新日本フィル #509 定期演奏会/ハーディングのマーラー6番/すべての楽音がむき出しに

新日本フィルハーモニー交響楽団の第509回定期演奏会を聴いた(6月21日/すみだトリフォニーホール)。

グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第6番イ短調「悲劇的」(初演1906)Symphony No. 6 in A minor "Tragische"
I. Allegro energico, ma non troppo
II. Andante moderato
III.Scherzo. Wuchtig
IV.Finale. Allegro moderato


指揮:ダニエル・ハーディング Daniel Harding
コンサートマスター:豊嶋泰嗣


三年前のメッツマッハーが指揮した「悲劇的」は、すごくマッチョな演奏だったと記憶する(#470/トリフォニー)。今回のハーディングはどうか。
意味より音、即物的な音の響きを重視。すべての楽音がむき出しになった。マーラーの音楽の〝内臓〟がむき出しに。かつて浅田彰はシノポリのマーラーを評し、そんなことを書いていた気がする。シノポリはマーラーが書き込んだすべての音符を容赦なく曝け出すとかなんとか。シノポリとハーディングの特質は全く異なるが、この夜の「悲劇的」はたしかにそんな感じだった。特定のメロディや声部に陰影をつけて好みの方向へ彫琢しました、という風には聴こえない。いわば遠近法が施されていない音の渦に放り込まれたような感じ。だから、聴者は時おり自分がどこにいるのか、何を聴いているのか分からなくなる(席は13列の中央ブロック)。じつに面白い体験。

楽器の珍しい取り合わせにも改めて気づかされる。たとえば二台のハープによるピアノ線の弾音のような単音とチューバのコラボとか。合わせシンバルを四人が同時に叩くとは! カウベル、ベル、チェレスタ(しかも二台)、鞭、グロッケンシュピール、そして例のハンマー・・・。じつにいろんな音が鳴っていた。ハーディングは種々の楽器間の音を馴染ませ融合させるというより、それぞれが異質のままぶつかり合わせてみる。そんな感じ。とてつもない音の奔流。まさに〝狂人〟の音楽だ(右の画像はFritz Schönpflugによるカリカチュア/The translated caption reads: "My God, I've forgotten the motor-horn! Now I shall have to write another symphony."/出典はWikipedia。初演時に聴いた聴衆の驚きはこんな感じだったのか。
オケのサウンドは基本的に美味しい。ホルンに残念な部分もあったが(音色はとても好い)、総じてよく健闘したと思う。
終曲後、ハーディングはかなりのあいだ手を下ろさなかった。音が消えていったあとの沈黙は、なんとも形容しがたい。どこか奇跡的。このような熱い拍手と歓声は久々の気もする。