新国立劇場ダンス『フランス印象派ダンス Trip Triptych』/変化と創意に富んだ作品群/創作家としての才能が開花

『フランス印象派ダンス Trip Triptych』の初日を観た(6月7日/新国立中劇場)。

演出・振付・出演: 平山素子
美術:杉山至
証明:足立恒
音響:河田康雄
音楽監修:笠松泰洋 
衣裳:堂本教子
舞台監督:柴崎大
アーティスティック・コンサルタント:デヴィッド・ビントレー
制作:新国立劇場


出演: 高原伸子/西山友貴/福谷葉子/青木尚哉/アレッシオ・シルヴェストリン/小ジリ(尸に丸)健太 /原田みのる/平原慎太郎/鈴木竜/宝満直也(新国立劇場バレエ団)


曲目(すべて録音音源を使用)
第一部
サラバンド」(1887年)エリック・サティ 1866-1925
弦楽四重奏曲 ト短調」(1893年クロード・ドビュッシー 1862-1918
「ジュ・トゥ・ヴ(「喫茶店の音楽」より)」(1900年)エリック・サティ
「5つのギリシャの民謡」(1906年)モーリス・ラヴェル 1875-1937
「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」(1912年)エリック・サティ
「県知事の私室の壁紙(「家具の音楽」より)エリック・サティ


第二部
「いつも片目を開けて眠るよく肥った猿の王様を目覚めさせるファンファーレ(「家具の音楽」より)」(1921年)E. サティ
「牧神の午後への前奏曲」(1892〜94年)C. ドビュッシー
アレグロ」「ワルツ―バレエ」「幻想ワルツ」(1885年)E. サティ
「コ・クオの少年時代(母親の忠告)」(1913年)E. サティ
ボレロ」(1928年)M. ラヴェル
ジムノペディ 第3番」(1888年)E. サティ
ノクターン夜想曲」(1916〜19年)E. サティ


サブタイトルは「Trip Triptych」。Triptych(トリプティック)とは「三連祭壇画」の意。フランス印象主義音楽の作曲家ラヴェルドビュッシー、サティ(少し違うが)の三人の音楽世界を身体・空間化した三幅対の舞踊世界。それを「過去と現在、東洋と西洋を交錯させながら」「柔らかな水にたどり着く「旅」(trip)」をコンセプトに現出させようとしたらしい(作者「message」/プログラム)。
変化に富んだ作品群で、曲と曲とを繋ぐトランジションの創意に満ちた扱いも含め、素晴しい舞台だった。平山素子の才能を強く感じた。以下、B席のかなり右寄りから見たためよく見えない箇所や思い出せない部分もあるのだが、プログラムに記された使用曲順にメモしてみる。
冒頭のサラバンド(E.S.)はシルヴェストリンのソロ。濃い群青色のシャツに黒いパンツで、照明が作り出す一本の道を舞台奥から客席の方へ進みながらの鋭角的かつ直線的(あるいは西欧的)な踊り。そのさなか、たぶん平山素子が入ったアクリル製のショーケースが舞台奥にちらりと見えた。踊り終えたシルヴェストリンのもとへキャリー(トロリー)バッグを引きながら平原慎太郎が現れて、次の曲へ移る。
ドビュッシー弦楽四重奏曲 ト短調(1893)全四楽章の音楽は、シェーンベルク弦楽六重奏曲「浄められた夜」(1899)同様、聴き手の心をザワザワさせる。コスチュームは乗馬用みたいなサイドポケットの部分がかなりゆるめで膝下は細身のパンツ姿。色は薄茶(ベージュ)やオレンジ系だったか。男女六人のダンサーたちは時々ポケットに両手を突っ込み小刻みに揺する。これがいかにも音楽のザワザワ感とマッチしているのだ。時には他人のポケットに手を突っ込だり、相手のTシャツをつまんだりして同じ動作を繰り返す。面白い。もしかしたら稽古中の暑さ凌ぎに偶然やった動作を平山が採用したのかも。いずれにせよ、効果的なアクセントになった。上手に残った平原がバッグ上の小さなラジオ(?)をオンにするとサティの聞き慣れたシャンソンワルツのメロディが。
「ジュ・トゥ・ヴ(あなたがほしい)」(E.S.)では、「あなた」ならぬ平原のペットボトル(水)を求めて、青木尚哉が例によってユーモラスに絡んでいく。身体の動きだけで交わされる〝対話〟を見る/聴くのはじつに愉しい。
「5つのギリシャの民謡」(M.R.)はいわゆる西ヨーロッパとは異質の、マーラーの歌曲にも通じるエグゾティックな風合いがある。そうした味わいをいっそう際立たせるカラフルな衣裳に身を包んだ平山ら女性陣と男性らの踊り。途中で青木たちが、先のキャリーバッグを内側が見えるよう奥のショーケースにセットする。蓋を開けた内部はカラフルな色彩が施され、印象派画家のパレットのよう。
「犬のためのぶよぶよとした前奏曲(E.S.)は平原、青木、宝満直也と平山がタバコ3本にライター1個の小道具で、パントマイム風〝順列組み合わせ芸〟の寸劇。面白い。結局、男三人は去り、煙草もライターもすべて平山の手中に。3本の煙草に火を点けて吸うと、第一部のラスト「県知事の私室の壁紙」(E.S.)へ。
上手でキャリーバッグに座り煙草を吹かしている平山。そこへ人形の犬を散歩させるシルヴェストリンがやって来て暗転。ここまでの第一部は約50分。
20分休憩後、「猿の王様を目覚めさせるファンファーレ」(E.S.)で第二部の開始を告げ、「牧神の午後への前奏曲(C.D.)が流れる。冒頭、平山と福谷葉子の二人の女性(そっくり!)がアラビア風の佇まいで鏡像のように対座している。やがて、二人の間に寝そべった小尻健太(正しくは尸に丸)が、突然、息を吹き込まれたみたいに生命を爆発させ踊りはじめる。破格なエネルギーと大きさを感じさせる踊り。かつての山崎広太に似ていなくもない。後半は大人しめで少し物足りなさも(音楽に添うた結果かも知れないがもっと弾けさせてもよかったか)。その後半から、舞台奥に置かれた三つのショーケースが接続され、上部からケース内に水が噴霧され始めた。
アレグロ」「ワルツ―バレエ」「幻想ワルツ」(E.S.)は、男女数人(男は海パン)がスカートを小道具に、ピナ・バウシュ風の穿かせたり脱がしたりのやりとり。バウシュよりも空気が柔らかく、笑える。この間、後ろのショーケースには水が噴霧され続け、そのなかへダンサーたちが・・・。
「コ・クオの少年時代」(E.S.)は・・・ショーケース内で・・・。
ボレロ(M.R.)は切り離されたショーケースの間から、照明が作り出した一本の道に平山が現れる。時おり動きを止めながら、独特の振りとリズム(間合い)を重ね、客席の方へ徐々に近づいてくる。このストップモーションは、当初、省エネダンスかと訝らないでもなかったが、次第に、アーティスティックな大胆さと思えて来た。後ろ向きの多用などを含め、結局、最後の盛り上がりまでまったく飽きさせない。見事だった。踊りの設定は冒頭のシルヴェストリンの西洋的なソロと同じだが、こちらはインド等のエロティックな仏像を彷彿させるアジア(東洋)的なソロで、好対照をなしていた。
続くジムノペディ 第3番」は、なんと白い布切れのパ・ド・ドゥだ! 二つの布が風に煽られ優雅に宙を舞う。効果的な照明も手伝って、とてもきれい。布切れのデュエットは、ラストへ向けた平山の早変わりを可能にする時間繋ぎだろうが、気分を転換する絶妙の前座となった。
最後のノクターンは群青のシャツを来たシルヴェストリンと同色のドレスに着替えた平山とのパ・ド・ドゥ。悪くないが、二人の在り方が様式的にマッチしているようには見えなかった。あえて異なるもの同士の融合を意図したのかも知れないが。それに少々長い印象も。以上、第二部は約60分。
今回は本当に見応えがあり、平山素子の創り手としての才能が見事に開花した舞台といえる。笠松泰洋(音楽監修)のアシストがあったにせよ、音楽の選択が素晴しいし、なにより音楽への深い理解なしにはありえない清新な振付だった。しかも、その振付を生かすフレームを構想し得る演出力まで兼ね備えている。大したものである。
[米沢唯が最前列中央で見ていた。金森穣の「solo for 2」を踊ったばかりだし、平山作品を踊りたくなったかも知れない。とくに「ボレロ」など。それもよいが、まずは古典『ドン・キ』での好演を期待したい。]