新国立劇場オペラ《リゴレット》新制作/美と醜の同居

2013/2014シーズンの新国立劇場オペラは新制作の《リゴレット》で開幕した(10月3日 19時/新国立オペラ劇場)。

[新制作]
Giuseppe Verdi : Rigoletto
ジュゼッペ・ヴェルディ/全3幕
【イタリア語上演/字幕付】


スタッフ
【指揮】ピエトロ・リッツォ
【演出】アンドレアス・クリーゲンブルク
【美術】ハラルド・トアー
【衣裳】ターニャ・ホフマン
【照明】シュテファン・ボリガー
【振付】ツェンタ・ヘルテル
【合唱指揮】三澤洋文
【音楽ヘッドコーチ】石坂 宏
【舞台監督】村田健輔


キャスト
リゴレット】マルコ・ヴラトーニャ
【ジルダ】エレナ・ゴルシュノヴァ
マントヴァ公爵】ウーキュン・キム
【スパラフチーレ】妻屋秀和
【マッダレーナ】山下牧子
【モンテローネ伯爵】谷 友博
【ジョヴァンナ】与田朝子
【マルッロ】成田博之
【ボルサ】加茂下 稔
【チェプラーノ伯爵】小林由樹

【合 唱】新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団


【制作】新国立劇場


舞台は現代のホテル。第一幕・第二幕は、その外壁を剥ぎ取り、三つの階層の廊下や各部屋のドア部を外側から可視化した円筒形の建物。これが話の進行に応じて廻転する。地上階手前の両袖にはホテルのバーが設えられている。第三幕は、ホテルの屋上(ちなみに第三幕後半の屋根裏部屋は、同じ演出家による2009年の《ヴォツェック》のセットとそっくり)。今回のセットは、奇しくも舞台がショッピングモールに変貌したグレアム・ヴィック演出の《ナブッコ》(3月)と地続きのよう。ヴェルディの現代版シリーズか。
廻転するホテルの廊下を、服が破れ下着も露わな女性がうなだれて、次々に歩いていく。マントヴァ公爵のドン・ファンぶりを具象化したものだろう。ただし、第二幕の「公爵が唯一生々しい感情を聴かせる」アリア「ほおに涙が」では、地上階のフロアに下着姿の女性一人が廷臣(マントヴァの手下)たちによって連れ込まれ、回転式スツールに座らされ、ぐるぐる廻される。続いて、ジルダが誘拐されて来たことを知り歌う「力強い愛が私を呼ぶ」では、マントヴァもその女性を物色するような素振りをみせる。美しいアリアの最中に、若い女性(かなり小柄なため児童虐待のようにも見えた)がダークスーツを着た男たちになぶり者にされるのは、保守的な聴衆には受け入れがたいかも知れない。知人はピナ・バウシュを想起したとのこと。演出家のアンドレアス・クリーゲンブルクはバウシュと同じドイツ人だ。「リゴレット」の話を突きつめ可視化すれば、たしかにあのようになる。その結果が「美しいものと醜いもののコントラスト」(Production Note/プログラム)というわけだ。
この演出により、物語の現代的意義はきわめて明確になった。それはたしかだ。一方、演出家の意図を明示する機能面が重視された結果、一幕後半のジルダ誘拐を、場面転換せずに演じることになった。だが、ジルダとリゴレットの「隠れ家」は今回は屋上に設定されているのだから、これには少々無理がある。もちろん、聴衆がその見立て(イリュージョン)を信じ、共犯関係を結ぶことができれば問題ないが、いまひとつしっくりこなかった。
リゴレット役のマルコ・ヴラトーニャは声がいいし、巧いのだが、父親のペーソスはさほど出ない。やはり少々若すぎるか。ジルダを歌ったエレナ・ゴルシュノヴァは誠実な歌唱で悪くないが、日常性を超えるものを声に求めたくなる。マントヴァ公爵のウーキュン・キムは声が少し荒れ気味だが、いわゆる体温の高い歌唱と演技で好演。元横綱朝青龍そっくりで、前回のアルフレードより、特に今回の演出では合っていた(「イケメン」ではないキャスティングに怒っていた女性もいたが)。マッダレーナ役の山下牧子は太く明快な歌唱と情感溢れる演技で好演。スパラフチーレの妻屋秀和とモンテローネ伯爵の谷友博はよい仕事をした。
ピエトロ・リッツォ指揮の東京フィルは、弦が弾むような気持ちのよい響きを作り出した。木管はもっと輝きがほしいところもあったが。「女心の歌」の前奏(ズン・チャッ・チャ)でホルンが外すのはどういうことか。
カーテンコールでは、(同じ事を何度も書きたくないのだが、いっこうに改善されないので)もっと明確に指示を出せないものか。カーテンを使いたくないのならそれもよいが、舞台上で、歌手たちをキョロキョロさせてはいけない。これは舞台監督(村田健輔)の責任ではないですか。
終幕後、一階のアプローチに女子高生の一団が居た。奈良からの修学旅行らしい。感想を聞いてみると、「すごかった!」「何が?」「歌が!」