新国立劇場オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》/モーツァルトの快活さが戻って来た

オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》の初日を観た(6月3日/新国立劇場オペラハウス)。
このプロダクションは2011年5月の初演で、当時、震災・原発事故の影響から歌手が三名交代。指揮者も(昨日まで新制作《ナブッコ》を振っていた)パオロ・カリニャーニの予定がキャンセルとなり、代わりにゴメス=マルティネスが振った。放射能への懸念がかなり強い時期での来日には感謝したい一方で、音楽が前へ進まない間延びした指揮ぶりにフラストレーションが募った。歌手たちの好演や〝才〟を感じさせるせっかくの新演出も、音楽的に足を引っ張る残念な結果だった。ドン・アルフォンソ役のトレーケルが余りにゆるいテンポに独り抵抗していた(と感じた)のを想い出す。その初日明けに、演出(音楽ではない)を褒めたイヴ・アベルの感想が劇場のホームページに掲載された。同時期に上演された《蝶々夫人》の指揮者として来日していたのだ。《蝶々夫人》の音楽作りはたいへん素晴らしかった。今回はそのアベルが《コジ》を振るというのでずっと楽しみにしていた。

Wolfgang Amadeus Mozart : Così fan tutte
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト/全2幕

指揮:イヴ・アベル
演出:ダミアーノ・ミキエレット
美術・衣裳:パオロ・ファンティン
照明:アレッサンドロ・カルレッティ
再演演出:三浦安
合唱指揮:冨平恭平
音楽ヘッドコーチ:石坂宏
舞台監督:村田健輔
キャスト
フィオルディリージ:ミア・パーション
ドラベッラ:ジェニファー・ホロウェイ
デスピーナ:天羽明惠
フェルランド:パオロ・ファナーレ(アレクセイ・クドリャは「健康上の理由により」キャンセル)
グリエルモ:ドミニク・ケーニンガー
ドン・アルフォンソ:マウリツィオ・ムラーロ(ホセ・カルボは「原子力災害による地震の健康への懸念から」キャンセル)
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ:小埜寺美樹


オケピットの位置(レヴェル)がいつもより高く感じたが気のせいか。もしそうなら、小編成のうえに舞台がこんもり盛り上がっている点を考慮し、ピットの音を伝わりやすくしたのかも知れない。
予想どおり、アベルの棒は全般的に速めのテンポで、オケをきびきびと前進させる。その場の勢いを重視した音楽作り。美しい音をスタティックに作り出そうとは決してしない。オケ(音符)に生命を吹き込みさえすれば、そこからおのずと美が生まれる。そう信じているかのようだ。
歌手も総じてよかった。フィオルディリージを歌ったミア・パーションは、1998・99年にBCJの定演でソロイストを務めたらしい。第一幕は抑え気味でいまひとつ声に伸びがなかった。たとえば〈風よおだやかなれ〉(第10番)の三重唱では、硬質でやや冷たい声質のせいか、温もりのある声のジェニファー・ホロウェイ(ドラベッラ役)や、高音が少しきつそうなマウリツィオ・ムラーロ(ドン・アルフォンソ役)と、うまく調和しなかった。さすがに〈岩のアリア〉(第14番)ではその片鱗を聴かせてくれたが。難曲のうえに、前半はキャンピングカーの屋根上で、後半は地面へ降りてきて歌わなければならない。パーションはまだ全開とはいかなかったが、高い技術を要するバッハのカンタータ等を歌っていたキャリアを窺わせた。だが、なんといってもハイライトは第二幕のロンド〈お願い、許して恋人よ〉(第25番)だろう。ここでも歌手は途中から水が張られた池に入って歌うのだが、〈岩のアリア〉の段階ではみられなかった心の葛藤をパーションはものの見事に歌い上げた。ホルンが少し不安定だったが問題ない。すごい集中力。声を発するポイントがいわば極小(ピンポイント)で、歌声がきめ細かくかつ強度がかなり高い。芝居もうまいし素晴しい歌手だ。
フェルランド役のパオロ・ファナーレはアレクセイ・クドリャの代役だが、とても気に入った。役柄からいえば声質が少し重いが、アリア〈いとしき人の愛のそよ風は〉(第17番)やカヴァティーナ〈不実な心から裏切られて〉(第27番)等の腹から響く本格的な歌唱に思わず惹き込まれた。パーションとの二重唱〈もうすぐ私の誠実な婚約者の胸にいだかれるわ〉(第29番)を聴くと、それだけで幸福になる。
デスピーナの天羽明惠は六名のうち唯一の日本人。後半は少し息切れしたが、よく健闘し好演した。さすがだ。コミニュケーション能力の高さを感じさせる。ただ、第一幕終わりの医者に化けた際の歌唱はもっと変化をつけてもよいと思った。第二幕の公証人に変装したときのように(両者を差別化しようとしたのかも知れないが)。
ドラベッラ役のジェニファー・ホロウェイは、先にふれたとおり、温もりのある豊かな声。演技もうまいし、姿形もよい。アメリカの音楽教育の高さを感じさせる。
ドン・アルフォンソ役のマウリツィオ・ムラーロはホセ・カルボの代役だが、とても低く深い声で喜劇のツボを心得た歌手。新国立では《フィガロの結婚》(2005年)のタイトルロールや《セヴィリアの理髪師》(2006年)のバルトロを歌っている。「老哲学者」としてはもう少しノーブルさがあってもよいか。
グリエルモ役のドミニク・ケーニンガーは長身で姿形も声もよいが、歌唱で色気を出すまでには至っていない。若手のようだからこれからだろう。
新国立劇場合唱団はきめ細かさよりも勢いを重視していたように感じた。チェンバロはもっと遊びがあってもよい。東フィルは音が尻上がりによくなっていった。
音楽(指揮者・オケ)が充実していると舞台の質も高くなる。オーケストレーションがこの世のものとは思えないほど美しい本作の場合、特にそういえる。回を重ねれば、歌手たちの呼吸やアンサンブルもどんどんよくなるはずだ。大好きな演目でもあるし、明日もう一度聴きに行きたい。
[附記:初日にしては空席が目立った。月曜の18:30だからか。オペラのハイライトといえる演目に、読替とはいえ無理なく楽しめる演出、質の高い指揮者・歌手が揃ってもだめなのか。チケットぴあを覗いたら二日目以降もD席以外はほとんど○状態。再演だから? 実にもったいない。]