日中共同制作 オペラ《アイーダ》(コンサート形式) 堂々たる中国人歌手/挙動不審の和製ラダメス

正直、気が重かったのだが、オペラ《アイーダ》(コンサート形式)を新国立劇場で観た(7月29日)。
日中国交正常化40周年記念 2012「日中国民交流友好年」認定行事
指揮:広上淳一東京フィルハーモニー交響楽団/合唱:新国立劇場合唱団・国家大劇院合唱団(NCPA Chorus)
アイーダ:和慧(He Hui ヘー・ホイ)
ラダメス:水口聡
アムネリス:清水華澄
アモナズロ:袁晨野(Yuan Chenye ユアン・チェンイェ)
ランフィス:妻屋秀和
エジプト国王:田浩江(Tian Hao Jiang ティエン・ハオジャン)

上記のとおり、歌手は日中から3名ずつキャスティングし、合唱も新国立と中国の国家大劇院との合同合唱。やはり中国側の歌手はみな一級だった。タイトルロール(ソプラノ)の和慧は声だけ聴いたら欧米人と区別がつかない。やや暗めの声質で弱音から強音まで自在かつドラマティックに歌い分ける素晴らしい歌手。アモナズロ(バリトン)の袁晨野は知的でノーブルな味があり、姿もよい。休憩時にプロフィールをみたら、チャイコフスキー国際コンクールで優勝したとある。なるほどと思った(コンクールで優勝しても活躍できるとは限らないのだが)。エジプト国王(バス)の田浩江は黒々とした声量のある歌声に、人間性を感じさせるベテラン歌手。
日本の歌手はどうか。アムネリス(メゾソプラノ)を歌った清水華澄はアイーダ役と位負けせず堂々と渡り合い、作品のドラマ形成に大きく貢献した。ランフィス(バス)の妻屋秀和はさすがに安定はしている。ところが肝心のラダメス役(テノール)水口聡は、歌はともかく、ステージマナーがまったくいただけない。歌わないとき、何度も椅子に座り直し首等に手をやったりでじつに落ち着かない。隣の泰然たる和慧とあまりに対照的で、〝挙動不審〟に見えたほど。歌唱の際は、不必要に譜面台の楽譜をめくる等の仕草を何度も繰り返す。アイーダ役(彼女だけ暗譜だった)との遣り取りやカーテンコール時では和慧がつねにイニシアティヴをとり、水口はまるで子供のようにサポートされるだけ。この点、清水華澄は研修所で学んだせいか、終始、立派な態度だった。今回の水口の歌唱は悪くなかったと思う(以前より持ち直したのではないか)。〝格〟が違うのは事実だから仕方ない。ただ、いったんステージへ上がったからには、堂々としていてほしい。たとえコンサート形式といえども、歌っていようといまいと、聴衆/観客はつねに舞台を注視しているのだ。カーテンコールを見ると、指揮者を含め、総じて日本のアーティストはステージマナーを軽視しているといわざるをえない。これは文化(国民性)の問題ではなく、音楽・芸術大学等の教育の問題というべきだ。
広上淳一の指揮振りは相変わらず奇矯だが、音楽はダイナミックななかにもしなやかさを失わず、一定のクオリティを保っていた。東京フィルハーモニー交響楽団は形くずれせず艶のある音を出していた。
明後日から場所を北京の国家大劇院に移し2回公演する(8月3日・5日)。指揮者とオーケストラは現地の中国側が受けもち、それ以外は日本公演と同じとの由。国家大劇院管弦楽団(NCPA Orchestra)という名称からして、劇場の専属オケだろう。うらやましいかぎりだ。せめて北京の舞台では、ラダメス役があのような挙動をみせることのないように祈りたい。
最後に、欧米のトップ歌手と日本人歌手との違いについて、常々、気になっていたこと。前者の声は、蓮の葉上の水玉のように、いわば球状に響いてくるのだが、後者のほとんどは、その水がつぶれ、べちゃっとなって聞こえてしまう(水口はそれとも違ったが)。今回、中国人歌手の声は前者のカテゴリーに入っていた。韓国人もそう。これはなぜなのか。中国人や韓国人と日本人とで身体的・体質的な差異があるようには思えないのだが。教育の問題なのか。それとも、母語の構造から来る発声等のためか。