ブログを始めて三年足らず

ブログを始めて三年足らず。ちょっと雑な舞台批評 (review)に見えるが、本来の意図は劇場芸術の社会的機能について考えることだった。いまもそう。ただ、レヴューというなら、対象を舞台に限定せず、舞台と客席との交通や後者のありようまで含めた劇場体験そのものをreview(再吟味)したいとは思う。カーテンコールのやり方や客席の反応や落下音等に言及したのはそのためだ。これは体験を〝経験〟(森有正)に引き上げるために必要な手続きである。
そもそも舞台芸術は演技者だけでは成立しない。観客聴衆も一緒になってつくりあげるなにかである。文学や美術の場合、創作すれば、たとえ受容者がいなくとも、とりあえず作品をこの世に存在させることは出来る。だが、たとえば演劇は、劇作家が戯曲(台本)を書いても、それだけでは演劇は生まれない。俳優や観客のみならず、演出、美術、装置、照明等のスタッフ、なにより〝見る場所〟(シアター)がなければ成り立たないのだ。オペラやバレエに至っては、より大勢のスタッフや出演者が必要となる。その意味で、舞台芸術はきわめて社会性の高い営為といえるだろう。ハンス=ティース・レーマンは劇場芸術の特性を適確に言語化していた(1999年)。

モノを作り出し媒体を介して伝達される他の芸術とは対照的に、演劇/劇場では、美的行為そのもの(上演)と受容行為(観劇)の双方が、いまここでの現実の行いとして生起する。演劇/劇場とは、上演と見ることが同時に起こる空間であり、その空気を共同で吸いながら、共同で過ごされ使い尽くされる生の時間を意味している。そこでは、サインやシグナルの発信と受信が同時に起こる。演劇の上演は、舞台と観客席でのふるまいを共同のテクスト[joint text]に変える。これは、たとえ舞台であるいは俳優と観客の間で対話が交わされなくとも、ある種の「テクスト」である。それゆえ、演劇/劇場の記述は、このトータルテクストを読むことと結びついて初めて十分なものとなるのだ。(『ポストドラマ演劇』谷川道子ほか訳、強調原文、英語版により一部変更)

ギリシア語のテアトロン(見る場所)を語源とする西洋語の「演劇」は、周知のように「劇場」も意味する。「シアター」という語がソフトとハードの両方を含意することはきわめて意義深い。したがって、レーマンの定義は演劇以外の劇場芸術一般にも当てはまる。つまり演劇はもとより、舞台芸術の記述は、舞台上と観客席でのふるまいを接合(joint)した「トータルテクスト(total text)」の読解なしには十分とはいえないのだ。少なくともレーマンはそう考える。だとすれば、本来「舞台批評」の方も、〝劇場文化をフィールドワークする〟という視点が不可欠ではないのか。客席でのふるまいを捨象した舞台批評は〝トータル〟ならぬ〝パーシャル〟(部分的)なテクスト読解にすぎないから。
だが、悲劇の目的を、見る者に憐れみと怖れを抱かせ、その感情を浄化すること(カタルシス)にあるとしたアリストテレスも、また、この先駆的な演劇論を、運命に服従する受動的な態度の強化に繋がると批判し、カタルシスの前提となる〝感情同化〟に代わる芸術的手段として〝異化〟を導入したブレヒトも、共に、舞台と観客との交流が劇場芸術の根幹であることを見抜いていた。異化は、社会や制度をただ受け入れるだけでなく、支配し変革しうる構えを養うための仕掛けである。つまり、古代の悲劇論も現代の演劇理論も、舞台と客席をトータルに継ぎ合わせた「ジョイント(共同)テクスト」を精読するなかで構築された〝社会的機能論〟といえるのではないか。
ブログを始めるきっかけのひとつに3.11があった。2011年の東日本大震災及び福島第一原発事故以降、日本の演劇や音楽や舞踊等に携わる芸術文化の担い手たちは、自国が被った未曾有の惨状を目の当たりにし、自身の演劇観や音楽観への問い直しを迫られた。演劇に、音楽に、芸術に何ができるのか。だが、こうした問いは、戦時下で演劇人や芸術家が発した問いでもあったのだ。元々、戦争と文学(芸術)の関係に関心があり、個人的にいろいろ考えてきた経緯もあった。
芸術文化の社会的機能は、当然ながら、平時より戦時(危機)の方がはるかに顕在化しやすい。戦時の芸術文化は、一部の愛好家のみならず、危機に直面した国(家)や市民(社会)にいかに資するべきかが問われ、社会的な役割を担うことが強く要請されるからだ。似たような状況が、3.11以降のこの国では、ずっと続いていると思う。もちろん、芸術の社会的な機能や意義を問うことは無粋だし、ある意味、愚かかも知れない*1。時々そう思う。だが、一方で、戦時や震災時の状況を想起し、またレーマンブレヒトアリストテレスの言葉を励みにしながら、細々と「劇場文化のフィールドワーク」を続けている。

*1:たとえば、ヴァルター・ベンヤミンは『翻訳者の使命(課題)』(1921)の冒頭で、受容美学的なスタンスへの批判とも受け取れる言葉を記している。《ある芸術作品なり、ある芸術形式なりに相対して、それを認識しようとする場合、受け手への考慮が役立つことはけっしてない。特定の公衆やその代表者にかかわることは、どんなかかわりかたをするにせよ、道を踏みはずすことになるばかりではない。「理想的」な受け手という概念にしてからが、いっさいの芸術理論上の論議においては、有害である。なぜなら、その論議が前提としなくてはならないものはただ、およそ人間の存在ならびに人間の本質だけなのだから。したがって、芸術自体もまた、人間の身体的および精神的な本質を前提とする――けれども、芸術はいかなる個々の作品においても、人間から注目されることを前提としてはいない。じじつ、いかなる詩も読者に、いかなる美術作品も見物人に、いかなる交響曲も聴衆に向けられたものではないのだ》(野村修訳)。