新国立劇場バレエ「バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング」/色彩感あふれる『火の鳥』/じつに面白い『アポロ』/前近代的な味わいの『結婚』

新国立劇場バレエのオープニングを飾るトリプルビル「バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング――火の鳥/アポロ/結婚」の初日と二日目を観た(11月13日・15日 19時/新国立劇場オペラハウス)。

音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)
指揮:クーン・カッセル
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団


火の鳥The Firebird(初演 1910年パリ)
【振付】ミハイル・フォーキン(1880-1942)
【装置】ディック・バード
【衣裳】ナターリヤ・ゴンチャローワ
【照明】沢田祐二
【ステージング】デニズ・ボナー
【出演】
火の鳥:小野絢子(13・16日)/米沢 唯(15・17日)
イワン王子:山本隆之(13・16日)/菅野英男(15・17日)
王女ツァレヴナ:寺田亜沙子(13・16日)/本島美和(15・17日)
カスチェイ:マイレン・トレウバニフ(13・16日)/古川和則(15・17日)
ほか新国立劇場バレエ団

初日。小野絢子の火の鳥は単独飛行では可愛い鳥だが、イワン王子に捕まって以降の絡みは面白く、ユーモアもある。山本隆之の王子は落ち着きのある整った造形。もっと腕白でもよいがノーブルなたたずまいは健在だった。王女ツァレヴナの寺田亜沙子は以前より余裕を感じさせる。13人の王女たちがリンゴを転がしながら踊るシークエンスを見ると、微笑ましい気分になる。魔王カスチェイのマイレン・トレウバニフは悪役のツボを心得ており、さすがの演技。王子が火の鳥を呼び出して以降の、群舞とカスチェイや火の鳥が繰り広げる舞台は、鮮やかな色彩感を含め、歌舞伎の外連を想わせる様式的な味わい。音楽は少なくとも三年前ポール・マーフィが振ったときよりストラヴィンスキーらしく聞こえた。劇場初登場のクーン・カッセルはベルギー人で、細川俊夫の一幕オペラ《班女》の再演をモネ劇場で振ったこともあるそうだ。現代音楽が得意な指揮者らしい。ただ、総じてもっと鮮烈な切れ味が欲しい気もした。
二日目。米沢唯の火の鳥には驚かされた。本物の鳥に見えた。登場する度に羽ばたき方が違う。黄金のリンゴを採りにきてイワン王子に捕まったときの野性味には思わず眼を見張った。イワン王子に呼び出された火の鳥がカスチェイの手下たちを「疲れて地に倒れるまで踊らせる」シーンもそう。上手寄りの火の鳥はハープを爪弾くように手の指を微細に震わせる。すると舞台中央の、王女たちを含む城の住人たちは身体を揺らしながら地に倒れる。鳥の羽から魔力の波動が彼らに及んでいく様が見えるようだった。すべてを支配しているのは火の鳥なのだ。菅野英男の王子はノーブルでいたずらな感触もあった。最後の大団円では少し硬いが、菅野が舞台に居ると周りのダンサーたちに血が通う。結果、幕切れはグッときた。カスチェイの古川和則は少し大人しい。もっと表情(お茶目)を出してもよい。この指揮者は美しさよりもプリミティヴな荒々しさを優先させているのか。それに応えるには、オケの、特にホルンやトランペットの性能を上げる必要がありそうだ。子守歌でのファゴットのソロはもっと深みのある音色がほしい。

『アポロ』Apollo(初演 1928年パリ)[新制作]
【振付】ジョージ・バランシン(1904-1983)
【ステージング】ベン・ヒューズ
【出演】アポロ:福岡雄大(13・16日)/コナー・ウォルシュ[ヒューストン・バレエ](15・17日)
テレプシコール:小野絢子(13・16日)/本島美和(15・17日)
カリオペ:寺田亜沙子(13・16日)/米沢 唯(15・17日)
ポリヒムニア:長田佳世(13・16日)/奥田花純(15・17日)
レト:湯川麻美子(13・16日)/千歳美香子(15・17日)

初日。冒頭でレトがアポロを生む場面は官能的。湯川麻美子のゴージャスさが顕現した。三人(柱?)のミューズが登場すると、思わず頬が緩む(これは好い舞台になる私的徴候)。「詩の女神」カリオペはアポロから書字板を、「劇の女神」ポリヒムニアは仮面を、「舞踊の女神」テレプシコールは小さな竪琴を、それぞれ受け取る。カリオペのソロは寺田亜沙子。口から何かを外へ出すような仕草を何度も繰り返す。ポリヒムニアの長田佳世は口を押さえ、何度も「しーっ!」の仕草。人差し指を口元に近づけたまま踊るのはさぞ大変だろうが、長田は難なくやってのける。最後に思わずどっと口走るオチが面白い。三人目の、小野絢子によるテレプシコールの踊りに笑いは無縁。ただただ美しく端正な踊り。福岡雄大のアポロは体温が高そうな大らかな造形。それでいて、キレもある。結局、アポロがテレプシコールとパ・ド・ドゥを踊るのは、文学や演劇よりも舞踊を愛するバランシンの依怙贔屓? 
弦楽のみの音楽は美しいが、チェロのはっきりしない音が幾度か聞こえたのは気のせいか。
二日目。やはり面白い作品。ゲストのコナー・ウォルシュはよいダンサーだが、マッチョな踊り。もっと端正さや様式性があってもよい(ゲストを呼ぶ必要はあったのか)。カリオペの米沢は、いきなり苦しそうに腹をぐっと押さえたのち、何かを吐き出すような動き。圧倒的な表情を帯びたその踊りから、これも産みの苦しみであることを教えられた。レト(千歳美香子)は呻吟の後アポロを出産したが、「(叙事)詩の女神」カリオペは『オデュッセイア』のような作品を生み出すのだ。ただ、ソロの途中でポアントがガクンと落ちたがすぐに立て直した。直前の火の鳥でよほど脚を酷使したのだろう。ポリヒムニアの奥田花純は特に個性を感じなかったが、踊りは安定していた。「舞踊(と合唱)の女神」テレプシコールの本島美和は立ち姿は均整がとれてよいのだが、踊ると手脚がいまひとつ生きてこない。それでも、まずまず、そつなくこなしたといってよい。
プログラムによれば、ポリヒムニア(Polyhymnia)は「劇(play)の女神」とある。だが、字義からいえば「賛歌(hymns)の女神」でエンブレムはヴェールのはず。マスクを持つのはタレイア(喜劇)かメルポメネー(悲劇)だ。ただし古代ギリシアでは、ミューズ(ムーサ)たちは今でいう〝芸術文化〟を包括的にカバーする「ムシケー」mousike = the Muses' arts(「ミューズたちがつかさどる技芸」の意で music の語源)のあらゆる側面を九人(柱)で集合的に体現し、「舞踊、歌、詩(劇や叙事詩を含む)、そして喜び/娯楽に重点を置いていた」という(ペネロウプ・マリ)。各ミューズのつかさどる領域が定められたのは、ローマ時代もかなり後になってのことらしい(高津春繁)。結果、ポリヒムニアが管轄する領域も幅広く、英語版ウィキペディアはこの女神の分野を「聖なる詩、聖なる賛歌、舞踊、雄弁」とし、さらに「農耕とパントマイム」も付け加えている。絵画などでポリヒムニアが瞑想的な姿態で描かれるのは、宗教(聖なる)賛歌をつかさどる女神ととらえたからだ。左手の人差し指を立て左頬にあてがうのは、物思いにふけるポーズだから。それを、バランシンは静寂を示唆する「しーっ!」のポーズにわざと読み替えたのだろう。強度の高い長田佳世の踊りを見ると、この女神は、元来は「聖なる賛歌の女神」ゆえに瞑想したいところだが、アポロにヴェールならぬマスクを与えられたため、「パントマイムの女神」として、マイム(黙劇)に言葉は禁物だから瞑想ではなく「しーっ!」の仕草を繰り返した、ところが別の〝地〟ならぬ「雄弁の女神」が顔を出し、思わず喋ってしまった。そんなふうにもとれる。いずれにせよ、面白ければよいのだと思う。実際、とても面白かった。

『結婚』Les Noces (The Wedding)(初演 1923年パリ)[新制作]
【振付】ブロニスラヴァ・ニジンスカ(1891-1972)
【装置・衣裳】ナターリヤ・ゴンチャローワ
【照明】ジョン・B・リード
【ステージング】クリストファー・ニュートン クリストファー・サンダーズ
【バレエマスター】クリストファー・サンダーズ
【出演】花嫁:本島美和(13日・16日)/湯川麻美子(15日・17日)
花婿:小口邦明(13日・16日)/福岡雄大(15日・17日)
両親:千歳美香子 堀口 純 マイレン・トレウバエフ 輪島拓也
友人と村人たち:奥田花純 古川和則(13日・16日) 奥村浩介(15日・17日)
ほか新国立劇場バレエ団
ソリスト歌手:前川依子(ソプラノ) 佐々木昌子(アルト) 二階谷洋介(テノール) 塩入功司(バス)
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)
ピアノ:池内章子 奥谷恭代 小埜寺美樹 成田良子


滅多に見られない演目。音楽だけなら六年前のフォル・ジュルネで聴いた(2007年/ホールC)。ダニエル・ロイス指揮のカペラ・アムステルダム(合唱)+ムジーク・ファブリーク(アンサンブル)。ソリストにキャロライン・サンプソン(ソプラノ)やデイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(バス)等を加えた豪華メンバーで、曲が終わると一斉にスタンディングの大歓声が起きた。知人はもっとドライな味が欲しいといっていたが、よい演奏だった。【追記 CDで『結婚』を聴くと必ず『カルミナ・ブラーナ』を想起する(エルンスト・アンセルメ指揮のDECCA版)。もちろん、カール・オルフ(1895-1982)の『カルミナ』(1937)が『結婚』(1923)に影響を受けているのだが、前者の方が聴く機会が圧倒的に多いため、ついアナクロニズムに陥ってしまう。楽器編成こそ『結婚』がピアノ四台にパーカッションで『カルミナ』はフルオーケストラだからかなり異なるが、共に合唱(後者は児童合唱も)+声楽ソリスト(前者は4・後者は3)にピアノを含むパーカッションを重視し、前近代的でプリミティヴな志向を有するため、似たような感触を受けるのかも知れない。】
初日。個が埋没したような、ロシア農民の共同体的な在りようが実に見事に浮かび上がる。結婚式はここではいわゆる幸福の儀式ではない。にこりともしないダンサーたちが傾げた頭を楔のように左右から交互に重ねてゆき、ピラミッド型を形成する。面白い。花婿の小口邦明が前近代的な青年を造形し見事。一方、花嫁の本島美和はアイドルのような場違いなアウラを発散させ、違和感を覚えた。IV 場の「結婚の宴」では群舞の向こうに一段高く室内を表す空間が現れ、二人の両親が土壁を背にしたベンチに腰掛けている。時折、立ち上がり、歌詞に合わせて(たぶん)かたちを作り、また座る。蝋人形のようにも見える。手前の群舞も興味深い踊りを展開するが、歌詞の意味を写実的に表すような動きは避けられている。
二日目。素晴らしい。初日は9列目のやや左寄りから見たが、この日は15列目のど真ん中。振り付けが隅々までよく分かる。花嫁・花婿は湯川麻美子と福岡雄大。二人とも作品の趣旨をよく理解している。さすが。千歳美香子はこの日二つの母役(レト/花嫁の母)を演じたが、どちらもよかった。娘役の湯川の方が背は高いが、千歳は母の佇まいを見事に造形。群舞の隊列と足技。友人役奥村康祐の群れから飛び出してのソロは、キレを出そうとするあまり、前近代的な味わいからはみ出しそうになる。なんとかとどまったが。ダンサーたちの首を傾げた顔を見ると、心が和む。なぜだろう。『アポロ』にも見られたが、ここではひとつやふたつではなく、大勢の人間の首を傾げた顔また顔である。なんともいえない(感)情が湧いてくる。この作品は、近代化された生活のなかで使わなくなった脳の、したがって身体の部位を刺激する。合唱もソリストもロシア語は大変だったと思うが、好演した(ソリストのアルトはもっと出してもよい)。初日はピアノの音があまり聞こえなかったが、二日目はさほどでもなかった。座席によるのかもしれないが、やはり打楽器のような、より強い響きがほしい。
両日ともカーテンコールで湧いた。観客は大いに喜んでいる。バレエファンのみならず、音楽(ストラヴィンスキー)ファンも来ていたのだろう。質の高い合唱団を有する新国立劇場ならではの公演だ。ビントレーが去った後も、ぜひ、劇場のレパートリーとして残して欲しい。