サミュエル・ベケット『消滅するまえに…』劇団マウス オン ファイア /新世代のベケット?

アイルランドの劇団マウス オン ファイア Mouth on Fire による『消滅するまえに…』Before Vanishing . . . を観た(2月16日15:00/シアターX)。公演はベケット後期の4作から成る。「大事な視覚的要素の邪魔になる」(カハル・クイン芸術監督)ため、字幕は無し。代わりに、前半と後半のはじめに芸術監督(+通訳)が「英語と日本語で簡単な紹介」をおこなった。
後期のベケット作品は、1984年2月にニューヨークのオフ・ブロードウェイで何作か観ている。演出は、その三ヶ月後に交通事故で亡くなるアラン・シュナイダー。「オハイオ即興劇」も忘れがたいが、なんといってもビリー・ホワイトローが演じた「ロッカバイ」は本当に衝撃的だった。その後いろいろな芝居を観てきたが、この舞台がベストスリーから外れることは未だにない。今回「ロッカバイ」は入っていないが。

作:サミュエル・ベケット Samuel Beckett (1906-89)
演出:カハル・クイン Cathal Quinn


オハイオ即興劇」"Ohaio Impromptu" (1981)
 ニック・デヴリン Nick Devlin
 マーカス・ラム Marcus Lamb


「あしおと」"Footfalls" (1976)
 メリッサ・ソラン Melissa Nolan
 ジェラルディン・プランケット[女の声]Geraldine Plunket


「あのとき」"That Time" (1976)
 マーカス・ラム Marcus Lamb


「行ったり来たり」"Come and Go" (1966/68)
 ジェニファー・ラヴァティ Jennifer Laverty
 ジェラルディン・プランケット Geraldine Plunket
 メリッサ・ソラン Melissa Nolan

芸術監督の説明が終わると、シューベルト弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」の第二楽章が聞こえてくる。やがて幕が上がり「オハイオ即興劇」が始まる。どうしてもシュナイダー演出と比べてしまうが、闇と光の対照に切れ味が乏しい。劇場のインフラにも原因があるのかも知れないが、総じて照明が甘いように感じた。下手(L)のテーブルをノックするタイミングに、必然性が感じられない。読み手の語りは、やや感情が入りすぎではないか。もっと淡々と読むなかで微妙な変化を滲ませるのならOKなのだが。最後に二人がゆっくりと顔を上げ、互いに見つめ合うところも、いまひとつぴんと来ない。不気味さがない。
次の「あしおと」はメリッサ・ソランの演技に強度があり、若い女優だが、なかなかのものだと思わせた。
休憩後、作品説明があり、後半へ。「あのとき」はまずまずか。
最後の「行ったり来たり」ははじめに英語で、次にアイルランド語でおこなわれた。たいへん面白かった。本作については別役実の秀逸かつ説得的な解釈がある(『ベケットと「いじめ」』1987)。それよりも、三人の女優がベンチに座り、短いやり取りを交わした後、中央の一人が立ち上がり一旦そこから離れる。すると端の女性がベンチに片手を置いて僅かに腰を浮かせ、他方の端に座った女性の方へにじり寄り、片側へ残ったスカートの裾を引き寄せる。これを三度入れ代わり繰り返すのだが、その高度に様式化された所作や動きに強く惹きつけられた。特に黄色の服を着ていたメリッサ・ソランの身のこなしには詩的な味があった。
公演は、作品の合間にシューベルト弦楽四重奏や歌曲集『冬の旅』(「おやすみ」)、さらにバッハの平均律クラヴィーア曲集などが流された。ある意味〝抽象的な〟ベケット世界へのインターフェイスとして、味を添えたかったのかも知れない。趣旨は理解できるが、質の高いモノクロ作品に外から色を付けられたような違和感が残った。
上演(劇場)芸術のなかでも、演劇作品は、作者が亡くなりその意を汲んだ演出家や俳優たちが消えてもテクストは残る。新しい世代が同じテクストに基づいて、舞台に載せる。そうすれば、作品はまた生き返る。だが、バレエなどの振付の場合、上演が一旦途絶えると、正確な復元は不可能に近いらしい。たとえ舞踊譜が残っていても、ダンサー(の身体)が変われば別ものになるのだろう。だが、演劇といってもベケットの、特に後期作品の場合、台詞以外の要素(動き等)がきわめて重要なため、ある意味、舞踊に近い(ト書きに詳細な指示があるのはそのためだ)。だから、たとえ「作者自身が残した演出ノートに基づき創出」(フライヤー)したとしても、やはり別ものにならざるをえない。今回の舞台を観て、つくづくそう思った。それなら、いっそ〝いま〟の時代に呼応した新しい舞台を積極的に創出する方が意義深いのかも知れない(「時代に呼応した」というのは「反時代的な」方向性を排除するものではない)。そう考えれば、今回の舞台は、その第一歩として意味がある。
公演後、ロビーでアフター・トークならぬアフター・ミーティングが開かれ、芸術監督のカハル・クイン氏に数名が質問や意見を述べ、クイン氏が通訳を介して丁寧に応答していた。最後に、年配の男性が「私の父は1906年生まれでベケットと同い年でした」と、両者の戦争体験や死について興味深い話しをされた。劇場スタッフによれば、父親というのは大野一雄で、語りの主は子息の慶人氏。そういえば、ベケット作品には浮浪者や亡霊のような奇怪な格好の人物が出てくるが、舞踏と一脈通じるところがあるのだろうか。