上原彩子の「くるみ割り人形」ピアノ独奏版

ジャパン・アーツの「夢倶楽部公演招待2014」で標記のコンサートが当選し、聴いてきた(1月24日 13:30/東京オペラシティコンサートホール)。席は1階2列目のかなり右寄り。ピアニストの手はまったく見えないが、表情はよく分かる。

アフタヌーン・コンサート・シリーズ 2014-2015 後期 Vol. 3


出演:上原彩子(ピアノ)

主催:ジャパン・アーツ
協賛:株式会社JM(なおしや又兵衛)

W. A. モーツァルト(1756-91):ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調トルコ行進曲つき」K.331(1783)
第1楽章 Andante grazioso – a theme with six variations
第2楽章 Menuetto – a minuet and trio
第3楽章 Rondo Alla Turca– Allegretto


モーツァルト:グラスハーモニカのためのアダージョ ハ長調 K.356(617a)(1791)


モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310(1777)
第1楽章 Allegro maestoso
第2楽章 Andante cantabile con espressione
第3楽章 Presto

K.331。出だしからタッチが少しぶっきらぼう。どこかやりにくそうで音が不揃いなところも。〝トルコ行進曲〟冒頭の16分音符は装飾音のように弾いていた。モーツァルトの様式とはあまり相性がよくないのか。客席から鈴の音が数回。2曲目のアダージョは悪くない。3曲目の、「パリ滞在中・・・同行した母が病没し・・・不安や悲しみの中で書かれた」第8番(柿沼唯/プログラム)では、11番より気持ちを入れやすそう。だが、総じてモーツァルトにしては弾き方がやや重く、多少粗っぽい印象を受けた。休憩に入る前、上原自身がマイクを持ち地元の岐阜にあるというだるま堂の「豆大福」を宣伝。自分も休憩時に2個食べるつもりだと。上原は生まれは香川県高松市だが岐阜県各務原市(かかみがはらし)で育ったらしい。モーツァルトの「暗いパトスがみなぎる一曲」(同前)を聴いた直後だけに、豆大福の話はかなりの異化効果。
休憩15分

P. I. チャイコフスキー(1840-93):バレエ音楽くるみ割り人形』Op.71(1892)より(**ミハイル・プレトニョフ/*上原彩子編曲:ピアノ独奏版)
「序曲」*
「行進曲」**
「クララとくるみ割り人形」*
「戦闘(ねずみと兵隊の戦い)」*
「間奏曲(冬の樅の森)」**
「スペインの踊り(チョコレート)」*
「中国の踊り(お茶)」**
「トレパック(ロシアの踊り)」**
「葦笛の踊り」*
「花のワルツ」*
「こんぺい糖の踊り」**
「タランテラ」**
「アンダンテ・マエストーソ(パ・ド・ドゥ)」**
「終曲のワルツとアポテオーズ」*

チャイコフスキーになると俄然のびやかになり、自由自在に弾きまくる。面白い。管弦楽の音色やバレエの情景を彷彿とさせ、モダンピアノの華麗さと潜在力の大きさを再認識させられた。
前半に「クララとくるみ割り人形」および「ねずみと兵隊の戦い」を自らの編曲で加えたのは、「冬の樅の森」へ一続きで繋げたかったからだろう。「戦い」では上原の真骨頂を発揮(といっても生で聴いたのは初めて)。低音の太い響きから絢爛たる高音域まで自在に往還しダイナミックに「戦い」を音で造形する。くるみ割り人形の兵隊たちがねずみの王を打ち負かす(実際はクララの投げたスリッパが功を奏するわけだが)激しい「戦闘」が、続く「冬の樅の森」の音楽をいっそう際立たせた。戦いの場面が遠のくと冬の樅の木々が一気に前景化される。崇高な自然のなかに佇むクララと王子。二人が踊るパ・ド・ドゥのバレエシーンが眼前に浮かぶようだった。「花のワルツ」は上原の編曲だが、特に後半での装飾的な高音(右手)の扱い等で聴かせる。そして、ハイライトの「アンダンテ・マエストーソ(パ・ド・ドゥ)」。上原はノッてくると左足(ペダルと反対側)で床を踏みしめる音の頻度が高まるらしい。大きなクライマックスと潮が引くような弱音。「終曲のワルツとアポテオーズ」では、大団円のあとフィクション(夢)から覚めて現実へ戻っていく。こころが動いた。
アンコールは『くるみ割り人形』から「アラビアの踊り」(上原編曲)と、『白鳥の湖』から第三幕冒頭の白鳥たちのワルツ。というか、後者は正確には『18の小品』Op.72(1893)から「きらめくワルツ(ヴァルス・バガテル)」。『白鳥』の蘇演時(1895)に指揮者のリッカルド・ドリゴが編曲し「白鳥たちの踊り」としてバレエに挿入した曲だ(同様に第三幕の「情景」はOp.72の「ショパン風に」を、第二幕のアダージョ後のオディールによるヴァリエーションはOp.72の「遊戯」を、それぞれドリゴが編曲した)。上原の演奏は豪快かつのびやかで、バレエ音楽のアンコールにはぴったりの選曲だった。
上手の袖から登場し、演奏を終えて退いていく後ろ姿。背中の筋肉はピアニストというより武道家のよう。このアーティストは多少のミスなどお構いなしにどんどん我が道を突き進む。気持ちが好い。チャイコフスキーコンクールのピアノ部門で女性として、また日本人として初の1位を獲得したのが2002年。もう13年になるのか。その後結婚し、現在は三児の母だという。日々の練習やコンサート活動と育児の両立はさぞ大変だろう。今後、こうした才能豊かな女性音楽家(芸術家)の活躍を可能にするもっとも重要な条件は、男たちの成熟かも知れない。