ダンス・アーカイヴ in JAPAN ─未来への扉─ a Door to the Future【追記 楽日も見た】

「ダンス・アーカイヴ in JAPAN ─未来への扉─ 」の初日を観た(6月6日 19時/新国立中劇場)。
【さきほど楽日も見てきた。初日の席は1階15列目のほぼセンターだったが、今日は左側の18列目。やはり角度が違うと印象も少し変わってくるから面白い。】

第一部

『日本の太鼓』(1951年)The Drumming of Japan
振付:江口隆哉(1900-77)
音楽:伊福部 昭(1914-2006)
演奏:上田 仁 指揮、東宝交響楽団(現・東京交響楽団) ※録音音源(モノラル録音)を使用
作品責任者:金井芙三枝
出演:大神田正美、坂本秀子、長谷川秀介、岩澤 豊、木許惠介、山本 裕、高橋純一、鈴木泰介


『日本の太鼓』と『プロメテの火』の音楽は昨年6月「伊福部昭 生誕100年プレコンサート」で広上淳一指揮する東京交響楽団の演奏で聴いた(ミューザ川崎シンフォニーホール)。そのさい舞台上部のスクリーンに、音楽と同期はしなかったが、宮操子三回忌メモリアル「江口・宮アーカイヴ」公演(2011年5月15日)の舞踊映像が映し出された。今回は「1950年代に江口・宮舞踊団が地方公演で使用した」モノラル音源での舞台だが、生の踊りを前にすると音楽の聞こえ方がまったく違う。「第一楽章 八ッの鹿(しし)の踊り」は例の「ゴジラ」っぽい楽想だが、「第三楽章 二ッの鹿の踊り」のクラリネットによるユーモラスなフレーズは『シンデレラ』の冬の精(プロコフィエフ)を彷彿とさせる面白いメロディー。「第二楽章 女鹿かくし」では、6人の男鹿たちが1人の女鹿を白い装束の男鹿から文字どおり「かくす」。【プログラムをよく見ると大神田正美の役は「親鹿」とある(文字が小さい!)。するとこの男女は父娘だったのか。】文化人類学的な意味が読みとれそうだが、詳細は不明。ただ、3月に「NHKバレエの饗宴」でスターダンサーズ・バレエ団がやったバランシンの『スコッチ・シンフォニー』にも似たような場面があったと思う【もちろんあれは親子ではなく男女のエロス的関係だった】。いずれにせよ、獅子頭を被り、まさに獅子舞の様な装束を纏ったうえ背中に二本の長いささら(竹)を付けて腰の太鼓を叩きながら踊るのは、かなり骨が折れるだろう。上体を深く前傾させて、そのささらの上部で地面を叩く動きが何度も繰り返される。特に「第四楽章 八ッの鹿の踊り」での、客席に近づいてのささら叩きは迫力があった。歌舞伎の連獅子の毛振りを連想させる(そういえば、H・アール・カオスの『春の祭典』でも白川直子が濡れた頭髪を激しく「毛振り」していた)。
【二回目はさらに面白く見ることができた。ささらを床に叩きつける前は必ず両手を前後に回すなど、興味深い動きが少なくない。】

第二部

1.『ピチカット』(1916年)Pizzicati
振付:伊藤道郎(1893-1961)
音楽:レオ・ドリーブ バレエ『シルヴィア』より「ピチカット」
作品責任者:井村恭子
演奏:杉山麻衣子(vl.)、阿部篤志(pf.)
出演:時田ひとし(6,7日)/妻木律子(8日)

伊藤道郎といえば、弟に演劇の千田是也(伊藤圀夫)や舞台美術の伊藤熹朔がいる。舞台の世界で開花する強力なDNAを共有していたのだろう。太極拳のような出で立ちで、両足を広げたまま中腰で上半身を動かすのだが、武芸の型のようにも見える。動きの力強さとドリーブの軽やかな音楽とのコントラストが面白い。
【初日の時田ひとし、楽日の妻木律子、共に強度の高い演技。後方のスクリーンに映し出される大きなシルエット。音楽の高まりと共に、上方(天)への志向性が上半身(特に両腕と目線)で表現されるが、音楽が止むと同時に上体が下方へガクンと落ち込んでしまう。まるで、オペラ《ホフマン物語》に出てくる自動人形(ゼンマイ仕掛け)のオランピアみたい。】

2.『母』(1938年)Mother
振付:高田せい子(1895-1977)
音楽:フレデリック・ショパン 練習曲 op. 10-3「別れの曲」
作品責任者:山田奈々子
演奏:今川裕代(pf.)
出演:加賀谷 香(6,7日)/馬場ひかり(8日)

ケーテ・コルヴィッツが描いた母親のように黒いヴェールを被って登場。コルヴィッツの母ほど骨太な感じではないが、強さを表出する動きではかなり力強い。ただ、音楽に「別れの曲」を選んだ時点で踊りの中身がいくぶん限定されたか。
【初日の加賀谷香は慈愛と勁さのコントラストが際立っていたが、楽日の馬場ひかりはやや抑えた感じ。】

3.『タンゴ三題』 Tango Trilogy
演奏:阿部篤志(pf.)


「タンゴ」(1927年)
振付:伊藤道郎
音楽:イサーク・アルベニス「Tango in D」
作品責任者:井村恭子
出演:武石光嗣               
 
「タンゴ」(日本初演1936年)
振付:小森 敏(1887-1951)
音楽:イサーク・アルベニス「Tango in D」
作品責任者:藤井利子
出演:柳下規夫           
 
「タンゴ」(1933年)
振付:宮 操子(1907-2009)
音楽:エドガルド・ドナート「Julian」
作品責任者:金井芙三枝
出演:中村恩恵

いま生きているダンサーの動きから作品が生み出された時代の空気を想像してみる。特に年輪を重ねた柳下規夫の踊りを見ていると、彼自身、いまは失われた往時の世界を思い描いているように感じられ、なぜかグッときた。赤いコスチュームに身を包んだ中村恩恵のタンゴは素晴らしい。集中力と気の力は破格。宮操子の作品よりもむしろダンサーの素晴らしさを堪能した感じ(W. B. イエイツも歌っているように、踊り子と踊りは区別できないのだが)。ここだけ「ブラッボー」を連呼する人がいたが、武石光嗣、柳下も大変よかった。
【楽日も柳下規夫の踊りに魅せられた。素晴らしい。中村恩恵のタンゴは、孔雀が羽根を広げるときのようなスケールの大きさと華やかさがある。大したダンサーだ。】

4.『BANBAN』(1950年)
振付:檜 健次(1908-83)
音楽:宅 孝二(1904-83)
作品責任者:石川須姝子
演奏:今川裕代(pf.)
出演:島田美智子、関口淳子、宮本 舞、富士奈津子、青木香菜恵、森田美雪、田中朝子、池川恭平、木原浩太

水田で農作業をするような出で立ちで9人がコミカルにかつ軽快に踊る。【アジア的な味わい。木原浩太はこの日もキレがよい。】

5.『食欲をそそる』(1925年)Whetting Appetite
振付・音楽:石井 漠(1886-1962)
作品責任者:石井かほる/石井 登
演奏:加藤訓子(per.)
出演:ハンダイズミ、藤田恭子、池田素子、土屋麻美

ピエロを思わせるコスチュームを着た4人が、木魚と鉦(?)の軽妙な音に合わせて身体を動かし、止める。即興的に見えるが、計算されているのかも知れない。【というか、パーカッショニストとダンサーとの対話に臨場性(ある種の即興性)が感じられるというべきか。パーカッションの加藤訓子は素晴らしい。】

6.『白い手袋』(1939年)White Gloves
振付・音楽:石井 漠
作品責任者:石井かほる/石井 登
演奏:加藤訓子(per.)
出演(新国立劇場バレエ団)貝川鐵夫、中田実里、成田 遥 

何だこれは。【白いロングの手袋に】黒のドレスの女二人と、白いタイツに白手袋を嵌め上半身は顔まですっぽり黒ずくめの男。これら三人が、パーカッション【バチと素手によるバスドラムとシンバルと木片?】の打音に合わせて【というより共演しながら】奇妙な動きを繰り広げる。石井漠は、少なくとも二つの小品を見る限り、日本的な湿り気のある情緒や感情を完全に相対化している。すごく自由な感じ。こんな舞踊家が居たのか。崔承喜が彼の所に居たのはちょっと不思議。【両作とも銅鑼の音と共に始まりかつ終わる。どこか、サーカスや見世物小屋のテイストが感じられた。】

第三部

春の祭典』(2008年)The Rite of Spring
振付:平山素子/柳本雅寛
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー(4手ピアノ編曲版)
演出・美術原案:平山素子
照明:小笠原 純
演奏:土田英介(pf.)、篠田昌伸(pf.)
出演:平山素子/大貫勇輔

スタッフ
照明:杉浦弘行/音楽監修:笠松泰洋/音響:河田康雄/舞台監督:柴崎 大
主催:新国立劇場
制作協力:一般社団法人 現代舞踊協会
ダンス・アーカイヴ in JAPAN(DAiJ)企画運営委員会:正田千鶴、片岡康子、加藤みや子、妻木律子、波場千恵子、池田恵

ステージより1.5mぐらい上げられた奥ステージに2台のピアノが置かれている。手前の舞台は石灰のような粉が投げつけられた感じだが、そこが照明で円形に照らされると塩が撒かれた土俵に見える。ここで、平山素子と、今回は柳本雅寛に代わり大貫勇輔が踊る。上段のピアノ演奏はステレオ効果が新鮮でなかなかのものだった。一方ダンスの方は、演出は悪くないが、以前よりエネルギーの量や強度が減退したように感じた。今回の企画で『春の祭典』が適切だったかどうか。選んだのは主催者か。個人的には『ボレロ』を見たかった。まだ一年しか経っていない作品は再演するには早すぎたのかも知れない。
【初日も感じたが、平山作品に見られる激しさやある種の〝暴力性〟はH・アール・カオスなしにはありえなかったように思われる。もちろん、平山はそこからさまざまなプロセスを経て、いまや独自のダンスを創出したのだが。】
いずれにせよ、今回の企画はとても面白い。舞踊の場合、100年前の作品をいまここに存在させる(再現する)のは骨の折れる仕事だろう。だからこそ、新国立が主催するに相応しい。来年、第二回を上演するのは喜ばしいことだ。継続していけば日本のダンス界にとって力になるはず。
【上記の通り楽日は1階18列の左寄りに座ったのだが、(たぶんさらに二列)後方から女性のヒソヒソ声が間断なく聞こえてきた。たとえば『春の祭典』冒頭のピアノ演奏時に臨席と話をするのは音楽を聴いていない証拠だろう。だが、中村恩恵が密度の濃いソロを踊っているとき喋る輩は、何をしに来ているのか。ダンスを見るためでないことだけは確かだ。もしかしたら彼女らは、なかば無意識に、ステージ上のダンサーたちを阻害したいのかも知れない。隣もしくは前後の人が注意してくれるとよいのだが。】