウバエフは入団直後でもっとギラギラしていた。あれから十三年。いまは成熟し、エネルギーよりも美しさに気をかけているように見える。音楽は、アイゼンシュタインの妻ロザリンデが夫にバレないよう仮面を付け、偽りの故国ハンガリーを懐かしんで歌うアリアだ。バレエでは、歌のない音楽に踊りのみで魅せねばならない。この難しい振付をトレウバエフは実にきれいに踊りきる。ベラのソロはもっと規格から外れてもよい。ヨハンが再び宙に舞う場面で思わず歓声が上がった。後半、ピットではフライング、ホルンのへたり、ヴァイオリンの開放弦ノイズなどオケに少しミスが出た。
6場。留置所。テノールの菅野敦はスムーズさと響きが不足気味。口パクで歌うヨハンは下手寄りだが、奇妙なことに、声は上手の袖から聞こえた。ベラとヨハンのパ・ド・ドゥ。小野がこれほど官能的に見えたことはない。コルネホのサポートや踊りはプティ作品が要求する洒脱からはほど遠いが、その濃厚なアプローチは小野絢子のダンサーとしての成長にかなりの効果をあげた。ただ、あそこまで小野を激しく廻転させなくても・・・。ベラが命じ、ヨハンがくるくる回るシークエンスで、コルネホの踊りは言いなりになっているようには見えなかった。
小野絢子と福岡雄大の成長には眼を見張った。踊りと役柄の人物造形が渾然一体となり、公演毎にその水準が上がっている。バレエ団のなかで切磋琢磨した結果がいま結実しつつあるようだ。アレッサンドロ・フェラーリはダンサーの動きに寄り添いつつ、高い音楽性を維持できる得がたい指揮者。東フィルは小さなミスはあったがまずまずか。ただ、この音楽ではキーとなるオーボエはミスはなくとも音色のくすみが気に掛かる。
4月25日(土)13時
第1幕。1場の米沢唯のベラは、つねに「夫はもう私を愛していないのかしら」と不安顔。なにをやっても夫のことが気に掛かる。大きな踊りから喜劇が生まれたが、その味はどことなくサザエさん風。八幡顕光のウルリックはたしかにキレはある。が、ちょっと飛ばしすぎたか、密かに友人の妻を愛しているという役柄の味わいがさほど出ず。もっと余裕が、というか、役を生きてほしい。菅野英男のヨハンは三年前小野と組んだときより、改善が見られた。夫婦のパ・ド・ドゥはプティのスタイルからは外れ気味だがとても面白い。ヨハン=菅野が夜遊びへのウキウキ感を踊りで表現するシークエンスは実感がこもっていた。3場のベラ=米沢とメイド=今村美由紀とのデュエットは楽しい。まさにドタバタ喜劇。物怖じしない今村は芝居気がある。4場(MAXIM'S)の米沢のソロは、ベラの精神が踊りに優っていた。
第2幕。仮面舞踏会のベラ=米沢のソロ。踊りが大きく、以前より自由度が増したような印象。チャルダッシュの池田武志は勢いがある。ハンガリアンのアクセントと、より自然な演技が今後の課題か。両脇の女性二人はこの日に限らずもう少し強度を増す必要あり。留置所前のパ・ド・ドゥ。米沢は(見る前はどうやるのか少し心配したのだが)思いの外エロティシズムを醸し出していた。菅野もよく貢献した。ただ、座席がパ・ド・ドゥのムードと真逆の環境下で(傍らには可愛い小学生たちが)、舞台の印象が薄れ気味。再度見て確かめたかった・・・。
指揮者はとても音楽的だが、ヴァイオリンの開放弦ノイズやオーボエの音色が残念。
4月25日(土)18時
本島美和のベラは肢体が美しく悪くないが、少し筋力が衰えているような印象も。まだ早すぎるだろう。モウティヴェーションの低下なのか。井澤俊のヨハンはクールさは役柄そのままだが、夜遊びへのワクワク感は少しわざとらしい。何より姿がいいし踊りが端正でとてもきれい。だがもっとできるはず。この日は福田圭吾がウルリック。ガリガリキチキチやらないところが美点。八幡と対照的。物足りないと感じる向きもあろうが、ウルリックのハラはできている。夫婦のデュエットは悪くない。マキシムでのトレウバエフは本当にきれいな踊り。やはり基礎力が違うのか。この日は奥村康祐もギャルソンを踊った。生きがよい。ヨハン=井澤のソロ。佇まいが山本隆之に似ている。踊りの質は高い。上背があるので見応えもある。井澤は自分をよく見せようという気がまったくない。そう見える。禁欲的。だが、もっと自分を出してもよいのでは。これ見よがしに踊れということではなく、舞台に、客席に捧げる在り方をもっとかたちにしてもよい。留置所前のパ・ド・ドゥでオーボエのソロの音が潰れた。高音へのスラーで三度とも。一番の見せ所(聴かせ所)だけに大変残念。このオーボエ奏者は前にも似たようなことがあった。
4月26日(日)14時(千秋楽)
湯川麻美子はこの舞台を最後にダンサーを引退し新国立劇場バレエ団を退団する。序曲の冒頭でヴァイオリン一本が少しフライングしたが、相変わらず音楽性が高く気持ちの好い演奏。湯川が登場すると大きな拍手が湧いた。今日は客がよく入っている。一度限りの特別な舞台は集客力がある(どの舞台も一度きりなのだが)。倦怠期の夫婦。妻の不安。ベラ=湯川の演技はコミカルさはあまりなく、かなり深刻に見える。ヨハン=福岡雄大は、踊りが充実。洒脱さはさほどでもないが、悪くない。ウルリックの八幡は昨日より役の在り方を意識し、演技も踊りも地に足を着けている。湯川へのはなむけだろう。いい加減なことはできない。そんな感じ。グランカフェ。トレウバエフは疲れているはずだが、この日も丁寧に踊る。福田もよい。フレンチカンカンは若くて生きがよい。ヨハン=福岡のソロはやはり巧い。余裕さえ感じさせる。ベラ=湯川のソロは貫禄で踊っていた。さすがに衰えも見えるが、気力をふり絞って真ん中を務めている。とにかく観客の声援が熱い。6場のパ・ド・ドゥは、湯川渾身の踊り。(オーボエが例の箇所でまた・・・だが今日は一度だけ。)福岡もよく支えた。いや、どのダンサーも、そして指揮者も、さらに客席も、湯川の最後の舞台を懸命にサポートしていた。そう感じられた。
カーテンコールでは少し涙ぐみながら客席に深々と感謝を捧げる湯川麻美子。その後に居並ぶダンサーたち。特に中央の丸尾孝子と寺田亜沙子は初めから涙顔。閉じたカーテン前では下手、上手と福岡がリードし、レヴェランス。中央で福岡が胸から白薔薇一輪を抜き取り、湯川に捧げる。するといっそうの拍手が。福岡は先に奥へ下がり、カーテンが開いたところで、湯川は上手へ移動し、舞台上の団員たちに深々と頭を下げる。それを拍手で見守るダンサーたち。1月に「DANCE to the Future 〜Third Steps〜」で湯川に『Andante behind closed curtain』を(たぶんオマージュとして)振り付けたトレウバエフも笑顔で拍手を送っている。素晴らしい光景。客席もスタンディングオベーション。カーテンコールは約15分間続いた。花束贈呈を予想したが、福岡の白薔薇一輪のみだった。が、のちに劇場のホームページには幕のなかで福岡が湯川に赤薔薇の花束を贈っている写真が掲載された。なぜ観客の前でやらせないのか。劇場側が止めたのか。(なぜ?)それにしても、この日はバーミンガム・ロイヤルバレエの『白鳥の湖』と重なっていた。つまり、湯川さんの〝恩人〟ビントリーは上野に居たのだ。彼が初台に駆けつけて湯川さんに花束を渡すシーンを夢想したが、やはり無理だった。(両者の日程が重なったのは偶然か、それともNBSはわざとぶつけたのか。)湯川麻美子は、ビントリー元芸術監督のもとで文字どおり生き返った。『カルミナ・ブラーナ』のフォルトゥナを筆頭に、『パゴダの王子』のエピーヌ、『アポロ』のレト、『E=mc²』の「マンハッタン計画」(和服姿)、『ペンギンカフェ』のユタのオオツノヒツジ、『シルヴィア』のダイアナ・・・。特に『パゴダの王子』では、何が何でも舞台を支えるという気迫がエピーヌの豪快さと重なって、鬼気迫るものがあった。
湯川さん、開場以来、持ち前の強い責任感から数多くの舞台をしっかりと支えてきましたね。18年間本当にお疲れさまでした。
今回の引退公演はよい前例を作ったと思う。これまでダンサーたちは、われわれ観客に挨拶することもできないまま劇場を去って行った。これからは、舞台を通して、出会いのみならず別れの挨拶を交わすことができる。新国立劇場もこれでやっと一人前の劇場に〝少し〟近づける。