2014新国立劇場オペラ[新制作]《パルジファル》

2ヶ月半前、書き殴ったメモをブログの下書き欄に打ち込みかけたが、あの頃かなり忙しく、今日まで放置してしまった。大晦日のいま続けようとしたら、舞台の記憶が薄れているうえに我ながらひどい悪筆で解読できない箇所がけっこうある。公演直後ならメモになくとも感触で補足しながら記せるが、それもかなわない。というわけで正確さの点では心許ないが、ひとつの記録としてアップしておきたい。
新国立劇場オペラのシーズン開幕公演《パルジファル》の初日と四日目を観た(10月2日16時・11日 14時/新国立劇場オペラハウス)。

パルジファル》全3幕〈ドイツ語上演/字幕付〉
作曲・台本:リヒャルト・ワーグナー
指揮:飯守泰次郎
演出:ハリー・クプファー
演出補:デレク・ギンペル
装置:ハンス・シャヴェルノッホ
衣裳:ヤン・タックス
照明:ユルゲン・ホフマン


アムフォルタス:エルギス・シリンス
ティトゥレル:長谷川 顯
グルネマンツ:ジョン・トムリンソン
パルジファルクリスティアン・フランツ
クリングゾル:ロバート・ボーク
クンドリー:エヴェリン・ヘルリツィウス
第1・第2の聖杯騎士:村上公太/北川辰彦
4人の小姓:九嶋香奈枝/國光ともこ/鈴木 准/小原啓楼
花の乙女たち:三宅理恵/鵜木絵里/小野美咲/針生美智子/小林沙羅/増田弥生
アルトソロ:池田香織
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団


協力:日本ワーグナー協会
主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場

【第1幕】序曲で「光の道」が稲光のようにジグザクに作られる。その先(舞台奥=上部)には三人の僧侶が袈裟懸けの姿で座っている。道の中ほどには白服の二人が倒れている。傷ついたアムフォルタスと彼を支えるグルネマンツ。その下の、光が当たらない暗い道には黒ずんだ服を着たクンドリーと聖槍を持ったクリングゾルが這いつくばっている。音楽の進行により、少しずつ動き(ドラマ)があり、舞台の前史を物語る。
セットはシンプルだがじつによく考えられている。光の道の向こうに三角定規を横に引き延ばしたようなかたちのスクリーンがあり、そこに〝湖に迫り出した岬〟の風景が映し出される。場面転換後、紗幕が下り、クレーンのような槍の切っ先が上手中程を基軸とする時計の針のように12時から逆回りで7時か8時の方角まで光の道のうえを廻転し、頭を下げる。その上には傷ついたアンフォルタス(エルギス・シリンス)が仰向けに横たわり、槍には赤色の光が灯る。グラール(聖杯)は子供が運んできて槍の先端近くに置き、ヴェールを取ると赤い光が灯る。光の道は時折その途中で暗示的に断絶する。女声合唱がよい。オケは地味でもっと透明感が欲しいところもあるが、堅実。
【第2幕】奥の細長い三角形のスクリーンにアルプスの地肌が映し出され、刻々動いていく。カラフルな光の洪水。花の乙女たちは、ステージ上は助演のダンサーたちだけで、歌手たちはピットで歌う。妖しい光の彩り。クンドリー(エヴェリン・ヘルリツィウス)とパルジファルクリスティアン・フランツ)とのやりとりは見応え/聴き応えがあった。特に前者が後者にキスして後、神となるあなたと一度でいいから結ばれたいと迫るシークエンスはすごい迫力。例の「笑った」の強音後の沈黙。ヘルリツィウスの歌唱は強度が高く、劇場内に気持ちよく響き渡る。衣裳は赤の下着から緑のドレスに赤いヴェール姿。少し動揺しながらもそれを斥けるフランツの歌唱が秀逸。強い声を楽々と出す。
【第3幕】知に至った愚者は僧侶から茶色(木欄[もくらん]というらしい)の袈裟(布)を貰い受け、それを身につけて聖杯城へ赴く。槍にその布をかけ、身体を隠すパルジファル。やがてグルネマンツと再会し、羞じらうように「ぼくです」と。このrecognitionシーンにはグッときた。グルネマンツはパルジファルに香油を塗り、王として承認する。音楽のクライマックス。パルジファルは英雄というより、はにかむようにobscureなたたずまいのまま。このときのフランツの在り方が素晴らしい。クンドリーがそんな彼の両足を洗う。洗礼はグルネマンツが施し、クンドリーが香油を塗る。今度はパルジファルが水差しの水を手にとり、それをクンドリーの頭にかける。ここで涙が出た。クンドリーは第3幕ではグレーの服(白ではなく)を着ており、地べたを這っていた以前とは異なり、たたずまいがしっかりしている。彼女は横になる。すると、光の道に緑色の光が灯され、野原になる。この時の音楽(聖金曜日の奇蹟)の素晴らしさ。後半部で、パルジファルは袈裟を三つに破り、それをクンドリーとグルネマンツに分けあたえ、光の道を歩んでいく。他の騎士たちにも同行を促すと、「えっ? オレが一緒に行ってもいいの?」というように古い服を脱ぎ捨てて、次々に光の道にあがっていく。道の先には僧侶(仏)が座っている。
このプロダクションはアジアの日本で上演することに意味がある。クリスチャン・フランツの、英雄然とせず、はにかみ羞じらうような、かといって卑屈では決してなく、内側に決意と確信を宿したパルジファルの人物造形(新約聖書のイエスもそう)は見事だった。彼への拍手がグルネマンツ役のジョン・トムリンソンより少ないのは舞台をトータルに評価しえていない証拠。残念。歌手はみな質が高かった。ヘルリツィウスは第2幕はいうまでもないが、ほとんど無言の第3幕のパフォーマンスこそ、彼女が一流のオペラ歌手であることを告げている。グルネマンツを歌ったジョン・トムリンソンは高齢にもかかわらず声量がすごい。長丁場の語りは、少し退屈ではあったが、たいしたもの。
東フィルは健闘したと思う。初日より四日目の方がこなれて、よく鳴っていた。芸術監督に就任した飯守泰次郎は、小手先ではない、じっくりと腰を落とした音楽作りが印象的。