劇団銅鑼の公演と「戯曲美」/追記 朗読劇のこと

数年前、銅鑼のアトリエ近くに引越して来たこともあり、劇団の公演を観る機会が増えている。

・『ハンナのかばん』いずみ凜脚本/モニ・ヨセフ演出(銅鑼アトリエ 2009)

・『センポ・スギハァラ 2009』平石耕一作・演出(東京芸術劇場小ホール2 2009)

・マリヴォー『二重の不実』船岩祐太演出(銅鑼アトリエ 2010)

岸田國士『留守』『紙風船』他(銅鑼アトリエ 2010)

・『カタクリの花の咲く頃』栗木英章作/山田昭一演出(俳優座劇場 2011)

・朗読劇『継志——板橋での戦争を語り継ぐ』櫻井唯雲台本/篠本賢一演出(板橋区立グリーンホール・2階ホール 2011)

清水邦夫『楽屋』村田元史演出(池袋アトリエ第七秘密基地 2011)

このうち演劇としての喜びをもっとも強く感じたのは『二重の不実』だった。
『留守』『紙風船』『継志』『楽屋』も好かった。
皮肉にも、私がよいと感じた舞台は、いずれも劇団の本公演ではないこと、また『継志』を除けばどれも古典であることだ(清水邦夫は死者ではないが)。
これは何を意味するのか。

銅鑼の芝居を観たのは『池袋モンパルナス』が最初である(成増アクトホール)。1997年9月のことだ。
当時私は洲之内徹の連作美術エッセイ「気まぐれ美術館」(全六巻)にどっぷり浸かり、西洋美術よりも、その影響を受けた日本近代洋画、わけても戦争期に活動した松本竣介靉光などの作品に強く惹かれていた。戦争と文化の関係については現在も関心を持ち続けているが、その切っ掛けは「気まぐれ美術館」の著者による一連の戦争小説だった(後者には洲之内自身の中国での戦場体験が赤裸々に描かれており、「気まぐれ」のいわば前史を画する著作)。
要するに、私は芝居の題材につられて銅鑼に出会ったのである。
『池袋モンパルナス』(小関直人作・山田昭一演出)は、15年戦争期に池袋駅周辺に集まった若く貧しい画家たちの「青春」を描いた群像劇。詩人小熊秀雄(佐藤文雄)が狂言回しとして颯爽と観客に語りかけ、出征直前の靉光(横手寿男)が聾唖学校の教員だった優しい妻に広島弁で大口を叩き、おかっぱ頭の松本竣介(三田直門)が出征していく画家仲間と三脚を立てて記念写真を撮り・・・。
いまでもこうした場面がはっきり甦ってくる。二年後の再演も観たのだが(東京芸術劇場小ホール)やはり初演の舞台が印象深かった。

先日、最新作『砂の上の星』を新宿のSPACE雑遊で観た(3月12日)。そして、昨年『カタクリの花の咲く頃』を観たときと同じような不満を感じた。『池袋モンパルナス』には感じなかった物足りなさを。
内容は「アフガニスタンタリバン政権下でたくましく生きぬく二人の少女の物語」。
何もない空間に灯りの点いたハンモックが中央と二面の壁際にそれぞれ吊され、中央には四角い土俵のような台が置かれている(美術・衣装 長谷川康子)。ハンモックから役者が一人ずつ出てきて芝居が始まる。役者はこの小さな舞台で演技し、出番が済むと捌ける代わりに壁際のハンモックに乗り、舞台を見守る。小道具は最小限で、二人の少女役以外は何役もこなす。パヴァーナ役の土井真波(彼女も新国立劇場の演劇研修所四期修了生)の演技には惹きつけられた。台詞・動き共に強度がきわめて高い。特に身体の動きや所作(たとえば水筒の蓋を開ける仕草を見よ)のどれもが絵=芝居になっており、主役に値するパフォーマンスだった。

ただし、本はまったく物足りない。二人の少女が様々な苦難を経て成長していくという意味では、いわゆる教養小説と同型。だが、彼女らを成長させる筋立てや葛藤がきちんと組み込まれていない。たしかにパヴァーナは、父(佐藤文雄)との再会と死別、片足の青年(野内貴之)との出会いと同行、また、頭は弱いが純粋な少女(渡部不二実が年齢を超えて好演)との出会いと別れ(少女の地雷死)など、苦難に満ちた体験を重ねる。やがて彼女は難民キャンプに到着し、姉との再会という「希望」が暗示されて幕となる(土井はそれまでの硬い表情から光を発するような笑顔に変わった)。もう一人の少女ショーツィア(中村真由美)の道程もほぼ同型だ。だが、そこには体験はあっても「経験」(森有正)はない。つまり、ひとつひとつのエピソードが断片的に提示されるだけで、体験の積み重ねや人物相互の交わりが少女の成長や内的な変化を引き起こすようには組み立てられていない。それゆえ観客に演劇的な愉悦がもたらされることもない(もちろん、土井や渡部など、個々の役者の演技を見る喜びはあった)。
それとも、意識的に観客の感情同化を拒んでいるのか。「平和な国」に暮らすわれわれは「過酷な状況下でも必死に生きている子どもたち」に安易な同情や共感をすべきでないと。だが、ショーツィアが稼いだ金を大人に没収される場面など、感情同化の手段である「哀れみ」を誘う意図は棄てていないから、意識的に非アリストテレス的演劇を目指しているわけでもなさそうだ。
脚本原案のいずみ凜によれば、devisingで作ったとの由。あるいはその過程に問題があったのかも知れない(演出は木村早智)。だが、昨年の『カタクリの花の咲く頃』を想起すると、やはりこの劇団は、演劇の質よりも主張や啓蒙を優先させているのではないかとの疑問が湧いてくる。

カタクリの花の咲く頃』(2011.2.25)は、岩手県西和賀町沢内村の「生命尊重」行政を取りあげたプロパガンダ劇である。その意味では戦時下の移動演劇を想起させるが、本作は台本として未熟すぎる。観客にとって必要な情報が、人物の独白で知らされる。本来は対話を通じてなされるべきところ。作者はテーマの掘り下げにも、人物造形の彫り込みにもほとんど関心がないかのようだ。舞台の成否は完全に役者の力量に委ねられてしまっていた。
文子を演じた菊地佐玖子や留吉の千田隼生、つねの郡司智子などベテラン勢や、役者として魅力的な渡部不二実や若手の女部田裕子など、彼らの好演によって、かろうじて成立した芝居であった。
作者は三好十郎の『おりき』のような作品を目指そうとしたのだろうか。『おりき』は戦時に許された条件下で書かれた(つまりプロパガンダを強いられた)ものだが、人物が生きているために、強いられた方向からはみ出す豊かさと勁さをはらんでいたのだが。

かつて岸田國士は、戯曲(演劇)美よりもイデオロギーを優先させる芝居に反撥し、

『或こと』を言ふために芝居を書くのではない。芝居を書くために『何か知ら』云ふのだ。

と言って憚らなかった。
近年では、言いたいことが先にあるような戯曲の書き方を戒める平田オリザがいる。
劇団銅鑼のあり方は、彼らとは反対の方角に向いているようだ。しかし、私は銅鑼の公演を観る度に、役者たちをとても好ましく感じてしまう。彼らの可能性を活かすには、もっと岸田のいう「戯曲美」をそなえた本にこだわるべきではないか。もとより内容(或こと)と形式(芝居)は不可分だが、形式が充実しなければ、内容は十分には伝わってこない。つまり観る者の身体に食い込んでこないのだ。
昨年アトリエでやったマリヴォーの『二重の不実』は素晴らしい舞台であったが、もしも劇団の常連客がこれを正当に評価できないとすれば、彼らの不明こそ、戯曲として不十分な作品を板に載せてしまう一番の要因かも知れない。


追記

劇団銅鑼が昨夏上演した朗読劇はたいへん興味深かったが、それを今年の12月に再演するという。その時の感想メモを以下に転記したい。

8月19日(金)19時から板橋区立グリーンホール・2階ホールで、劇団銅鑼による朗読劇『継志——板橋での戦争を語り継ぐ』を観た。
板橋での戦争体験を綴った手記がベース。櫻井唯雲の台本、篠本賢一の演出。フライヤーには「〜命と平和の尊さ・今、未来を見つめて〜」の文言。会場は学校の体育館を小振りにしたような懐かしい感じのホールで、パイプ椅子が80席ぐらいあったか。
導入部は、現在の板橋。東日本大震災の被災地に物資を送るボランティアセンターで数人の若者たちが椅子に座り、帳簿のようなもの(実は台本)を見ている。そこへ戦争体験者と覚しき老人が若者(孫)に物資を持たせて来訪し、ボランティアの若い女性と話をする。彼女の名前がタナカであることを知った老人は、意味ありげに満足して去る。その後、その女性のパソコン通信が、なぜか、戦時下の板橋で活動する軍服姿の通信士(老人と同じ役者)と繋がり、舞台の両端で時間を超えて対話する。そこから舞台は戦時下の板橋へとワープする。
ときおりナレーターの説明を交えながら舞台正面に当時の板橋の様子や戦争の惨禍を物語る写真が映写され、空襲にまつわる手記が十数人のプロ・アマの役者たちによって朗読されていく。女性は白のブラウスにもんぺ、男性は白いワイシャツにズボン姿。手には台本(導入部の帳簿)を持ち、手記の内容により、舞台上を歩いたり椅子や地べたに座ったりと多少の動きが入る。
やがて語り手全員が合唱団のように客席へ向いて立つ。彼らの正面に映し出された空襲の惨状を示す画像が次々と切り替わるなか、空爆された地名や死傷者数等の被害状況をソロでリレー式に発していく。爆撃を思わせる音響と明滅する画像に合わせ、語り手たちの声がクレッシェンドで高まっていくのだが、この演出には迫力があり、日本全土に拡がった空襲の凄まじさが演劇的(身体的)にずしんと伝わってきた。
後半は手記の朗読に戻ったが、今度は、いくぶん長めのものが選ばれていた。なかでも、浅草辺りの雀荘で空襲に遭い、そこから必死の思いで板橋の自宅を目指した手記の朗読は妙に好かった。中年男性の語り手はたぶん素人だと思われるが、その身体性も含め素朴な味とユーモアがあり、なにより、読み手と手記の作者を同一視したくなる説得力があった。
もうひとつ、軍人が空襲で死んだ同僚を葬る話の朗読は女性が担当したのだが、出色だった。雪がしんしんと降り積もる闇夜に同僚の遺体を警護していた際、人の足音が近づいてくる。身重の女性が遺体の主を確かめに来たのだ。奥さんか。が、翌日の告別式にその女性は見あたらない…。義太夫節を思わせる地の部分と科白の部分との見事な語り別けにより、手記に綴られた一連の情景が観客の心に深く沁み入ってくる。銅鑼の団員かと思ったらプログラムにその顔はない。公演後、本人(加藤ねい)に尋ねたら、以前に福岡で劇団に所属していたがいまはフリーとのこと。
エピローグでは、例の通信士と現在のボランティア女性(田中)との対話に戻り、「希望」「未来」「生命の尊さ」等が強調され(三つとも当時ではありえないが)再会を約して幕となった。
前半では女部田(おなべだ)裕子が勘のよさ、うまさを発揮した(擬声語の発話も音楽のようで巧み)。浦吉ゆかも清潔かつ自然で悪くない。ナレーター役の長谷川由里(制作も担当)は台詞回しと動きに余計なものが混ざっていたように感じた。他にも、言葉が自然に感情を生み出すのを待たず、感情の方を無理やり言葉に塗り込める不自然な発話が散見された。
かつて竹内敏晴は感情と言葉の関係について次のようにいっていた。

美しいということばに感情を込めるというしゃべり方をすればことばは過去をくり返そうという不毛な試みになって、今、ここに、生まれ出てくることばにはならない。つまり死んだ言語に化粧しているにすぎないということですね。

役者というのは、他者に美しいという事柄を手渡すということよりは、美しい、とか悲しいとか、自分で味わいたい種族なんですね。そうすると、それは相手に言葉を話し掛けるという行為ではなくて、自分でそれを味わうという内部操作にしかすぎなくなる。

僕は感情というものは、言葉に引っ張り出されてたまたま出てくるものだと考えている。ところが日本では最初に感情ありきで芝居をやりたくてしょうがないんですね。それをどうやってつぶすかですね。言葉そのものを相手に話しているうちに、言葉と体とが触れ合ったときに、何かが起こってくる、あとは「からだ」がやってくれると。(山崎哲との対談「演じない演劇のために」『理想』1985年10月号)

幼時に耳を病み、言葉を発することが自明ではなかった者の洞察がここにはある。

朗読劇に戻ろう。今回の震災を絡めた導入部とエピローグは、現代(震災)と過去(戦争)を接合しようとの意図は理解できるが、二つの災厄の表面的な類似以上のなにかを示しえたとは言い難い。演出はよかったと思う。
朗読劇は通常の演劇のように、複雑な演技や凝ったセットは不用で、その分、今回のように素人の参加を可能にする。結果、かえって、演劇というジャンルの本質や演じる行為についての思考を促す、きわめて有意義な舞台となっていた。