ローラン・プティの『こうもり』 ウィーン国立と新国立劇場のバレエ

ウィーン国立バレエ『こうもり』東京文化会館で観た(2012.4.29ソワレ)。
やはりこの作品は素晴らしい。ローラン・プティは天才である。ただし、公演は踊りも音楽も低血圧。カンパニーの意向で「洗練」を目指した結果、あのように抑えた静謐な舞台になったのか。それともツアーの疲れのためか。いずれにせよ、シャンパンの泡が湧きあがるようなウキウキした踊りは不在だった。
ベラのイリーナ・ツィンバルは、一定のテクニックはあるが、ゆったりした優雅さやラインの美しさは見られない。ヨハンのウラジーミル・シショフは長身と長い手脚に恵まれたよいダンサーだが、ヨハンのニヒルな味や粋な感じはあまり出ていない。ふたりとも技術はあるが、魅せるところとそうでないところのメリハリがないため平板に感じる。ウルリックのデニス・チェリェヴィチコは難易度の高い動きをさりげなくこなす独特の味をもったダンサー。ただ、ここでも狂言回しとしてはもっと活力がほしい。特にベラとのやりとりで。チャルダッシュのアレクサンドル・トカチェンコも高い技術の持ち主だが、踊りが大人しく物静かに見えてしまう。総じてダンサーが若く大人しい印象だ。芸術監督のルグリがウルリックを踊った回は違ったのだろうか。
二月に観た新国立の公演、特に初日のテューズリーとカオのパフォーマンスがいかに素晴らしかったか、改めてかみしめた。主役以外も、たとえばマキシムのカンカン娘をはじめ、全体的に新国立の方が(サブスクライバーの私には当然だが)魅力的。
オケ(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団)の印象も舞台上と同じ。癖がない、というより魂の入らない気の抜けたような音楽。指揮のペーター・エルンスト・ラッセンは、ブルノンヴィルのバレエ音楽全曲版CD(2005)を録音している指揮者だった。たとえば『ラ・シルフィード』(2002-04)などはハリー・ダムガード版(1997)やデイヴィッド・ガーフォース版(1986)と比べると、ぬるま湯のような味気ない演奏(私はダムガード版を愛聴している)。今回はその指揮者だと知らずに聴いたのだが、結局、CDでの印象を再確認することになった。

ついでに新国立劇場バレエの『こうもり』について(2月4日)。
ヨハンのロバート・テューズリーはさすがの演技と十全な踊り。ムッルほどの洒脱さはないがセンスもよい。
ベラのベゴーニャ・カオは新国立のゲストとしてほどよい体形の持ち主(日本のバレエ団に手脚の長すぎるダンサーが入るとバランスが悪い)。手を抜かず、気持ちを込めて踊り、決め所では充分に魅力を発揮する。
ウルリックの吉本泰久が素晴らしい仕事をした。カオ/テューズリーとカンパニーとの橋渡し役を見事にこなし、活発なコミュニケーションを窺わせる。新国立初登場のカオは吉本を信頼して舞台に立っていた。
デイヴィッド・ガーフォース指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(つまりウィーン国立の公演と同じ)は、自然な音楽作り。ウィーン風の粘りのある感触はないが、気持ちの好い演奏(ただしホルンはプロとはいえない)。
カーテンコールでは盛んにブラボーが飛んだ。テューズリー、カオ、吉本、みな嬉しそう。テューズリーのあんな笑顔を見たのは初めてだ。今回は前日にゲネプロを見たので、比較すると大変興味深かった。客が入るとこれほど空気が変わるものか。私も、ゲネプロと本番ではダンサーを見る眼がまったく違った。

日本人キャストの日(2月12日)
小野絢子のベラはコミカルな部分は大変よいが、伸びやかに踊るべきところは少し物足りない。一週間前のカオのゆったりとした優雅な踊りが際立つ。
ヨハン役の菅野英男は思ったよりしっかりと踊っていたが、もっと洒脱さがほしい。一幕で夫婦がにじり寄るところなどはもっと稽古が必要だ。ただ、今回、菅野は小野の女性らしさを引き出した点で評価できる。二人には男女の対幻想が成立していた。吉本はこの日も素晴らしかった。

結局、ウィーン国立バレエ団は、私にはよそ事で、ある意味どうでもよいのである。一方、新国立劇場バレエ団の場合、サブスクライバーとして、期待し、サポートし、応援している。ダンサーたちの一挙手一投足に注視し、少しでも成長が見られればとても嬉しいし、そうでなければあれこれ注文したくなる。おかしなキャスティングが発表されると大声で抗議したくもなる。劇場とは、本来、そうした舞台と客席とのドメスティックなやりとり(対話)を可能にする場所であるはずだ。ウィーン国立バレエ団も、ウィーンに帰れば同じこと。彼らを成長させるのは、われわれではなく、ウィーンの人々である。外来カンパニーが素晴らしい公演をしたとすれば、それは、彼の地のサポーター(観客)たちが育てた結果であり、われわれはそのおこぼれにあずかったにすぎない。欧米のオペラ劇場やバレエ団の来日公演へ行くと、オペラやバレエを消費の対象とみる向きがいかに多いことか。会場のそうした空気は、近年、特に3.11以後は、少しずつ変わってきてはいる。しかし、この国で、歌舞伎や相撲文化に見られるような、本来の劇場文化が根付くにはまだまだ時間がかかるだろう。