カンパニーデラシネラ『異邦人』を世田谷パブリックシアターで観た(2月14日)。再演らしいが、今回はじめて見た。ごく簡単にメモする。
[原作]アルベール・カミュ
[翻訳]窪田啓作(新潮文庫刊)
[構成・演出]小野寺修二
[テキスト協力]小里清(フラジャイル)
[照明]磯野眞也(アイズ)
[美術]杉山至+鴉屋
[小道具]高圧優子
[衣装]堂本教子
[出演]
片桐はいり=私/養老院院長/弁護士/ママン/司祭
森川弘和=ムルソー
田村一行(大駱駝艦)=レエモン/門衛/弁護士
藤田桃子=検事
菅彩夏=マリイ/看護婦
手代木花野=情婦/看護婦
小野寺修二=裁判長
『カラマーゾフの兄弟』も面白かったが(2012年2月/新国立小劇場)、『異邦人』も面白い。カミュの小説のプロットをただなぞるのではなく、いったん解体し、時系列等を組み替えて再構成する。母の死、長距離バスの旅、母が入所していた養老院へ。だが、旅の途中で物語の中心に位置する殺人や裁判の場面を挿入する。その間、さまざまな身体の動きが繰り広げられる。机が二つに分かれて滑り台になったり、セットや小道具の使い方もじつに巧み。なにより小野寺修二は優れたストーリー・テラーだと思わせる。だが、それも前半まで。
中間部から後半にかけて少し中弛みが感じられた。直接プロットと関わらない、いわばデヴェルティスマンの部分。モノをめぐって人々が次々に入れ替わる例の(パントマイムの?)動きなどは面白いのだが、長く続くとマンネリ化してしまう。このあたりは整理してもよかったか。ラストの司祭とのやり取りは、ムルソーが司祭に反撃する肝心の後半部が省かれていた。カミュの原作を読んでいる者には、少し肩すかしの感がある。ここを取りあげると重くなるので避けたのか。もちろんテクストはあくまでもフレームを提供しただけと考えればOKだが。
この作者には才能があると思う。ただ、彼の創り方は、マンネリズムに陥りやすいのではないか。文芸作品のフレームが、彼の才能を活かしているのだろう。
いずれにせよ、前半部に見せた小野寺のストーリー・テリングには見るべきものがある。オペラの演出を観てみたい。