劇団銅鑼公演 No. 54 詩森ろば『蝙蝠傘と南瓜』& unrato #6 木下順二『冬の時代』

『蝙蝠傘と南瓜』(3月20日 14:00/銅鑼アトリエ)と『冬の時代』(3月21日 15:00/東京芸術劇場 シアターウエスト)の2日目を観た。

『蝙蝠傘と南瓜』は詩森ろばが劇団銅鑼のために書いた新作で、幕末から明治への激動期に日本(世界)初の女性写真家となった島隆と彼女を支えた夫の霞谷(和製ダ・ヴィンチ)の奮闘を描いたもの。

『冬の時代』は木下順二が半世紀まえ劇団民藝に書き下ろした作品(1964)で、明治の終りから大正にかけて、大逆事件後の閉塞した時代に社会変革への闘志を燃やす若者の群像を描いたもの。

詩森も木下も歴史にこだわる劇作家で、この二作とも実在した人物たちの歴史にフィクションを交えて描いている。さらに、銅鑼は民藝を退団した鈴木瑞穂【『冬の時代』初演では飄風(大杉栄)役】らが1971年に結成した劇団だ。新型コロナウィルスの影響で公演中止が相次いだ後、初めて見たのが、奇しくもこの二作となった。しかも連続で。偶然だとしても、いろいろ考えたくなる。

そこで今回は、二つの舞台をまとめてそれぞれ簡単にメモしたい。

『蝙蝠傘と南瓜』作・演出・衣裳:詩森ろば/美術:杉山 至/照明:榊美香/音楽:後藤浩明/音響/青木タクヘイ/舞台監督/村松眞衣 舞台監督助手/植木 圭/演出助手/池上礼朗 バリアフリーサービス/佐藤響子/制作/田辺素子/[キャスト]島 隆(日本初の女性写真師):林田麻里(ラッキーリバー)/島 霞谷(画家・写真家):館野元彦/小林小太郎(学者):山形敏之/高橋由一(油絵画家):野内貴之/川上冬崖(水彩画家):鈴木正昭/厳田信吾(開成所頭取):佐藤文雄/厳田チヅ(厳田新吾の娘):宮﨑愛美/お榮(葛飾北斎の娘 日本画家):金子幸枝/雪之介(役者):齊藤千裕/千代吉(役者):竹内奈緒子/ツタ(浅草料亭の仲居):北畠愛美/サト(浅草料亭の仲居):早坂聡美/山森鹿雄(郷土史研究家 Wキャスト):山田昭一 千田隼生/柏木尚子(地方新聞記者):馬渕真希 

 地方新聞記者(馬淵)と郷土史研究家(千田)を媒介に過去の歴史を描く手法は、『残花——1945 さくら隊 園井恵子』(2016)と似ている。今回はその中間に当時の役者二人(齋藤・竹内)を語り手として挿入しているが。

桐生にある島隆の実家の土蔵をセットの中心に据え、その扉を開けると玉手箱(蓑崎昭子/プログラム)のように島 隆(りゅう)と霞谷(かこく)の物語が文字通り〝飛び出して〟くる。回転するセットが空間を広く見せ、時間をワープさせる効果も秀逸だ(美術:杉山至)。

島隆役の林田麻里はどこかで見たと思いきや『残花』で園井恵子を演じた女優だった。快活でチャーミングかつ華もあり、見ていて楽しい。夫の島霞谷役には銅鑼のエース館野元彦が配役され、質の維持に貢献した(年下の夫には見えなかったが)。葛飾北斎の娘お榮役の金子幸枝はたぶん初めて見た(最近の入団か)。褒められるのが苦手でちょっとぶっきら棒な役柄をとても自然に演じ、いい味を出していた。そのセリフ「真ん中が変わらなきゃ」は、時代を超えて、現政権を射貫いていた。隆が幕切れ近くで言う、女が社会で活かされるには男の頭の中身が変わらなければ、も痛烈だ。見終わった後、日本は民衆が立ち上がり、手ずから社会を変革したことが一度もないという事実を、その重さを再認識させられた(そのツケがいま回ってきている)。歌あり踊りありのエンターテイニングな装いだが、要所にわれわれの〝いま〟を再考させる素晴らしい舞台。

木下順二『冬の時代』(初演:1964)演出:大河内直子/美術:石原 敬/照明:大島祐夫/音響:早川 毅/衣裳:小林巨和/音楽:阿部海太郎/舞台監督:齋藤英明/制作:筒井未来/プロデューサー:田窪桜子 西田知佳/[出演]渋六(堺利彦):須賀貴匡、飄風(大杉栄):宮崎秋人、奥方(堺為子):壮一帆、ショー(荒畑寒村):青柳尊哉、ノギ(高畠素之):池田 努、不敬漢(橋浦時雄):溝口悟光、文学士:若林時英、デブ(白柳秀湖):山下雷舞、キリスト:結城洋平、テの字/コの字(寺本みち子):小林春世、エンマ(伊藤野枝):佐藤 蛍、小僧:戸塚世那、二銭玉(山川均):井上裕朗、お婆さん:羽子田洋子、奉公会/角袖:青山達三

演出家が、いま、この作品に挑戦した気概は買いたい。だが、残念ながら、なぜいまこの戯曲を上演するのか、その理由が舞台からは見えない。俳優たちは健闘したと思う。以下の感想メモは俳優ではなく、ほぼ演出に向けたもの。

 冒頭でマスクを付けたフーディ姿の少年が現れ、雷鳴と共に驚いて走り去ったのち場面が変わり、「冬の時代」の舞台となる。いまを作品世界(約100年前)へとつなぐ趣向のよう。

第1幕。渋六(堺利彦)売文社の執務室。ショー(荒畑寒村)や飄風(大杉栄)らが熱く議論を戦わせる。その熱は感じられるが、それがどこから来るのか。彼らはなんのために社会主義を信奉し、それを遂行しようとしているのか。手法の違いがあるとき、自分の正しさを必死で主張するのは何のためか。セリフ(言葉)の中身より何が何でも〝情熱〟を表出しようとしているかのよう。結果、一本調子。笑える所も笑いが出ない。お婆さんの在り方はよい。奉公会も。第1幕ラストの女性二人(テの字嬢と奥方)の登場と演技のあり方はあれでよいのか。

第2幕。三年後の同執務室。その場で生み出されたと思える発話は残念ながらあまりない(しずかに語る所はとてもよい)。覚えたセリフを必死で発しているようにしか感じられない(長く難しいセリフを覚えるのは大変だったとは思う)。熱を出そうとするあまり、思い切り叫ぶからこうなるのだろう。渋六は受ける役なのだから、もっと受けて(聞いて)、そこから発するあり方が(演出として)なぜ採れなかったのか。幕切れで旗揚げの宣伝文を読むよう渋六に言われて奥方が読み上がるシーンも、ここまで感情移入するようディレクトするのはなぜなのか。淡々と読むほうが自然だし、意味もよく伝わるはず。かすかに聞こえた子供(赤ちゃん)の声の効果音は、たぶん、未来の命へ引き継ぐ意図なのだろうが……。

第3幕。さらに三年後の執務室。足を引っ掛けて椅子を倒しまくるエンマ(伊藤野枝)のおっちょこちょい振り等々。…… 渋六「人間自然の感情を圧し殺す社会制度は必ず変革しなきゃならんということさ。——いま生きている人たちのためにも、死んでしまった人たちのためにも。そのために闘って行かなきゃならんということさ」。これがほぼ最後のセリフ。終わり頃、冒頭のフーディの少年が舞台後方の冬枯れの木に現れる。少し前から桜の花が上から落ちてきている。少年は渋六夫妻を驚いたような表情で見る。二人が客席の通路を通って捌けると、少年はステージに上がり、机の上から二人の去った方角を見つめ、決然とマスクをして走り去る。照明が落ち、英語のスピーチが聞こえてくる。小さくてよく聞き取れなかったが、たぶんトランプ大統領が新型コロナウィルスを「中国ウィルス」と人種差別的に言及しているスピーチだと思う。

なぜ観客にはほとんど解せない英語のスピーチを使うのか。いまのわれわれも、渋六らのように「闘って行こう」とのメッセージを込めたいのだろうが、何と闘うのか。マスクをした少年からすると、コロナウィルスと? スピーチからすれば、人種差別的なアメリカの大統領トランプと? いずれにせよ、闘う相手が違うだろうと言いたい。たとえば、第3幕の掃除のお婆さんのセリフは、飄風(大杉栄)や渋六(堺利彦)やショー(荒畑寒村)やノギ(高畠素之)らがそのために身体を張って闘っている対象(労働者)の声として、運動のあり方そのものを相対化し批判する力があるはずだ。が、叫ばせてしまってはその効果が半減する。

蜷川幸雄の影響なのか。蜷川の舞台は1980年の『ニナガワ・マクベス』以来、数多く見てきた。たしかに彼の舞台では、演目(シェイクスピアギリシャ悲劇等)や劇場の大きさ等から、必然的にテンションの高い発話が多かった。だが、今回は現代劇であり対話劇だ。もっと普通に発話してほしい。大事なコトバを声高に叫んでしまっては、伝わるものも伝わらない。

よい俳優たちが揃っていたとは思う(ノギの池田努は理知的な役柄ゆえにさほど叫ばなかったせいもありリアルで印象的)。そもそも、いまの若い俳優に、百年前の堺利彦大杉栄らに似せるのはまず論外だが、1963年の初演時のように演じる必要すらないと思う。当時といまとでは状況も人間もあまりに違っている。思い切って、いまの俳優(若者)たちに出来るだけ違和感なく自然なあり方で上演する手もあったのではないか。せっかく劇作家の養女に「若い方に取り組んでほしいのよ。自由におやりなさい」と言われたのなら、なおさらだ。木下順二本人も言っているではないか、「僕は昔から怒鳴る演技が嫌いなんだ」と(平田オリザ木下順二先生の思い出」プログラム)。叫ばずともセリフや行動(演技)に熱を持たせることはできるはず。それが見たかった。

『冬の時代』が初演された5年後、世界を変えようとした学生たちに、三島由紀夫は「諸君の熱情は信じます」と言い残して去った。映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が上演より前に公開されていたらよかった。

 

4月のフィールドワーク予定 2020/コロナと劇場【さらにさらに中止が】【振替←中止】【加筆】

劇場文化の成立条件は、実演者と観客のからだが「いま、ここ」に現前するという一事につきる。両者のあいだで絶えず行き来する精神的なエネルギーの交換(目にみえない糸を通じての感情の交流)によってこそ、舞台は命をもつからだ(スタニスラフスキー)。新型コロナウィルスの感染が広がったいま、人の身体が同じ時空に存在することで感染リスクを生む。舞台公演が続々と中止に追い込まれる所以である。実演芸術の命が生まれる条件と疫病の感染リスクが表裏だというのは、なんともやるせない。一方で、この事実は、ペストを演劇(劇場)の分身として論じたアントナン・アルトーの認識を想起させる。社会のこれほど完全な崩壊、有機体のこのような混乱……。ペストは眠っているイメージの数々、潜在的な混乱を取りあげて、それを一気に最も極端な行動にまで持っていく。そして演劇もまた、行動を取りあげて、それを極限にまで追いつめる。ペストと同様に演劇は、あるものとないものとの間を、可能なものの潜在能力と物質化された自然のなかに存在するものとの間を、再び鎖で結びつける。……演劇は、ペスト同様……数々の葛藤を明るみに出し、いろいろな力を解き放ち、種々の可能性に火を付ける。そして、もし、その可能性や力が陰惨であったとしても、それはペストや演劇の罪ではなく、生の罪なのである》(『演劇とその分身』安藤信也訳)。疫病と演劇(劇場文化)と生と不可分な関係……。コロナ関連のニュースが飛び交う昨今、アルトーに触発されたという津野海太郎の『ペストと劇場』(1980)を無性に読み返したくなった。すでに中止が決まった公演も記録のため記す(3月18日)。

【さらに中止の告知が続き、いま現在(3月27日)、残った公演はBCJの《マタイ受難曲》(4/10)、新日本フィルのトリフォニー定演(4/17)そして新国立オペラの《ホフマン物語》の三つだけ。新国立は海外アーティストが来日できないからまず無理だろうし、新日本フィルもこれまでの流れから難しそう。一縷の望みはBCJだ。危機的な状況化で《マタイ》をやるのは大変意義深い。万全の対策を講じたうえで、ぜひ開催してほしい。】

【新国立オペラ《ホフマン物語》は予想通り中止。BCJの《マタイ》は予定のコンチェルティストらが海外ゲストなのでどうするかと思っていたが、中止ではなく8月3日に延期。とりあえずよかった。(3月30日)】

新国立劇場は緊急事態宣言に伴い中止期間を5月10日まで延長。したがって、演劇『反応工程』と、5月2日からのバレエ『ドン・キホーテ』6公演もすべて中止。新日本フィルからの発表はないが、まず無理だろう。(4月7日)】

【やはり17日の新日フィル定演も中止に。これで今月予定していた9公演が全滅。文化芸術自体の壊滅を防ぐには救済措置が必須。だが、首相は「個別救済」はしないというし、フリーランスを含む個人事業者への給付も条件が厳しく手続きが煩雑でスピード感もない。欧米での手厚い救済がリアルタイムで聞こえてくるだけに、失望どころか怒りすら湧く。ドイツでは文化大臣が「文化は良き時代においてのみ享受される贅沢品などではない」と明言し、フリーランスの芸術家に「速やかな、官僚的ではない救済策をとる」と約束した(モニカ・グリュッタース)。そもそも日本には文化省が存在しない(文化庁長官と文部科学大臣は居るが…)。生命より経済、文化芸術より経済。何が何でも経済/金。現政権を、この国を支配する価値観はこれだ。(4月8日)】

2日(木)15:00 東京春祭 ワーグナー 楽劇《トリスタンとイゾルデ》(全3幕) 指揮:マレク・ヤノフスキ/トリスタン(テノール):アンドレアス・シャーガー/マルケ王(バス):アイン・アンガー/イゾルデ(ソプラノ):ペトラ・ラング/クルヴェナール(バリトン):マルクス・アイヒェ/メロート(バリトン):甲斐栄次郎・ブランゲーネ(メゾ・ソプラノ):エレーナ・ツィトコーワ/牧童、若い水夫の声(テノール):菅野 敦/舵取り(バリトン):高田智士/管弦楽NHK交響楽団/合唱:東京オペラシンガーズ/合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀/音楽コーチ:トーマス・ラウスマン/映像:中野一幸 @東京文化会館

4日(土)19:00 青年団プロデュース公演/尼崎市第7回「近松賞」受賞作品/座・高円寺 春の劇場01/日本劇作家協会プログラム『馬留徳三郎の一日』作:髙山さなえ/演出:平田オリザ/出演:田村勝彦(文学座)羽場睦子(フリー)猪股俊明(フリー)山内健司 山村崇子 能島瑞穂 海津 忠 折原アキラ/声の出演:永井秀樹/舞台美術:杉山 至/照明:三嶋聖子/音響:櫻内憧海/舞台監督:中西隆雄/演出助手:野宮有姫/衣裳:正金 彩/衣裳補佐:原田つむぎ/フライヤーデザイン:京(central p.p.)/制作:有上麻衣/制作助手:河野 遥 @座・高円寺

6日(月)19:00〈ウィーンプレミアコンサート〉J.S.バッハ管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067(フルート独奏:エルヴィン・クランバウアー)/ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 Op.37(ピアノ独奏:小菅 優)/J.S.バッハオーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1060(オーボエ独奏:ベルンハルト・ハインリヒス、ヴァイオリン独奏:フォルクハルト・シュトイデ)/ベートーヴェン交響曲 第5番 ハ短調「運命」 Op.67//管弦楽トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーン/芸術監督・コンサートマスター:フォルクハルト・シュトイデ(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)/[ソリスト]ヴァイオリン:フォルクハルト・シュトイデ/フルート:エルヴィン・クランバウアー(ウィーン交響楽団ソロフルート奏者)/オーボエ:ベルンハルト・ハインリヒス(チューリッヒ歌劇場管弦楽団ソロオーボエ奏者)/ピアノ:小菅 優 @東京オペラシティコンサートホール

7日(火)17:30 新国立劇場オペラ ヘンデルジュリオ・チェーザレ》全3幕[イタリア語上演/日本語及び英語字幕付]指揮:リナルド・アレッサンドリーニ/演出・衣裳:ロラン・ペリー/美術:シャンタル・トマ/照明:ジョエル・アダム/ドラマトゥルク:アガテ・メリナン/演出補:ローリー・フェルドマン/舞台監督:大仁田雅彦/ジュリオ・チェーザレ:アイタージュ・シュカリザーダ/クーリオ:駒田敏章/コルネーリア:加納悦子/セスト:金子美香/クレオパトラ:森谷真理(ミア・パーションはキャンセル)/トロメーオ:藤木大地/アキッラ:ヴィタリ・ユシュマノフ/ニレーノ:村松稔之/合唱指揮:冨平恭平/合唱:新国立劇場合唱団・管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/芸術監督:大野和士 @新国立劇場オペラハウス

10日(金)18:30 BCJ #137 定演 J.S.バッハマタイ受難曲》BWV244 指揮:鈴木雅明エヴァンゲリスト:ジェイムズ・ギルクリスト/ソプラノ:ジョアン・ラン、松井亜希/アルト:ジョン・ミンホ、青木洋也/テノール櫻田亮/バス:ベンジャミン・ベヴァン、加耒徹/合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン @オペラシティコンサートホール←8月3日(月)に延期

11日(土)13:00 新国立劇場 演劇『反応行程』作:宮本 研/演出:千葉哲也/美術:伊藤雅子/照明:中川隆一/音響:藤平美保子/衣裳:中村洋一/ヘアメイク:高村マドカ/方言指導下:川江那/演出助手:渡邊千穂/舞台監督:齋藤英明/出演:天野はな 有福正志 神農直隆 河原翔太 久保田響介 清水 優 神保良介 高橋ひろし 田尻咲良 内藤栄一 奈良原大泰 平尾 仁 八頭司悠友 若杉宏二 @新国立小劇場←払い戻しか14日以降へ振り替え

12日(日)15:00 東京春祭 ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》指揮:マレク・ヤノフスキ/ソプラノ:イヴォナ・ソボトカ/メゾ・ソプラノ:エリーザベト・クールマン・テノールクリスティアン・エルスナー・バス:アイン・アンガー/管弦楽東京都交響楽団・合唱:東京オペラシンガーズ・合唱指揮:トーマス・ラング/合唱指揮:宮松重紀 @東京文化会館

【14日(火)14:00 新国立劇場 演劇『反応行程』作:宮本 研/演出:千葉哲也/美術:伊藤雅子/照明:中川隆一/音響:藤平美保子/衣裳:中村洋一/ヘアメイク:高村マドカ/方言指導下:川江那/演出助手:渡邊千穂/舞台監督:齋藤英明/出演:天野はな 有福正志 神農直隆 河原翔太 久保田響介 清水 優 神保良介 高橋ひろし 田尻咲良 内藤栄一 奈良原大泰 平尾 仁 八頭司悠友 若杉宏二 @新国立小劇場】←11日から振り替えた←緊急事態宣言に伴い中止

17日(金)19:15 新日本フィル定演 #618 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉レオポルド・ヴァン・デア・パルス:交響曲第1番 嬰ヘ短調 op. 4/ラフマニノフ交響曲第2番 ホ短調 op. 27(ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 op. 30から変更)/指揮:上岡敏之 @すみだトリフォニーホール

19日(日)14:00 新国立劇場オペラ オッフェンバックホフマン物語》全5幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉指揮:マルコ・レトーニャ/演出・美術・照明:フィリップ・アルロー/衣裳:アンドレア・ウーマン/振付:上田 遙/[キャスト]ホフマン:レオナルド・カパルボニ/クラウス+ミューズ:小林由佳オランピア:安井陽子/アントニア:木下美穂子/ジュリエッタ:横山恵子/リンドルフ+コッペリウス+ミラクル博士+ダペルトゥット:カイル・ケテルセン/アンドレ+コシュニーユ+フランツ+ピティキナッチョ:青地英幸/ルーテル+クレスペル:大久保光哉/スパランツァーニ:晴 雅彦/シュレーミル:須藤慎吾/アントニアの母の声+ステッラ:谷口睦美/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/合唱:新国立劇場合唱団 @新国立劇場オペラハウス

 

新国立劇場バレエ『マノン』2020 新たなマノン像

『マノン』のゲネプロ、初日、2日目、3日目を観た(2/21 金,22 土,23 日 14:00,26 水 19:00/新国立劇場オペラハウス)。

このバレエ団が『マノン』を上演するのは、2003年、2012年に続き三回目。

初日と2日目は米沢/ムンタギロフ/木下。ゲネプロと3日目は小野/福岡/渡邊。4日目(米沢/井澤/木下)と5日目(3日目と同じ)はコロナウィルスの影響で中止。

初日は終演後、茫然自失。米沢唯の「いのちがけ」に全身全霊で呼応するムンタギロフ。その誠実さ。二人のスタイルは必ずしもマクミラン的とはいえないが、その場で生まれた〝舞台の命〟に全身が震えた。

レスコーの木下嘉人、ムッシューG.M.の中家正博も素晴らしかった。途中、木下レスコーの酔っ払いの踊りあたりから客が拍手しなくなった。ただならぬものに立ち会っていることを感じ始めた証しだろう。〝舞台の命〟は生身のダンサーにみならず、こうして見守る生身の観客なしにはありえなかった。

米沢唯のマノンは、プレヴォより後の、ロマン主義時代に形成された所謂「ファム・ファタール」的悪女像とは異質である。また、インモラルに見える行動の背景に貧困を読み取り、「マノンは貧乏になることを恐れたというよりも恥じたのだ。あの時代の貧困は、長く緩慢な死に相当した」とみるマクミランの解釈(ジャン・パリー『別の鼓手』)とも*1。むしろ米沢は、既成のマノン像はすべて括弧に入れて、プレヴォがデ・グリューの視点を通して描いたマノンを、丹念に自分のからだにぐくらせて、デ・グリュー同様きわめて誠実なムンタギロフと舞台の内外で対話しつつ生きてみた。結果、あのマノンが生まれた。そういうことではないか。

久し振りにプレヴォの小説『マノン・レスコーシュヴァリエ・デ・グリュとマノン・レスコーの物語)』を新訳で読み直した(光文社古典新訳文庫 2017)。意外にも、活字から浮かび上がるマノンのイメージは、米沢マノンとさほどの距離を感じなかった*2

マノンという女性は、語り手のルノンクール公爵にとって「何ともやさしく、魅力あふれる慎ましい様子」を見せ「上流の令嬢」にも思われる一方で、デ・グリューを何度も裏切り、「魅力はあるが不実な女」とデ・グリューにいわしめる。ゆえに公爵(語り手)は「女というものの理解しがたさ」について思索せざるえない。この思索は、米沢唯の模索と繋がっているように思える、「私も含めて女という、不条理の底の、普遍的な何かを見つけて、少しずつ手繰り寄せ、演じていきたいと思います」(ミニ・インタビュー「The Atre」2月号)。

以下、例によって、だらだらとメモする。

振付:ケネス・マクミラン(初演1974)/音楽:ジュール・マスネオーケストレーション・編曲:レイトン・ルーカス,編曲協力:ヒルダ・ゴーント/美術・衣裳:ピーター・ファーマー/照明:沢田祐二/新オーケストレーション・編曲(1911)・指揮:マーティン・イェーツ(イエイツ)/管弦楽:東京交響楽団

マノン:米沢 唯/デ・グリュー:ワディム・ムンタギロフ(英国ロイヤルバレエ・プリンシパル)/レスコー:木下嘉人/ムッシューG.M.:中家正博/レスコーの愛人:木村優里/娼家のマダム:本島美和/物乞いのリーダー:福田圭吾/看守:貝川鐵夫

高級娼婦:寺田亜沙子(2日目は渡辺与布) 奥田花純 柴山沙帆 細田千晶 川口 藍

踊る紳士:速水渉吾 原 健太 小柴富久修

客:宇賀大将 清水裕三郎 趙 戴範 浜崎恵二朗 福田紘也

当日掲示のキャスト表は簡略にすぎる。以前の販売プログラム同様、もっと詳細なものを示して欲しい。

 第1幕

1場 パリ近郊の宿屋の中庭

冒頭はオラトリオ『聖母』第四場の前奏曲「聖母のとわの眠り」。本作は冒頭と結末にマノンへの祈りの音楽が奏される。幕が開くと木下レスコー(原作では素行のよくない近衛兵)が舞台中央に片膝を立てて座り、客席の向こうを見つめている。佇まいがとてもよい。木下はワルの感じがシャープな踊りや動きに滲み出る。米沢マノンとの兄弟の絆もOK。愛人木村は踊りはシュアーに見える(わたし絶対に失敗しないので的な)が、娼婦/愛人としての甘さや可愛げが欲しい気もする。ムンダギロフ=デ・グリューはまさに育ちのよい(元)神学生。登場したマノンは歌曲『田園詩』の「黄昏」*3に合わせて、片脚を交互に動かすステップ(ロン・ドゥ・ジャンブ? プティ・バットマン?)が印象的。ライトモティーフのステップ版か(続く2・3幕でもマノンは登場の度に同じ音楽で同じステップを見せるが、その分、彼女の変化がより際立つ)。デ・グリューはマノンを一目で気になりはじめ、本を読みつつ時折マノンに視線を向ける。そのプロセスがとても自然。マノンのデ・グリューへの初見は単なるone of them(男)。それが徐々に変わっていく。デ・グリューの挨拶のソロ。その雄弁なアラベスクから、誠実さ、明朗さ、大きさが表出される。両腕を広げる動きは、いつも羽を広げた孔雀を連想させるが、ムンタギロフはどこまでも気品を失わぬまま(初日は弦の音程がいまひとつ、2日目以降はOKだが、コンマスソロのグリッサンドはこの場にそぐわない)。出会いのパ・ド・ドゥ。米沢は相手に身を任せる(自分を投げ出す)あり方が半端ではない。リフトされるときの気持ち好さが増すにつれてどんどん相手を好きになり、見交わす二人の笑顔も増していくかのよう。が、音楽はエレジー*4。この出会いが悲劇の始まりであることを告知する。実に秀逸。

2場 パリ、デ・グリューの下宿

父親に手紙を書くデ・グリューのペンを奪い、二人は抱擁する。結ばれた喜びを再確認する歓喜に溢れた踊り(寝室のパ・ド・ドゥ)。音楽は「君の青い瞳を開けてよ」*5。シークエンスの後、ベッドにダイブするマノン。これが幸福の絶頂か。デ・グリューが手紙を出しに行った直後、レスコーがG.M.中家と来訪。マノンは初めは拒否するが、豪華な毛皮やネックレスに心が動く。過去よりも〝いまここ〟の快(贅沢/快適)を優先するマノン。レスコーとムッシュー G.M.のトロワ。マノンの〝女としての価値〟をムッシュー G.M.に疑似体験させる官能的な踊り(こんな振付よく考えるな)。毛皮を着たマノンが去る前、ベッド(デ・グリューとの過ぎた時間)に手を当て、毛皮(いまここの快)と比べ、納得する(やはりこっちだわ、と)。マノンとムッシューG.M.が去った後、帰宅したデ・グリューとレスコーが鉢合わせ、激しいやりとりに。レスコーは、お前のためでもあるのだ、だから金を受け取れと。上背のあるムンタギロフ(デ・グリュー)と木下レスコーだが、後者が前者を圧倒する。見応えあるシーン(初日はトランペットが少しへたった)。

第2幕

1場 高級娼家でのパーティ

レスコー(木下)の酔っ払いの踊りはこれまで見たなかでも最上位の部類。ボトルを真上に持ち上げて飲む仕草、ふらつく動きも力が抜けて秀逸。愛人(木村)とのやりとりもよい。木村は下層(?)出身の感じがよく出ている。踊る紳士の速水渉悟(ピンクタイツ)はやはり抜きんでている(潰されないで伸びていってほしい)。例の音楽が聞こえるとマノン登場。花魁道中の誇示するような感触よりも、水を得た魚のような自在さ(私の場所はここよといわんばかりの)が優勢。ソロはきわめてスムーズで、音楽のテンポが速く感じたほど。贅沢を保証する後ろ盾を得て、質素な暮らしの不安は払拭され自信に溢れている。男たちに次々とリフトされるシークエンスも大変なめらか。自分がモノのように扱われることへの違和感のなさ、というか、むしろ快適ですらあるかのよう。が、デ・グリューが現れて心が騒ぐ。彼の苦悩を目の当たりにして、初めて自分の行動の意味を知り、深く動揺(同情)する。特に初日は、あたし何てことしたのかしら、と涙を滲ませるほど。ここまで感情を動かしたマノンは初めて見た。状況はまったく異なるが『椿姫』第2幕2場でアルフレード(アルマン)を見たヴィオレッタ(マルグリット)の反応を想起(プレヴォなしに117年後のデュマ・フィス小説はない)。ムンタギロフ=デ・グリューの生きられた煩悶が米沢マノンの深い同情を喚起したのだろう。ムッシュー G.M.から飲み残しのグラスを渡され、「なんでぼくがあんな奴の…」とテーブルへ割れんばかりに置く。マノン/レスコーに促され、カード賭博でいかさまする時、ムンタギロフは必ず後ろを気にしてカードを隠す(すり替える)。こうした細部がドラマの質を高めていく。本島マダムの細やかな演技や中家G.M.の一貫したオレサマ感、趙載範(客)の盤石なサポートと巧みな芝居等が舞台を引き締めた。いかさまは結局バレて、二人は逃げ出すが、レスコーはムッシュー G.M.に捕まる。

2場 デ・グリューの下宿

パッキングして下宿を引き払う準備中の二人。ブレスレットのパ・ド・ドゥ(音楽はオペラ『グリセリディス』第2幕から「彼は春に立ち去った」)。パーティで着ていたドレスを持って行きたいマノン。首を振る元神学生のデ・グリュー。ブレスレットだけでも。ノー。地上(モノ)vs天上(精神)の対立(cf.ヴィシニョーワ&ゴメス)。ムッシューG.M.と警察が拷問されたレスコーを連れて登場。マノンの行動は兄の死も招いた(原作では同じ近衛兵に恨まれ射殺される)。第3幕での転落を強化し〝罪と罰〟を明確にするためか。

 第3幕

1場 港

流刑地で女を物色する貝川看守。憔悴し切ったマノン。必死で彼女をケアするデ・グリュー。それだけで、グッときた。マノンが看守の手下に連れ去られる。後を追うデ・グリュー。この場面にはいつも惹きつけられる。音楽とデ・グリューのあり方。グッときた。かなり。

2場 看守の部屋

逆光の部屋のセットが妙に美しい(『ニナガワ マクベス』のエドワード王宮廷を想起)。が、起きることは美しくない。看守に辱められるマノン。褒美にブレスレットが腕に巻かれる。あれほどこだわっていた装飾品を忌み嫌い、怖れるマノン等々。なんか見ていられない。デ・グリューが駆け寄り看守を殺害。凶器のナイフを何度もデ・グリューに見せるマノン。人を殺した直後、血がたぎり心が毛羽立つ青年のソロ。第2幕のパーティで全員が隣室に去ったあとのソロと比較せよ。苦悩から心の軋みへ(原作ではサン=ラザール修道院からデ・グリューが脱走するとき襲ってきた使用人を拳銃で撃ち殺す)。

3場 沼地

死を前にしたマノンが幻視する走馬燈。沼地のパ・ド・ドゥ。米沢マノンのフォルムはどことなくギエムを想起させる。が、あり方はまったく別。憔悴と凋落振りがここまで徹底したマノンは見たことがない。いまにも倒れそうなふらふらの足取りで助走し、天に向かって回転しながら飛び上がり、デ・グリューに抱き留められる。音楽はオラトリオ『聖母』の4場「聖母の法悦」聖母マリアの被昇天を描いたものだ*6。6年前見たABTの舞台では音楽がいわばマノン(ヴィシニョーワ)の内側で鳴っているように感じた。つまり、マノン本人が天に昇ろうと必死で藻掻いている。そう見えた。が、今回、それは、あくまで創作者(マクミラン)の祈りにすぎず、被昇天への思いなどマノンのなかには存在しない。ただ、いまここで、最後の生を生きる、その行動が、わけも分からず、天に向かって飛び上がる動きになり、それを、最愛のデ・グリューが必死で受け止める。それが、無謀にも被昇天を試みているように見えたにすぎない。マノンのからだが地に触れるのをデ・グリューが必死で防ぐが、その祈りは叶わない。

2日目はすべてがよりズムーズな印象。沼地のラストでデ・グリューは息を引き取ったマノンに思わず口づけする。そのあり方がこの日は真に迫っていた。

『マノン』のバレエ音楽はチェロが要といってよい。3日目に2階左バルコニーで見て初めて気づいたが、チェロのトップは、東響ではなく、東フィルの服部誠氏が弾いていた。ゲストだったようだ。 

2012年の再演で「マノンに米沢唯をキャスティングしなかったのは信じがたい」と思った。が、「物事には時機というものがあります」と本人にたしなめられた(あれはRBが『アリス』で来日した年か)。その通りだった。マノンを(特に日本人が)踊るのは並大抵のことではない。2003年に踊った酒井はなも大変だったろう。今回その機が熟し、米沢はまったく新しいマノン像を見せてくれた。デ・グリュー役が井澤駿に変われば、また違ったマノンを生きただろう。コロナウィルスの影響で中止になったのは大変残念だ。

3日目についてはすでにツイートで簡単にメモしたが、少し加筆修正し、以下に採録する。

マノン:小野絢子/デ・グリュー:福岡雄大/レスコー:渡邊峻郁/ムッシューG.M.:中家正博/レスコーの恋人:木村優里(寺田亜沙子は怪我のため降板)/物乞いのリーダー:速水渉悟

一応かたちになったが、細部はまったく物足りないし、何より、役の心が見えなかった(それがあれば細部はおのずと付いてくる)。格好がついたのはG.M.中家やマダム本島等の強力な支えがあったから。デ・グリュー福岡はどうしたのか。8年前も神学生には見えなかったが踊りはとても充実していた。今回はどこか投げやり。ふて腐れているようにも見えた(何に対して?)。

小野はまずよくやったと思う。ただ、内側が伴わない相手では、化学反応の起きようがない。渡邊レスコーは酔っ払いの踊りは思いの外よかったが、デ・グリューとの爪先立ちの絡みでは、相手を圧倒する鋭さが足りない(木下は長身のムンタギロフをハラで優越した)。特に『マノン』のようなドラマティックバレエでは、ただ振付の形をなぞっても、その場で自ずと心の動きや感情が湧出しない限り、舞台の命は生まれない。客席の甘い反応に勘違いしてはいけない。第3幕は多少こころが動いたが、それは音楽と振付の力。1・2幕では二人から熱がまったく感じられなかった。渡邊デ・グリューに福岡レスコーなら、小野の好さがもっと出たのではないか。福岡と渡邊の好さも。

*1:初演のジョージアディスの美術は貧困を象徴する襤褸布の多用が印象的で新国立の初プロダクションもそうだった。が、2008年の再演からピーター・ファーマーの洗練された美的なセットに代わり、マーティン・イエイツのすっきりした新編曲と相まって、華美の裏に隠された貧困のイメージはほぼ払拭された。マクミランのマノン貧困説については、注2を見よ。

*2:訳者の野崎歓氏は、フェミニズムジェンダー論の視点から論じたシモーヌ・ドルサールの読解を紹介している。「『十八世紀の社会的文脈においては、平民に生まれた娘にとって修道院と売春とのあいだで選択の道は決して広くなかった』」。だから「身を売ることを辞さないマノンの貞淑観念の薄弱さを道徳心の欠如と短絡的に捉えるべきではない」。「マノンは自分の意志も存在も本当には認められないまま、男たちの欲望の対象としてのみ漂い続けることを余儀なくされた弱者」である等々。
 このマノン擁護論(1971)は、マクミランのマノン解釈に近い。バレエの初演は1974年だから、読んでいたかも知れない。
 だが、訳者によれば、「平民であるとはいえ、マノンの社会的身分がはたして[貴族の御曹司]デ・グリューとそこまで隔絶したものだったかどうかには、留保の余地があるかもしれ」ないという。なぜなら、語り手のルノンクール公爵はマノンについて「別の状況で出会ったなら上流の令嬢だと思ったに違いない」との印象を受ける。しかも、この「上流の令嬢」は1731年の初版では「どこかの姫君(プリンセス)」であり、さらに「貴族でなくともかなりの名家の生まれ」との一文もあったが、ともに1753年の改訂版で削除されたと。
 こうした改訂は刊行後に発禁処分となった事情と関係するのだろう。いずれにせよ、「マノンが読書好きなことや、ラシーヌの古典悲劇をもじって気の利いた詩句をひねりだしてみせることは、彼女の育った環境がかなりの知的・経済的水準にあったことをうかがわせ」ると野崎氏はいう。
 このマノン像は、マクミランフェミニズムジェンダー論的解釈とも、ファン・ファタール的イメージともかけ離れている。むしろ、米沢マノンに近いといえないか。

*3:歌曲『田園詩』第5番「黄昏」(詩:アルマン・シルヴェストル/訳:藤井宏行)《白いカーテンのように/その花びらを下げて/ユリの花たちは花びらを閉じ/テントウムシたちは眠りについている//朝の光がやってくるまで/ユリの花の中に隠されて/乙女の夢の中にいるように/テントウムシは眠りについている//ユリの花は一瞬たりとも眠らない/きみも頭を垂れて/ぼくらは愛のことを語り合わないかい?/テントウムシは眠りについている》

*4:付随音楽『復讐の三女神』から「エレジー」歌詞(詩:ルイ・ガレ/訳:藤井宏行)は次の通り。《おお甘き春よ 過ぎ去った昔の/緑の季節よ、お前は永遠に去ってしまった!/あの青空をもう見ることはない/あの鳥のさえずりを聴くことも!//私の幸せをみな持って/おお恋人よ、お前は行ってしまった!/春が戻ってもむなしいだけ!/そうなのだ!帰ってこないのだ、お前も、太陽の輝きも//微笑みの日々は消え去ってしまった/私の心の中は暗く凍り付いている!/すべては終わった! 永遠に!》マクミランと編曲のルーカスやゴーンは、この歌を二人の出会いのパ・ド・ドゥに使ったのである。

*5:(詞:ポール・ロビケ/訳:藤井宏行)《(彼)/君の青い瞳を開けてよ 愛しい人/一日は始まったんだ/もう鳥たちはさえずっているよ/愛の歌を/朝焼けはバラ色に染まっている/ぼくと一緒に行こうよ/花咲くヒナギクを摘みに/目覚めてよ! 目覚めてよ!/君の青い瞳を開けてよ 愛しい人/一日は始まったんだ//(彼女)/どうしてこの世界を/そんなに美しいと思うの?/愛することの方がずっと甘い神秘だわ/夏の日なんかよりずっと/私の中よ 鳥がさえずっているのは/勝利の歌そして私たちを燃やす太陽/この私の胸の中よ》

*6:オラトリオ『聖母』4場「聖母の法悦」《果てしなく続く夢! 聖なる法悦!/眼が眩む!/計り知れない広大さに胸が押しつぶされそう!/果てしなく続く夢!ああ! 未知の力にうっとりする。すでに私は義なる者の霊[天使]の声を聴いた。生の軛からすでに解放された私は、[人間としての]最後の悲しみを味わい終えたのだ!/おお、聖なる眩暈、悲しみをさそう輝き!/眼は眩み、計り知れない広大さに胸が押しつぶされそう!/天の扉が開こうとしている!.../果てしなく続く夢!...聖なる法悦!.../天空は光り輝き、燃え始める...燃え始める。/果てしなく続く白昼!/天よ、私はあなたを目の当たりにする!.../おお、光の奔流よ、/調和と愛の、/平安と美の奔流よ!.../あまりに取り乱した私の魂は、/祈りを捧げなければならない/この天上の荘厳なる光景に!.../おお、聖なる眩暈、悲しみをさそう輝き!/眼は眩み、計り知れない広大さに胸が押しつぶされそう!/天の扉が開こうとしている!.../果てしなく続く夢!...聖なる法悦!.../天空は光り輝き、燃え始める...燃え始める。/果てしなく続く白昼!》

3月のフィールドワーク予定 2020/コロナで中止?【さらにさらに中止が】【再再追加】

新型コロナウイルスの感染拡大防止を理由に公演中止が出ている。初動で専門的知見に基づいた十全な対応をとっていれば、こんなことには…。大変残念だ。新国立劇場バレエの『マノン』は見る機会が少ないだけに最後まで上演してほしかった。特に米沢唯と井澤駿(デ・グリュー)の舞台(2/29)が流れたのは本当に悔やまれる。あまり知られていないようだがダンサーたちは劇場(運営財団)職員とは違ってギャラ制だ。公演が中止になれば、収入も減る。そうした補償は考えられているのだろうか。今後も状況(というより政府の意向)によっては中旬以降の公演もあやうい。劇場や主催者は右へ倣えで一律に中止したりせず、観客に十分な注意喚起と安全対策を講じた上で予定通り開催してほしい。劇場やホールの観客席より、満員電車の方がよほど危険に思えるが。【危惧したとおり新国立劇場は《コジ・ファン・トゥッテ》も中止にした。3.11以降の状況と似てきた感がある。あのときは放射能、今度は新型コロナウィルス。科学的なデータをベースに説得的な説明ができない限り、海外のアーティストは来日に踏み切れないだろう。たとえ来日して無事公演を終えたとしても、帰国したら2週間は隔離されてしまう。だが、カヴァー歌手は何のためキャストされているのか。2011年4月《ばらの騎士》でそうしたように、日本在住のアーティストで上演する方途はなかったのか。】【19日の新日本フィルも中止に。どこまで続くだろう。3/10】【20日新国立劇場演劇も中止。この劇場は残念ながら政府の言いなりで、独自の判断など期待できそうにない。3/11】

1日(日)14:00 ヘンデル『シッラ』全3幕 HWV 10 イタリア語上演/日本語字幕付日本初演音楽監督ファビオ・ビオンディ(指揮・ヴァイオリン)管弦楽エウローパ・ガランテ/演出:彌勒忠史/美術:tamako☆/衣裳:友好まり子/照明:稲葉直人(ASG)/舞台監督:大澤 裕(ザ・スタッフ)/映像:田中有紀(㈱ストロベリーメディアアーツ)/演出助手:家田淳/台本字幕翻訳:本谷麻子/[配役]シッラ=ソニア・プリナ(コントラルト)/クラウディオ=ヒラリー・サマーズ(コントラルト)/メテッラ=スンヘ・イム(ソプラノ)/レピド=ヴィヴィカ・ジュノー(メゾ・ソプラノ)/フラヴィア=ロベルタ・インヴェルニッツィ(ソプラノ)/チェリア=マリア・イノホサ・モンテネグロ(ソプラノ)/神=ミヒャエル・ボルス(バリトン)/スカブロ=神谷真二(黙役)/天使ほか=桧山宏子/板津由佳(エアリエル)/兵士ほか=春日克之/佐久本歩夢(BLUE TOKYO)@神奈川県立音楽堂

7日(土)14:00 こつこつプロジェクト―ディベロップメント―リーディング公演『リチャード三世』作:ウィリアム・シェイクスピア/翻訳:松岡和子/構成・演出:西 悟志/出演:池田有希子 大久保美智子 塚瀬香名子 野口俊丞 三原玄也 山田宏平 ほか @新国立小劇場

 13日(金)19:00 こつこつプロジェクト リーディング公演『スペインの戯曲』作:ヤスミナ・レザ/翻訳:穴澤万里子/演出:大澤 遊/出演:那須左代子 斉藤直樹 中村美貴 デジルバ・安奈 ほか @新国立小劇場

 18日(水)18:30 新国立劇場オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉作曲:W. A. モーツァルト/台本:ダ・ポンテ/指揮:パオロ・オルミ/演出:ダミアーノ・ミキエレット/美術・衣裳:パオロ・ファンティン/照明:アレッサンドロ・カルレッティ/[キャスト]フィオルディリージ:エレオノーラ・ブラット/ドラベッラ:アンナ・ゴリャチョーワ/デスピーナ:高橋薫子/フェルランド:ジョヴァンニ・サラ/グリエルモ:レナート・ドルチーニ/ドン・アルフォンソ:シモーネ・アルベルギーニ/管弦楽:東京交響楽団/合唱:新国立劇場合唱団 @新国立劇場オペラハウス

19日(木)19:00 新日本フィル定演 #617 ジェイドサントリーホール・シリーズ〉ウェーベルンパッサカリア op. 1/ベルク:7つの初期の歌曲*/ブラームス交響曲第4番 ホ短調 op. 98/指揮:上岡敏之/ソプラノ:ユリアーネ・バンゼ* @サントリーホール

20日(金)14:00 劇団銅鑼公演 No. 54『蝙蝠傘と南瓜』作・演出・衣裳:詩森ろば/美術:杉山 至/照明:榊美香/音楽:後藤浩明/音響/青木タクヘイ/舞台監督/村松眞衣 舞台監督助手/植木 圭/演出助手/池上礼朗 バリアフリーサービス/佐藤響子/制作/田辺素子/[キャスト]島 隆(日本初の女性写真師):林田麻里(ラッキーリバー)/島 霞谷(画家・写真家):館野元彦/小林小太郎(学者):山形敏之/高橋由一(油絵画家):野内貴之/川上冬崖(水彩画家):鈴木正昭/厳田信吾(開成所頭取):佐藤文雄/厳田チヅ(厳田新吾の娘):宮﨑愛美/お榮(葛飾北斎の娘 日本画家):金子幸枝/雪之介(役者):齊藤千裕/千代吉(役者):竹内奈緒子/ツタ(浅草料亭の仲居):北畠愛美/サト(浅草料亭の仲居):早坂聡美/山森鹿雄(郷土史研究家 Wキャスト):山田昭一 千田隼生/柏木尚子(地方新聞記者):馬渕真希 @銅鑼アトリエ

20日(金)19:00 こつこつプロジェクト リーディング公演『あーぶくたった、にいたった』作:別役 実/演出:西沢栄治/出演:龍昇 中原三千代 山森大輔 浅野令子 @新国立小劇場

21日(土)15:00 unrato #6『冬の時代』作:木下順二/演出:大河内直子/美術:石原 敬/照明:大島祐夫/音響:早川 毅/衣裳:小林巨和/音楽:阿部海太郎/舞台監督:齋藤英明/制作:筒井未来/プロデューサー:田窪桜子 西田知佳/[出演]須賀貴匡宮崎秋人壮一帆、青柳尊哉、池田 努、溝口悟光、若林時英、山下雷舞、結城洋平、小林春世、佐藤 蛍、戸塚世那、井上裕朗、羽子田洋子、青山達三 @東京芸術劇場 シアターウエス

【22日(日)15:40 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」監督:豊島圭介/企画プロデュース:平野隆/プロデューサー:竹内明 刀根鉄太/共同プロデューサー:大澤祐樹 星野秀樹 岡田有正/撮影:月永雄太/録音:小川武/編集:村上雅樹/音楽:遠藤浩二/音楽プロデューサー:溝口大悟/ナレーション:東出昌大/助監督:副島正寛/アシスタントプロデューサー:吉原裕幸諸井雄一 韮澤享峻/企画協力:小島英人/題字:赤松陽構造//出演:三島由紀夫/芥正彦/木村修/橋爪大三郎/篠原裕/宮澤章友/原昭弘/椎根和/清水寛/小川邦雄/平野啓一郎内田樹小熊英二瀬戸内寂聴イオンシネマ板橋】←追加 

【26日(木)14:00 文学座 3月アトリエの会/岸田國士フェスティバル『歳月/動員挿話』「歳月」演出:西本由香/出演:中村彰男 神野 崇 越塚 学 名越志保 吉野実紗 前東美菜子 音道あい 磯田美絵//「動員挿話」演出:所 奏/出演:斉藤祐一 西岡野人 西村知泰 鈴木亜希子 伊藤安那 松本祐華//[スタッフ]美術:島根慈子、石井強司 照明:阪口美和 音響:丸田裕也 衣裳:宮本宣子 舞台監督:岡野浩之/制作:田中雄一朗、友谷達之、最首志麻子/宣伝美術:藤尾勘太郎文学座アトリエ】←行事が中止となり急遽追加

【27日(金)19:00 新国立劇場バレエ団 DANCE to the Future 2020/第一部「Seul et unique」振付:渡邊峻郁 出演:中島瑞生、渡邊拓朗/「Contact」振付:木下嘉人 音楽:オーラヴル・アルナルズ 出演:米沢 唯、木下嘉人/「福田紘也2020」振付:福田紘也 出演:速水渉悟、宇賀大将、川口 藍、原田舞子、福田紘也//第二部「アトモスフィア」振付:木下嘉人 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ 出演:福岡雄大 ピアノ演奏:蛭崎あゆみ/「神秘的な障壁」振付:貝川鐵夫 音楽:フランソワ・クープラン 出演:米沢 唯/「コロンバイン」振付:髙橋一輝 音楽:ソルケット・セグルビョルンソン 出演:池田理沙子、渡辺与布、玉井るい、趙 載範、佐野和輝、髙橋一輝/「accordance」振付:福田圭吾 音楽:峯モトタカオ、アルヴァ・ノト 出演:小野絢子、米沢 唯、福岡雄大、木下嘉人、五月女 遥、福田圭吾//第三部 コンポジション・プロジェクトによる作品『〇 ~wa~』アドヴァイザー:遠藤康行 音楽:平本正宏[グループDO/動]出演:渡邊峻郁 木村優里 益田裕子 稲村志穂里 太田寛仁 関 優奈 徳永比奈子 中島春菜 中島瑞生 原田舞子 廣川みくり 渡部義紀 伊東真梨乃 @新国立小劇場】←忘れてた

28日(土)13:00 新国立劇場バレエ団 DANCE to the Future 2020/第一部「Seul et unique」振付:渡邊峻郁 出演:中島瑞生、渡邊拓朗/「Contact」振付:木下嘉人 音楽:オーラヴル・アルナルズ 出演:米沢 唯、木下嘉人/「福田紘也2020」振付:福田紘也 出演:速水渉悟、宇賀大将、川口 藍、原田舞子、福田紘也//第二部「アトモスフィア」振付:木下嘉人 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ 出演:福岡雄大 ピアノ演奏:蛭崎あゆみ/「神秘的な障壁」振付:貝川鐵夫 音楽:フランソワ・クープラン 出演:米沢 唯/「コロンバイン」振付:髙橋一輝 音楽:ソルケット・セグルビョルンソン 出演:池田理沙子、渡辺与布、玉井るい、趙 載範、佐野和輝、髙橋一輝/「accordance」振付:福田圭吾 音楽:峯モトタカオ、アルヴァ・ノト 出演:小野絢子、米沢 唯、福岡雄大、木下嘉人、五月女 遥、福田圭吾//再三部 コンポジション・プロジェクトによる作品『A to THE』アドヴァイザー:遠藤康行 音楽:平本正宏 [グループZA/座]出演:柴山紗帆 飯野萌子 広瀬 碧 福田紘也 益田裕子 赤井綾乃 太田寛仁 関 晶帆 仲村 啓 西川 慶 原田舞子 樋口 響 廣川みくり 横山柊子@新国立小劇場

 

2月のフィールドワーク予定 2020【修正】

 今月は青年団の『東京ノート』が国内では8年ぶりに再演され、究極の〝多言語同時多発演劇〟という『東京ノート・インターナショナルバージョン』(7カ国版)も上演される。マクミラン振付のバレエ『マノン』を新国立劇場が再演するのも8年ぶり。シルヴィ・ギエムの『マノン』(英国ロイヤルバレエ NHKホール 1999)でバレエの魅力に取り憑かれた。絶対に外せない演目だ。米沢唯がどんなマノンを見せてくれるか。注視したい。

6日(木)18:30 新国立劇場オペラ《セビリアの理髪師》全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ/指揮:アントネッロ・アッレマンディ/演出:ヨーゼフ・E.ケップリンガー/美術・衣裳:ハイドルン・シュメルツァー/照明:八木麻紀[キャスト]アルマヴィーヴァ伯爵:ルネ・バルベラロジーナ:脇園 彩/バルトロ:パオロ・ボルドーニャ/フィガロ:フローリアン・センペイ/ドン・バジリオ:マルコ・スポッティ/ベルタ:加納悦子/フィオレッロ:吉川健一/隊長:木幡雅志/アンブロージオ:古川和彦/管弦楽:東京交響楽団/合唱:新国立劇場合唱団 @新国立劇場オペラハウス

7日(金)19:00 東京ノート・インターナショナルバージョン』作・演出:平田オリザ/台本翻訳協力:ソン・ギウン、サーウィター・ディティヨン、ロディ・ベラ、コディ・ポールトン、陳 彦君、ブライアリー・ロング/出演:山内健司 松田弘子 能島瑞穂 長野 海 鄭 亜美 中村真生 ブライアリー・ロング 佐藤 滋 前原瑞樹 藤谷みき 淺村カミーラ 木村トモアキ 多田直人(以上 青年団) 井垣ゆう(兵庫県豊岡市立城崎中学校) 陳 忻 趙 欣怡 パッチャラワン・クルアパン カモンワス・ジュティサムット アントネット・ゴー メイエン・エスタネロ マンジン・ファルダス ペク・ジョンスン チョン・スジ/舞台美術:杉山 至/舞台美術アシスタント:濱崎賢二/舞台監督:武吉浩二(campana)/舞台監督補佐:海津 忠/演出助手:陳 彦君/照明:富山貴之/照明補佐:三嶋聖子 井坂 浩/音響:泉田雄太 櫻内憧海/字幕:西本 彩/衣裳:正金 彩/通訳:齋藤晴香/城崎食事:森 友樹(急な坂スタジオ) 佐藤亜里紗(boxes Inc.)/宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子/宣伝写真:佐藤孝仁/宣伝美術スタイリスト:山口友里/撮影協力:千葉県立富津公園 千葉県君津土木事務所/制作:太田久美子 西尾祥子(sistema) 有上麻衣 金澤 昭 @吉祥寺シアター

16日(日)15:00 BCJ #163 定演〈祈りのモテット〉J.S. バッハ《われらの悩みの極みにありて》BWV 641*/モテット《主に向かいて新しき歌をうたえ》BWV 225/モテット《み霊はわれらの弱きを助けたもう》BWV 226/モテット《来ませ、イエスよ、来ませ》 BWV 229/カンタータ《わが片足すでに墓穴に入りぬ》BWV 156より〈シンフォニア〉/詩編51編《消してください、いと高き主よ、私の罪を》BWV 1083〜ペルゴレージスターバト・マーテル》による〜指揮:鈴木 雅明/ソプラノ:松井 亜希/アルト:ベンノ・シャハトナー/テノール:櫻田 亮/バス:ドミニク・ヴェルナー/オルガン独奏:鈴木 優人*/合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン @オペラシティコンサートホール

19日(水)19:00 東京ノート』作・演出:平田オリザ/出演:山内健司 松田弘子 秋山建一 小林 智 兵藤公美 能島瑞穂 大竹 直 長野 海 堀 夏子 鄭 亜美 中村真生 井上みなみ 佐藤 滋 前原瑞樹 中藤 奨 永山由里恵 藤谷みき 木村トモアキ 多田直人 南風盛もえ/スタッフ:同上 @吉祥寺シアター

21日(金)14:00 新国立劇場バレエ団『マノン』ゲネプロ新国立劇場オペラハウス

22日(土)14:00 新国立劇場バレエ団『マノン』振付:ケネス・マクミラン/音楽:ジュール・マスネ/美術・衣裳:ピーター・ファーマー/照明:沢田祐二/編曲・指揮:マーティン・イェーツ/管弦楽:東京交響楽団[主要キャスト]マノン:米沢 唯/デ・グリュー:ワディム・ムンタギロフ(英国ロイヤルバレエ・プリンシパル)/レスコー:木下嘉人ムッシューG.M.:中家正博/レスコーの恋人:木村優里/物乞いのリーダー:福田圭吾 @新国立劇場オペラハウス

23日(日・祝)14:00 新国立劇場バレエ団『マノン』[主要キャスト]マノン:米沢 唯/デ・グリュー:ワディム・ムンタギロフ(英国ロイヤルバレエ・プリンシパル)/レスコー:木下嘉人新国立劇場オペラハウス

25日(火)14:00 CAPI『Gengangere 再び立ち現れるもの/亡霊たち』作:イプセン/翻訳・演出:毛利三彌/出演:久保庭尚子 西山聖了(YOUGOTRUST) 中山一朗 髙山春夫(プロダクション・エース) 藤井由紀(唐組)/演出助手:中川順子/照明:渡邉雄太/照明操作:渡邉京子、横山紗木里/音響:渡邉邦男/宣伝美術:海野温子/舞台監督/制作補助:世amI/芸術総監督:平田オリザ/技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)/制作協力:木元太郎(アゴラ企画)@こまばアゴラ劇場

25日(火)18:30 新国立劇場 演劇研修所『社会の柱』作:ヘンリック・イプセン/翻訳:アンネ・ランデ・ペータス/演出:宮田慶子/美術:池田ともゆき/照明:中川隆一/音響」:信澤祐介/衣裳:西原梨恵/演出助手:高嶋柚衣(11期修了)/翻訳協力:今村麻子/舞台監督:澁谷壽久/出演:今井仁美 大久保眞希 島田恵莉 松内慶乃 松村こりさ ユーリック永扇(以上 新国立劇場演劇研修所第13期生)/河波哲平 河野賢治 宮崎隼人/古川龍太(1期修了) 原 一登(4期修了) 野坂 弘(7期修了) 鈴木麻美(8期修了) 髙橋美帆 (9期修了)/小比類巻諒介(11期修了) 椎名一浩(11期修了)/後援:ノルウェー大使館/演劇研修所長:宮田慶子/主催:文化庁新国立劇場 @新国立小劇場

26日(水)19:00 新国立劇場バレエ団『マノン』[主要キャスト]マノン:小野絢子/デ・グリュー :福岡雄大/レスコー:渡邊峻郁ムッシューG.M.:中家正博/レスコーの恋人:寺田亜沙子/物乞いのリーダー:速水渉悟 @新国立劇場オペラハウス

29日(土)14:00 新国立劇場バレエ団『マノン』[主要キャスト]マノン:米沢 唯/デ・グリュー:井澤 駿/レスコー:木下嘉人ムッシューG.M.:中家正博/レスコーの恋人:木村優里/物乞いのリーダー:井澤 諒 @新国立劇場オペラハウス ←中止の理由は新型コロナウィルスの感染拡大を防止するため。デ・グリュー役が井澤駿に変われば、米沢唯は、ムンタギロフ相手とはまた違ったマノンを生きたはず。井澤はカンパニーで最もデ・グリューに合っていただけに大変残念だ。全幕は当分無理だろうが、近いうちにガラか何かで二人が出会いや沼地のパ・ド・ドゥを踊るのをぜひ見てみたい。

1月のフィールドワーク予定 2020/一年を振り返る【再追記】

2019年もあとわずか。この一年間、オペラ、バレエ(ダンス)、演劇にクラシックコンサートを含めた劇場文化(芸術)をフィールドワークしてきたが、公演数は117。例年と大差ない。ただ、バレエが少し減り演劇が増えている。ここで簡単に一年を振り返りたい。観客(聴衆)としての評価基準は極めてシンプル。チケットを買って再度見(聴き)たいかどうかだ。新国立劇場の公演は、オペラ・バレエ・演劇のいずれも全演目を見ている。まずはこの三部門について簡単に。

オペラでは大野和士が芸術監督になり、力のある日本人歌手が主役級に抜擢されるようになった。これは大変よかったと思う。舞台は客席と地続きであるべきだ(〝地続き文化〟についてはこちら)。ただ、昨年の《フィデリオ》に匹敵する舞台は見出せなかった。

バレエでは、やはり米沢唯。全幕物で舞台を生きるあり方に加え、美しいラインや型(様式)が単発的に求められるガラ公演でも素晴らしい踊りを見せた。『バヤデール』はすでに書いたから、『ロミ&ジュリ』について手短に。米沢は、ジュリエットが自立前の少女から恋愛と苦境を経て成長するありようを踊りで見事に表現した。終幕で自刃する時、乳母と人形で遊ぶシーンから後の生の過程すべてがフラッシュバックするかのよう。ロミオの渡邊峻郁もバルコニーシーンの踊りなど目を見張った。速水渉悟の天真爛漫なベンボーリオは、軸のぶれない回転が素晴らしく、これから楽しみ(あとはサポートか)。福岡雄大のティボルトは見応えがありロミオ役よりフィットしていた。

新国立の演劇は、残念ながらもう一度見たいと思う舞台はなし。「こつこつプロジェクト」はよいと思う(西悟志の『リチャード三世』は大変面白かった)。が、全般的に客席の身体まで熱が伝わってこない。英米物への偏りも少し気になる。オリジナルは別としても、チェーホフギリシャ悲劇まで英米の翻案を使う必要があるのだろうか。

音楽では、鈴木雅明 率いるBCJベートーヴェン 第九、特に合唱は新鮮な驚きだった。上岡敏之新日本フィルが中高生の演劇とコラボしたバレエ音楽『ロミオとジュリエット』佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団はどちらもブログに書いたが、特筆すべきコンサート。

2020年は4月から今より自分の時間がとれる見込みだ。その分ブログの更新を増やしたいが、果たしてそうなるかどうか。

【8日(水)岡﨑乾二郎監修「坂田一男 捲土重来」展東京ステーションギャラリー←追記

10日(金)19:00  劇団俳優座 No.340『雉はじめて鳴く』作:横山拓也(iaku) /演出:眞鍋卓嗣/美術:杉山 至/照明:桜井真澄(株式会社 東京舞台照明)/効果:木内拓(株式会社 音映)/衣裳:樋口 藍(アトリエ藍)/舞台監督:関裕麻/出演:天野 眞由美 山下 裕子 河内 浩 塩山 誠司 清水 直子 若井なおみ 保 亜美 宮川 崇 深堀 啓太朗 後藤 佑里奈 八頭司 悠友 @俳優座劇場

11日(土)14:00 新国立劇場バレエ「ニューイヤー・バレエ」『セレナーデ』振付:ジョージ・バランシン 音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」ハ長調  出演:寺田亜沙子、柴山紗帆、細田千晶、井澤 駿、中家正博/『ライモンダ』よりパ・ド・ドゥ 振付:マリウス・プティパ 音楽:アレクサンドル・グラズノフ  改訂振付・演出:牧 阿佐美 出演:小野絢子、福岡雄大『海賊』よりパ・ド・ドゥ 振付:マリウス・プティパ 音楽:リッカルド・ドリーゴ  出演:木村優里、速水渉悟/『DGV Danse à Grande Vitesse』振付:クリストファー・ウィールドン 音楽:マイケル・ナイマン「MGV(超高速音楽)」 美術・衣裳:ジャン=マルク・ピュイサン 照明:ジェニファー・ティプトン 出演:小野絢子、福岡雄大、本島美和、米沢 唯、寺田亜沙子、渡邊峻郁、木下嘉人、中家正博//指揮:マーティン・イエイツ/管弦楽:東京交響楽団新国立劇場オペラハウス

【12日(日)18:15-20:40 映画『パラサイト 半地下の家族』監督:ポン・ジュノ/製作:クァク・シネ ムン・ヤングォン チャン・ヨンファン/脚本:ポン・ジュノ ハン・ジヌォン/撮影:ホン・ギョンピョ/美術:イ・ハジュン/衣装:チェ・セヨン/編集:ン・ジンモ/音楽:チョン・ジェイル/[キャスト]キム・ギテク:ソン・ガンホ/パク・ドンイク:イ・ソンギュン/パク・ヨンギョ:チョ・ヨジョン/キム・ギウ:チェ・ウシク/キム・ギジョン:パク・ソダム/ムングァン:イ・ジョンウン/キム・チュンスク:チャン・ヘジン/パク・ダヘ:チョン・ジソ/パク・ダソン:チョン・ヒョンジュン/ミニョク:パク・ソジュン @イオンシネマ板橋】←追記

13日(月)14:00 新国立劇場バレエ「ニューイヤー・バレエ」『セレナーデ』出演:同上/『ライモンダ』よりパ・ド・ドゥ  出演:米沢 唯、渡邊峻郁/『海賊』よりパ・ド・ドゥ 出演:同上/『DGV Danse à Grande Vitesse』出演:同上 @新国立劇場オペラハウス

【17日(金)14:00  劇団俳優座 No.340『雉はじめて鳴く』作:横山拓也(iaku) /演出:眞鍋卓嗣/美術:杉山 至 @俳優座劇場】←追記

17日(金)19:15 新日本フィル #615 定演 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉シューベルト交響曲第6番 ハ長調 D589/ヴェルディ:歌劇『ドン・カルロ』より「王妃の舞踏会」/メンデルスゾーン交響曲第4番 イ長調 op. 90 「イタリア」指揮:上岡敏之すみだトリフォニーホール

24日(金)18:30 新国立劇場オペラ《ラ・ボエーム》全4幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉作曲:ジャコモ・プッチーニ指揮:パオロ・カリニャーニ/演出:粟國 淳/美術:パスクアーレ・グロッシ/衣装:アレッサンドロ・チャンマルーギ/照明:笠原俊幸/ミミ:ニーノ・マチャイゼロド/ルフォ:マッテオ・リッピ/マルチェッロ:マリオ・カッシ/ムゼッタ:辻井亜季穂/ショナール:森口賢二/コッリーネ:松位 浩/ベノア:鹿野由之/アルチンドロ:晴 雅彦/パルピニョール:寺田宗永/管弦楽:東京交響楽団/合唱:新国立劇場合唱団 @新国立劇場オペラハウス

25日(土)14:00 開館65周年記念  川端康成生誕120周年記念作品 室内オペラ《サイレンス》(フランス語上演/日本語字幕付)日本初演/原作 : 川端康成「無言」/作曲・指揮:アレクサンドル・デスプラ/台本:アレクサンドル・デスプラ/ソルレイ/演出・映像:ソルレイ/美術・照明:エリック・ソワイエ/衣装:ピエールパオロ・ピッチョーリ/演奏:アンサンブル・ルシリン/出演:ジュディス・ファー(ソプラノ)、ロマン・ボックラー(バリトン)、ローラン・ストッカー(コメディーフランセーズ/語り) @神奈川県立音楽堂

【29日(水)18:25 映画『風の電話』監督:諏訪敦彦/脚本:狗飼恭子 諏訪敦彦/撮影:灰原隆裕/照明:舟橋正生/編集:佐藤崇/音楽:世武裕子/助監督:是安祐/出演:モトーラ世理奈(ハル)西島秀俊(森尾)、西田敏行(今田)、三浦友和(公平)、渡辺真起子(広子)、山本未來占部房子池津祥子石橋けい、篠原篤、別府康子 @イオンシネマ板橋】←再追記

12月のフィールドワーク予定 2019

遅ればせながら、終了した公演も含めた今年最後のフィールドワーク予定を記す。 

 1日(日)14:00 中村恩恵×新国立劇場バレエ団『ベートーヴェンソナタ振付:中村恩恵/音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/照明:足立 恒/美術:瀬山葉子/衣裳:山田いずみ/音楽監修・編曲:野澤美香/音響:内田 誠[キャスト]ベートーヴェン:福岡雄大ジュリエッタ:米沢 唯/アントニエ:小野絢子/カール:井澤 駿/ヨハンナ:本島美和/ルートヴィヒ:首藤康之//池田理沙子、井澤 諒、貝川鐵夫、 木村優里、寺田亜沙子、 福田圭吾、渡邊峻郁、奥田花純 、 木下嘉人、五月女 遥/宇賀大将、 小野寺 雄、清水裕三郎、 髙橋一輝、玉井るい、中田実里、 福田紘也、 益田裕子、関 晶帆、 中島瑞生、 渡邊拓朗 @新国立中劇場

3日(火)13:40 映画『i-新聞記者ドキュメント-』監督:森 達也/出演:望月衣塑子/企画・製作・エクゼクティヴプロデューサー:河村光庸/監督補:小松原茂幸 編集:鈴尾啓太 音楽:MARTIN (OAU/JOHNSONS MOTORCAR)「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会@イオンシネマ板橋

6日(金)19:15 新日本フィル#614 定演 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉ストラヴィンスキー:室内オーケストラのための協奏曲 変ホ長調ダンバートンオークス」/ヘンデル:合奏協奏曲 ト長調 op. 6-1 HWV 319/ヘンデル:オルガン協奏曲第1番 ト短調 op. 4-1, HWV 289*/コレッリ:合奏協奏曲 ト短調 「クリスマス協奏曲」 op. 6-8 /ストラヴィンスキー組曲「プルチネッラ」/指揮:デイヴィッド・ロバートソン/オルガン:水野 均* @すみだトリフォニーホール

7日(土)15:00 新国立劇場 演劇『タージマハルの衛兵』作:ラジヴ・ジョセフ/翻訳:小田島創志/演出:小川絵梨子/美術:二村周作/照明:松本大介/音響:加藤 温/衣裳:原まさみ/演出助手:西 祐子/舞台監督:福本伸生/出演:成河 亀田佳明 @新国立小劇場

8日(日)13:30 『泰山木の木の下で』作:小山祐士/演出:丹野郁弓/装置:石井みつる/照明:前田照夫/衣裳:緒方規矩子/音楽:斎藤一郎/編曲:淡谷幹彦/効果:岩田直行/舞台監督:風間拓洋/[キャスト]木下刑事:塩田泰久/神部ハナ:日色ともゑ/須崎刑事:吉田正朗/小使:松田史朗/マリという女:八木橋里紗/出前持ちの青年:大中耀洋/髪を垂らした女:桜井明美/磯部の奥さん:神保有輝美/田舎ふうの紳士:横島 亘/若い船員:平野 尚/漁師の女房:船坂博子/医者:天津民生/看護婦:佐々木郁美/歌を唄う男:千葉茂則/ギターを弾く男:淡谷幹彦(客演)@三越劇場

12日(木)14:00 『常盤坊海尊』作:秋元松代/演出:長塚圭史/音楽:田中知之(FPM)/美術:堀尾幸男/照明:齋藤茂男/音響:徳久礼子/扮装:柘植伊佐夫/ムーブメント:平原慎太郎/琵琶指導:友吉鶴心/方言指導:佐藤 誠/演出助手:城野 健 /舞台監督:足立充章・横沢紅太郎/プロダクション・マネージャー:安田武司/技術監督:堀内真人/制作:尾崎裕子/プロデューサー:勝 優紀/制作統括:横山 歩/出演:白石加代子 中村ゆり 平埜生成 尾上寛之 長谷川朝晴 高木 稟 大石継太 明星真由美 弘中麻紀 藤田秀世 金井良信  佐藤真弓 佐藤 誠 柴 一平 浜田純平 深澤 嵐 大森博史 平原慎太郎 真那胡敬二 [子役]山崎雄大 白石昂太郎 室町匠利 木村海翔 藤戸野絵 @KAAT 神奈川芸術劇場 ホール

14日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』音楽:チャイコフスキー/振付:ウェイン・イーグリング/美術:川口直次/衣裳:前田文子/照明:沢田祐治/主演:米沢 唯(クララ)井澤 駿(王子)/指揮:アレクセイ・バクラン/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/合唱:東京少年少女合唱隊新国立劇場オペラハウス

14日(土)18:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』/主演:小野絢子(クララ)福岡雄大(王子)新国立劇場オペラハウス

15日(日)18:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』/主演:米沢 唯(クララ)井澤 駿(王子)新国立劇場オペラハウス

21日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』/主演:池田理沙子(クララ)奥村康祐(王子)新国立劇場オペラハウス

21日(土)18:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』/主演:木村優里(クララ)渡邊峻郁(王子)新国立劇場オペラハウス