BCJ #103定期演奏会 バッハ:世俗カンタータ・シリーズ Vol. 3『鎮まりしアイオロス』

BCJの第103回定期演奏会を聴いた(7月26日 19:00/東京オペラシティコンサートホール タケミツ メモリアル)。

第103回定期演奏会/バッハ:世俗カンタータ・シリーズ Vol. 3
『鎮まりしアイオロス』


J. S. バッハ:
《響き交わす弦による 一致する不一致よ》 BWV 207
―音楽劇―


 破れ、砕け、うち壊(こぼ)て、この洞窟を BWV 205
―音楽劇《鎮まりしアイオロス》


鈴木雅明(指揮)
ジョアン・ラン(ソプラノ),ロビン・ブレイズカウンターテナー),ヴォルフラム・ラトゥケ(テノール),ロデリック・ウィリアムズ(バス)
バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱・管弦楽


主催:バッハ・コレギウム・ジャパン
助成:文化庁 文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)


少し空席が目立つ。宗教(教会)音楽ではないからか。
今回は世俗カンタータ・シリーズの第三弾。二曲とも大学教授を祝賀するための〝機会作品〟で、《響き交わす》はゴットリープ・コルテ法学博士のライプツィヒ大学教授就任を、《鎮まりし》はアウグスト・ミュラー博士(法学・哲学)の聖名祝日を、それぞれ祝うべく依頼され作曲された(クラウス・ホーフマンの解説/プログラム)。頌える対象が超越的な存在ではなく世俗的な個人だと、たしかにあまりテンションが上がらないというか拍子抜けの感なきにしもあらず。だからこそ「世俗」カンタータと呼んで教会カンタータと区別しているのだろう。が、聴いてみると、なかなか面白い作品で大いに楽しめた。
たとえば、《鎮まりし》後半の、英知と芸術の女神パラス・アテネ(ソプラノ)と風神アイオロス(バス)の対話(テクスト:ピカンダー)。パラスが「私のミュラー、私のアウグストが・・・」と初めて教授の固有名を発するとき、オルガンとフルートが添えられ、あからさまに〝ほんわかムード〟を盛り上げる。いかにもヨイショしている感じで、思わず笑った。
二曲ともトランペットが大活躍したが、1stのジャン=フランソワ・マドゥフはやや不調か。それでも、バルブはおろか指孔すらないナチュラルトランペットの音色はどこまでも柔らかく豊かだった(終曲後、下手へ退く途上で雅明氏が慰めるようにマドゥフの肩に触れたのが印象的)。《鎮まりし》では2本のホルンも加わり、豪華な響き。
テノール(勤勉/ゼピュロス:西風の神)のヴォルフラム・ラトゥケは今回初めて聴いた。前半の《響き交わす》では、緊張のためかやや不安定。後半の《鎮まりし》ではいくぶん持ち直した。柔らかで潤いのある歌声だが、歌唱のフレージングがあまり明確でないためか、歌の流れに気持ちよく身を任せずらい印象。ソプラノやバスの決然たる歌唱を前にするといっそうその感が強い。
ソプラノ(幸福/パラス:知恵の女神)のジョアン・ランは今回も音楽への没入度が尋常ではない。やや硬質で透明度の高い歌声がホール中に響き渡る。心を動かされないわけがない。
バス(名誉/アイオロス:風の神)のロデリック・ウィリアムズの歌唱はきわめて対話的(特に後半のアイオロス)。ノーブルで力強く、深い声だが、温かみもある。微笑みがとても印象的な、素晴らしいイギリス人歌手だ(父はウェールズ系イギリス人、母はジャマイカ出身との由/プログラム掲載のインタビュー)。
アルト(感謝/モポナ:果実の女神)=カウンターテナーロビン・ブレイズは、少し地声が混じるなど、あまり調子がよくなかったのかも知れない。それでも、ロビンの華やかで退廃味の欠片もない歌声はやはり格別だった。
今回、コンサートマスター(ミストレス)の音色が以前より濃くなったように感じた。楽器を変えたのか、それとも気のせい? いつものようにオルガン前奏がないと、少し物足りなさが残った。