新国立劇場 演劇『三文オペラ』初日

三文オペラ』の初日を観た(9月10日 19時/新国立中劇場)。

作:ベルトルト・ブレヒト
音楽:クルト・ヴァイル
翻訳:谷川道子
演出:宮田慶子
音楽監督:島 健


美術:池田ともゆき/照明:沢田祐二/音響:渡邉邦男/衣裳:半田悦子/歌唱指導:伊藤和美/ヘアメイク:川端富生/振付:前田清実/演出助手:高野 玲/舞台監督:白石英
共催:TBS/後援:TBSラジオ


CAST(台本順)

メッキース(メッキー・メッサー):池内博之
ジョナサン・ジェルマイヤー・ピーチャム:山路和弘
シーリア・ピーチャム:あめくみちこ
ポリー・ピーチャム:ソニン
ブラウン(タイガー・ブラウン):石井一孝
ルーシー・ブラウン:大塚干弘
酒場のジェニー:島田歌穂

【泥棒たち】
コインのマサイヤス:亀田佳明/鈎指のジェーコブ:おかやまはじめイード:原 慎一郎/鋸のロバート:大森いちえい/枝垂れ柳のウオルター:金 成均/ジミー:今國雅彦/キンボール牧師:チョウ ヨンホ

【乞食たち】
フィルチ:片岡正二郎/第一の乞食:上杉陽一/第二の乞食:川口高志/第三の乞食:遠藤広太/第四の乞食:稲葉俊一/第五の乞食:大里秀一郎/第六の乞食:寺内淳志

【娼婦たち】
年取った娼婦:田中利花/ヴィクセン:小見美幸/ドリー:大須賀裕子/ベティ:木村晶子/モリー:枝元 萌/第二の娼婦:北澤小枝子

【警官たち】
スミス:佐川和正/警官1:窪田壮史/警官2:伊藤 総

【演奏】
ピアノ&オルガン:江草啓太/バンジョー&ギター:青木 研/コントラバス:早川哲也(佐瀬 正 23日)/パーカッション:長谷川友紀(石崎陽子 12・17・18・19・20日)/リード1:今尾敏道/リード2:小笹貞治(大橋一徳 12・17・18・20・27・28日)/トランペット1:松本浩昭(岡田恭一 13・14・15・20・21・27日)/トランペット2:丸本靖子(長尾令子 14・15・25日)/トロンボーン:鍵和田道男(橋本佳明 11日)

セットは舞台の両側から中央奥の高みへ登る二つの階段があるだけ。その高みには絞首台がありそうだが、いまは暗くて見えない。9人のオケ(バンド)は下手階段奥に陣取る。階段の骨組みやアーチの間から僅かに見える程度。下手の入り口と階段の間にはソングのタイトルを紙芝居式に手動で示すパネルがある。両階段に囲まれた中央部と階段下方が主な演技場。各景毎のタイトルは、役者たちが口頭で語る。ピーチャム商会の場では、何着もの「乞食の衣裳」を掛けた物干しが二本高く掲げられ、首吊りを連想させる。
基本的にブレヒトの台本に忠実な舞台。蜷川版やこんにゃく座のような、あっといわせる創意や趣向があるわけではない。役者たちはオーソドックスな枠内で、その場に応じ、みな生き生きと動く(ここに創意があったろう)。マイクを使用せざるを得ない中劇場の物理的制約もあり、「うねり」が起きたわけではない。ただ穏やかな空気のなかで、生きた舞台が現出した。
ピーチャム役の山路和弘は機転を利かせる自在さで、舞台を牽引した。芝居も歌もうまい。ポリーのソニンは自由闊達に歌い、喋り、跳ねた。見たのは『ヘンリー六世』のジャンヌ・ダルク以来だが、舞台人としてかなりの成長を感じる。コインのマサイヤスに扮する亀田佳明はキャプテン(メッキース)を〝内輪〟から相対化する脇役として出色だった。たとえば三幕で収監されたメッキースを二度目に訪れる際、片脚を大きく振り上げスキップして登場する。彼には脱獄に必要な賄賂の金を用立てる気など端からないのだ。身体の動きがそう告げていた。入りではその振りを咎めた連れのジェーコブ(おかやまはじめ)も、釣られて同じスキップで退場する。笑った。ブラウン役の石井一孝は、前半あまりの二枚目ぶりにミスキャストかと思いきや、後半では見事な喜劇芝居。このミュージカル俳優は、ブレヒト劇での歌のうまさの序列をよくわきまえている。一方、ジェニーの島田歌穂は歌唱力への自意識を捨てきれない。シーリア・ピーチャムを演じたあめくみちこがこんな役も出来るとは。ピーチャム夫人は「実は元娼婦で後妻なんじゃないかと、演出家として勝手な妄想を」したという(宮田慶子/プログラム)。確かにあめくの太い存在感がよく効いており、宮田の解釈に納得した。メッキース役の池内博之はさほど器用ではないし歌も普通だが、なんといっても花がある。彼を主役に立てると、演出家は動機付けが高まるのかも知れない。回りが彼をよく盛り立て、彼もそれによく応えたと思う。ルーシー役の大塚干弘は快活な演技と歌で貢献した。フィルチに扮した片岡正二郎の飄々とした存在感は、達者なヴァイオリン同様、舞台にひと味添えていた。鋸のロバートを演じた大森いちえいは、オペラ劇場で芝居が目立っていたバスの合唱団員だ。団員が演劇に(といっても〝オペラ〟だが)出演するのは初めてか。なんか嬉しい。スミス役の佐川和正は、メッキースにまんまと脱獄されたマヌケぶりは秀逸だった。ひとり牢の中で間が持てず音楽を所望するが、首を振るミュージシャンたち。「スミスの音楽はないんだあ」。役者とオケとの遣り取りがここだけだったのは残念。
オケを前面に出し歌い手との遣り取りがあれば、よりブレヒト(オリジナル)的な舞台になったのでは。何より演奏が見えれば、ヴァイルによるソング毎の曲調の変化がもっと感取できたはず。
で、この舞台から何を得たか。楽しさ以外にどんな認識を。強いていえば、「馬上の使者」の「登場」でメッキースの絞首刑が国王(女王陛下)により恩赦された後、ピーチャム夫妻が歌う言葉が印象的。

ピーチャム夫人「これですべてが ハッピーエンド/人生とは こんなに簡単なものなのね/王様が馬上の使者で救いの手を差しのべてくださりさえすりゃあね」。
ピーチャム「だから すべてはあるがままにしておくこと/そして唄おうぞ 今観て頂いた/貧乏人の中でも厳しい人生を送る最高の貧乏人の歌曲(コラール)を/現実の世界では こうはいかない/ひどい末路だ 国王の馬上の使者などめったに来ない/踏みつけられたり 踏みつけたり/だからあんまり不正を追及してはいけない」
(第三のフィナーレ)

今回の舞台は特別こうしたメッセージが強調されたわけではない。むしろ、ほどよい〝中庸〟が目指されていたような印象だ。「中庸」はブレヒトが批判したアリストテレス詩学ではなく倫理学)の中心的価値観だが、それはそれでよい。舞台の後味は悪くない。
中日以降に再度観る予定。舞台がどのように成長しているか、楽しみだ。