チェルフィッチュ『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』

チェルフィッチュの『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』を観た(12月13日 14時/KAAT 大スタジオ)。

Theatre der Welt 2014(マンハイム/ドイツ)委嘱作品
作・演出:岡田利規
出演:矢沢誠(店長)/足立智充(まみや SV)/上村 梓(客1)/鷲尾英彰(バイト1=いがらし)/渕野修平(客2)/太田信吾(バイト2=うさみ)/川崎麻里子(バイト3=みずたに)

美術:青木拓也
衣装:小野寺佐恵(東京衣裳)
舞台監督:鈴木康郎
照明:大平智己
音響:牛川紀政
編曲:須藤祟規

主催:KAAT神奈川芸術劇場(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団)
企画・制作:KAAT神奈川芸術劇場、プリコグ
助成:平成26年文化庁 劇場・音楽堂等活性化事業(特別支援事業) 
協力:急な坂スタジオ
製作:チェルフィッチュ
共同製作:Theatre der Welt 2014 (マンハイム/ドイツ)、KAAT神奈川芸術劇場(横浜)、LIFT-London International Festival of Theatre (ロンドン/イギリス)、Maria Matos Teatro Municipal (リスボン/ポルトガル)、CULTURALSCAPES(バーゼル/スイス)、Kaserne Basel(バーゼル/スイス)、A House on FIRE co-production, with the support of the European Union

コンビニでの日常をJ. S. バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻に合わせて描いていく。全24曲はそれぞれプレリュードとフーガから成るため、実質は全48曲というべきか。そこへコンビニにまつわる様々なエピソードがはめ込まれ、例の独特な動きを伴いながら演じられ、語られる(役者は小型マイクを装着)。ちょっと〝番号オペラ〟のよう。役者たちは一曲が終わるまでに、というか、複数の曲に跨がるとしても、曲の中で時間を加減して演じなければならない。音源使用のため、オペラのように音楽が歌手に合わせて演奏されるわけではない(生演奏であったとしてもバッハの音楽はそのように作曲構成されていない)。ゆえに、役者はいつもより制約を感じるかも知れない。彼らの動きは(私が見たかぎりでは)これまでより大胆で、いっそうダンスに近い印象。音楽、台詞、動きの三つの要素がかなり拮抗している感じ。
いまの日本社会を象徴するものとしてのコンビニ。バイトと店長の関係、本部(スーパーヴァイザー=SV)と店舗(店長)の関係、出演しないバイトの韓国人留学生への微妙かつ絶妙な言及(お釣りの渡し方等)、都会のオアシス・・・。スーツ姿のSVが囚人服を思わせる制服姿の店長に発注量の少なさをぞんざいな言葉で詰る。このとき足立智充は、サッカーボールを相手に連続で蹴り込むような動き。バイト3の「みずたに」は劇団に所属する役者の設定だが、この役を演じた川崎麻里子は〝ふにゃっ〟としたキャラを、動き、表情、台詞回し等で見事に造形した。とにかく川崎の演技は破格的に面白い。ちょっといい加減なバイト1のいがらし(鷲尾英彰)がみずたにの愛想のよい接客態度に難癖を付ける条りも妙にリアル。こうした日本的サービス(過剰)の内実がドイツをはじめヨーロッパで公演されたのは興味深い。この日は英語字幕が付いた。彼の地の観客を視野に入れての創作は批評性をいっそう強めるのだろう。
かくして今回は(も)現代日本社会批判。ただ、芝居として少ししんどかった。内容ではない。このしんどさは、各エピソードを語る台詞が音楽の長さに従属している(と感じさせる)ためかも知れない。両者に微妙な齟齬を感じるところがあったから。そもそも演劇は制約の多い芸術だが、その制限から独特の自由や面白さが生まれる。だが、今回はバッハの24曲(48曲)という制約が、ところによっては芝居の流れを停滞させ、窮屈な印象を与えたように思われる。さらに、使われた音源はチェンバロ版だったが、バッハ好きとしては演奏が平板で単調に聞こえたため少々苦痛だった。ピアノ版はどうだったのか。ピアノだと、たとえマイクを使っても台詞(発話)が負けると危惧したのか。レチタティーヴォのイメージでチェンバロ版にしたのか。いずれにせよ、もっとよい演奏の音源があったのでは? それとも、わざと〝非芸術的〟な音を使ったのか。とはいえ、とても面白い試みであることに変わりはない。KAATは少し遠いがその価値は十分にあった。