勅使川原三郎の『睡眠 ― Sleep ―』を観た(8月17日 16時/東京芸術劇場プレイハウス)。
先月『空時計サナトリウム』の再演を見たばかりだが、これはパリ・オペラ座バレエ団のエトワールを迎えての新作だ。以下、簡単にメモする。
構成・振付・美術・照明:勅使川原三郎
出演:オーレリー・デュポン 佐東利穂子 鰐川枝里 勅使川原三郎 他
主催:東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
助成:文化庁ロゴマーク平成26年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業
協力:公益財団法人日本舞台芸術振興会
共同制作:東京芸術劇場 愛知芸術文化センター愛知県芸術劇場 兵庫県立芸術文化センター KARAS
選曲がよい。J. S. バッハの平均律や無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(パルティータ?)等々の古典音楽が電子的に処理(ディストート)される。睡魔に襲われたときの〝聞こえ〟をイメージしたのか。闇のなか、正方形の透明な薄板が何枚も巧みに配され、動かされ、計算された照明が加わり、見事な効果を上げる。踊りのシークエンスが変わる際、雷鳴もしくは爆弾(原子爆弾?)が落ちたような轟音が響く。ペルトの音楽に、全員が超スローモーションで踊る。見ていて気持ちが好い。後半、趣きのまったく異なる、スラブ的な弦楽ワルツの曲でふたりの女性が踊る。明るい印象的な音楽。『くるみ割り人形』の「葦笛の踊り」が流れるなか、照明が作り出す方形の領域で、小柄の女性がハチャメチャに踊る。そこへ芋虫のようにダンサーが奥から這い出してくる。その間、赤子の泣き叫ぶ声とガラスを叩き割る音が「葦笛」の音楽を圧するように繰り返される。先の爆発音や悲鳴等と勅使川原お得意の痙攣したような動きを合わせれば、何らかの意味を結ぶのかも知れないが・・・。
オーレリー・デュポンは力を抜いて伸びやかに踊る。佐東利穂子とのデュオで、佐東は強度を高めキレよく踊るが、デュポンは同じ動きを脱力したまま踊る。そう見える。この対照が面白い。デュポンは立ち姿、歩く姿が美しい。それでも、彼女が出演する意味はさほど感じられない。その存在が、創り手に幾分か自己相対化を促す効果はあったかも知れない(彼にはそれが必要だ)。が、デュポンに振り付けた踊りに新味は乏しい。彼女である必要性が客寄せ(これも重要だが)以外にどれほどあったか。
舞台にはいつものように対話はない。みな、それぞれ勝手に独白している感じ。その意味では、デュポンの人選は正解というべきか。
カーテンコールは変だろう。1人ずつ、または2人ずつ、客席にレヴェランスしたのち、暗転。ダンサーたちは捌けないでそのまま舞台に残る。それが分かるため、拍手は止めにくい。ゆえに、すぐまた照明が舞台を照らし、再び挨拶する。この繰り返し。これでは、いつまでたっても終わらない。途中からデュポンは苦笑していた。これは客席と舞台の対話ではない。むしろ、対話の回路を絶っている。象徴的。
選曲、照明、演出等はじつに洗練され、構成も見事だ。勅使川原本人の出演しない勅使川原作品を見たい(2000年に観たオペラ《トゥーランドット》は素晴らしかった)。