プレシャス・ストーン〈新日本フィル特典コンサート〉2019

会員が招待される「特典コンサート」を今年も聴いてきた(3月18日 19:00/すみだトリフォニーホール)。

昨年は音楽監督上岡敏之によるピアノソロだったが、今回は若手団員と上岡との室内楽。客席はかなり埋まっていた。以下ごく簡単にメモする。

グリエール:プレリュードとスケルツォ op.32(1908)

グリエールインテルメッツォとタランテラ op.9(1902)

コントラバス:藤井将矢 ピアノ:上岡敏之

プログラムに楽曲の説明は一切ない(無料だから仕方ない)が、グリエール(1875-1956)はキエフ生まれの作曲家らしい。弦バスのふくよかな音色が心地よい。奏者はかなり若そうでこれから楽しみ。カーテンコールで大きな楽器を持ったまま出入りするのは大変そう。

ブラームス(1833-97):クラリネットソナタヘ短調 op.120-1

クラリネット:中舘荘志 ピアノ:上岡敏之

 ここで、コントラバスの伴奏時は閉じていたピアノの屋根が開けられる。なるほど、クラリネットは弦バスと比べ、かなり大きな音がする。奏者の技術はたしかだが、途中で少し睡魔が。

ブラームスクラリネットソナタ変ホ長調 op.120-2

クラリネット:マルコス・ペレス・ミランダ ピアノ:上岡敏之 

ペレスのクラリネットは圧倒的。この曲をどう演奏したいか明確なヴィジョンを持っている。上岡のピアノにただ合わせるというより、拮抗し、ときにはけしかけることも厭わない。なぜなら、そういう対話こそ音楽創りに欠かせないから。そういわんばかりだった。結果、きわめて強度の高い音楽芸術が現出した。ペレスの〝気〟は半端ではない。ソロイストの力量と風格を感じた。(彼はスペイン人だったのか。たしか2012年に亡くなったオーボエ奏者のホアン=マヌエル・ルンブレラスもそうだった。)

ここで20分休憩。

J.ダドウル:スノーブラインド

パーカッション:腰野真那 ピアノ:上岡敏之

作曲者は1972生まれのイギリス人。Duddellの表記はあれでよいのか(ダドゥル/ダッデル?)。コリン・カリー(以前ライヒのコンサートで聴いた)のために作曲され2002年初演。弦楽オケのパートを今回はピアノで。本来は「雪盲」のタイトル通り目がくらむような音響やリズムを楽しむ曲か。が、若い奏者の律動感やメリハリは少し甘め。パーカッションは、もっとダンサーのような身体性と〝気〟があってもよい。

奏者をあえて主席でなく、若い副主席や団員から選んでいた。彼女/彼らにこうした機会を与えるのは動機付けを高めるうえで重要ですね。来年も楽しみにしています。

 

日本・ハンガリー国交樹立150周年記念『くちづけ〜現代音楽と能』

『くちづけ〜現代音楽と能』(3月9日 16:00/東京文化会館 小ホール)を聞い/観た。簡単にメモする。

能:青木涼子[ce]

フルート:斎藤和志[abe]

バスクラリネット:山根孝司[abce]

クラリネットバスクラリネット:コハーン・イシュトヴァーン[bce]

ヴァイオリン:横島礼理[ae]

チェロ:多井智紀[abe]

打楽器:神田佳子[abcde] 

演出:(Harakiri/くちづけ)平田オリザ

東京文化会館 舞台芸術創造事業

 中堀海都(1989- )の「二つの異なる絵」[a] (委嘱作品/世界初演)は、森や海など自然のざわめきを感じさせる曲。編成はフルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、打楽器各種。奏法が間欠的でいかにも現代音楽。

バログ・マーティー(1990- )の「名所江戸百景」[b](委嘱作品/世界初演)は、12のゴングを含む低音(バスフルート、バスクラリネット2、チェロ)のみの曲。現代音楽でも普通に音を出して構わない。典型から自由。低音のオスティナートが心地よい。なにしろ鼾が聞こえたぐらいだ。

休憩後の後半冒頭はエトヴェシュ・ペーテルの「Harakiri」[c](1973)。本作はコンポージアム2014「ペーテル・エトヴェシュの室内楽」で初めて聞いた(東京オペラシティ リサイタルホール)。その時の走り書き——《ゆったりとした時間の創出。青木は最初普通の語り方から入るが、次第に濃密な謡の節に変わる。聞いていて気持ちが好い。打楽器奏者(竹島悟史)は様々な拍子木を使い分けるが、このアクセントが効いている。二つのバスクラ(山根孝司 他)は深々とした呼吸から世界を創り出す・・・》(クラリネットの山根氏をはじめ、五年前もフルートとチェロは同じ奏者)。今回はどうか。

バスクラは左右離れた椅子に対面して座り、打楽器(拍子木、木板)はカミテ後方やや中央寄りに位置する。シモテから紋付袴の青木涼子が摺り足で登場し、中央で正面を向き語り始める。始めは客電が点いたまま。平田演劇ではお馴染みの〝ゼロ場〟か。やがて客席が暗くなる。二人のバスクラが持続音でやりとりするなか、時おり打楽器が金槌で木板を打ちつける。青木は詩のテキストを日本語で朗唱する。詩はハンガリーの詩人イシュトヴァーン・バーリントが三島由紀夫の割腹自殺と、アンデルセン童話『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』を重ねて創作したもの(シンゴ・ヨシダ訳)。青木は普通の語り口、謡、(謡から)裏声、と三通りにうたい分ける(五年前は裏声の記憶がない)。青木は朗唱の後半からゆっくりと後ずさりし、退場する。その後、バスクラは互いに高音でコブシをきかせるような音型を奏するが、尺八ならぬサキソフォンに聞こえた。やがて拍子木が打たれて終曲となる。五年前の公演後半、たしか青木が舞を舞ったように思うが、今回それはない。その分、少し面白みが減った印象。だが、一方で音楽の強度は増したのかも知れない。

細川俊夫の「打楽器のための線Ⅳ」[d](1993)は大変面白かった。神田佳子がバスドラム、コンガ2、ボンゴ2、シンバル(小)を使い、自在な打法(奏法)でひとつの世界を創り出した。大きく腕を振り上げて素手でボンゴを打ち下ろす。それを何度か続けた後、打ち下ろすと思いきや、寸止めのフェイントで聞き手の裏をかく。思わず笑みがこぼれた。ただ叩くだけではなく、小さな器具(?)や唾をつけた指で皮の表面を擦ったり等々。作者同様、作品にも独特のユーモアがある。

最後はエトヴェシュの「くちづけ」[e](国際共同委嘱作品/日本初演)。青木涼子の依頼により作曲された本作は、アレッサンドロ・バリッコの小説『絹』(1996)の一場面を描いたもの。

絹の秘密を守っている日本人男性との商談でエルヴェ(ジョンクール)は初めてその若い女性に出会う。男性の膝枕で横たわる女性。会話の中でエルヴェと女性の目が会い、女性の目の形が東洋人のものでないことに驚く。当惑したエルヴェは茶を一口飲むと、女性はその茶器を取り、エルヴェが口を付けたところから茶を飲み、静かに茶器を置く。エルヴェは再び茶器を手に取り、茶を飲み干す。二人は二度と会うことはない。(ファゼカシュ・ゲルゲイ/中原薫訳)

公演前に『絹』(鈴木昭裕訳)を読んでみたが、小説というより散文詩のような趣き。たとえば主人公のフランス人が「世界の果て」日本へ何十日もかけて旅するくだりが、その都度、リピートされる。まるで音楽みたいだ。実際バリッコは音楽学者でもあり、本作を「白い音楽」と呼んでいる。

編成はアルトフルート、クラリネットバスクラリネット、ヴァイオリン、チェロ、打楽器(グロッケンシュピール、クロタル、ヴィブラフォン、トライアングル3、シズルシンバル、銅鑼、バスドラム、ウィンドチャイム)。「白」装束(衣裳:江角泰俊)の青木は、この間接的な「くちづけ」場面を日本語で朗唱(ナレーション)する(日本語台本は平田オリザ)。朗唱は「Harakiri」同様、三通りにうたい分けられた。楽器の種類が増えた分、多彩な音色が得られたはずだが、なぜか音楽をほとんど覚えていない。「白い音楽」だからそれでよいのか。ただし、正面奥のバスドラムは印象的だった。ドラムの皮に赤いテープが貼られ、その部分を撥で叩いた後、奏者はその上から別のテープを十字に貼り付ける。やがて奏者は終曲近くでそのテープを剥がすと、鈍い音がした。この赤い十字テープは、茶器に残ったキスマークなのだろう。あの鈍い音は何を表すのか?

公演にエトヴェシュ自身の姿は見えなかった。本人が来日すれば、また違った演奏(上演)になったかも知れない。五年前の「室内楽」は、「ペーテル・エトヴェシュの音楽」(コンサートホール:タケミツ メモリアル)同様、どの楽曲もきわめてシアトリカルだった。特に前者での「三つのクラリネットのための僧侶の踊り」(1993/2001)や後者の「スピーキング・ドラム〜パーカッションとオーケストラのための4つの詩」(2012/13)には惹きつけられた記憶がある。今後こうした企画がもっと増えるといいのだが・・・。

新国立劇場バレエ『ラ・バヤデール』2019 ゲネプロ&初日/振付の変更

『ラ・バヤデール』のゲネプロと初日を観た(3月1日,2日 14:00/新国立劇場オペラハウス)。

ゲネプロは、4年前の前回公演同様、アトレ会員の特典。ゲネプロ後に本公演を体験すると、観客が舞台芸術を完結させる上でいかに必要不可欠かよく分かる(竹内敏晴の〝舞台上演≒陶器製作〟説参照)。幕間の「オーケストラ返し稽古」で指揮者のバクランがかなり細かい指示を出す。第2幕後は部分的に弦楽器のみや木管のみで奏させるなど、リハーサルはかなり入念だった。が、今回は振付で気になることが。

第2幕 ガムザッティとソロルの婚約披露宴で、ニキヤが花籠を手に踊るアップテンポの音楽が踊り共々なかったのだ。見逃した? まさか。あれはいつも楽しみなのでそれはないはず。念のため隣席に確かめたら、丁度その話をしていたと。翌日の初日でも、あの場面は別の緩やかな音楽と踊りの後、そのまま毒蛇のシーンがきた。

牧版の初演は2000年11月。初日はアントニーチェワ(ニキヤ)、アコスタ(ソロル)、田中祐子(ガムザッティ)の配役で見たが、あの花籠踊りがあったかどうか覚えていない。とはいえ、その後の再演で何度も主演したザハロワがあの踊りを狂ったように踊っていた。それは脳裏に焼き付いている。

牧版は、1980年 マカロワがABTに振り付けた版(ランチベリー編曲)に基づくが、後者こそ、アップテンポの花籠踊りを改変(?)した淵源らしい。要するに、牧版では花籠の踊りもマカロワ版に倣い例の踊りは入れ替えた。が、2003年の再演以降マリインスキーからザハロワが客演したため、ロシアで一般的なアップテンポの踊りに戻し、それが前回の2015年まで踏襲された。たぶんそう。英国ロイヤルもマカロワ版だから、この花籠踊りは不在のはず。だが、ややこしいことに1991年の映像ではキーロフ(マリインスキー)からアスィルムラートワが客演したためアップテンポの花籠を踊っている(ソロル:ムハメドフ、ガムザッティ:バッセル、ブロンズアイドル:熊川哲也)。

マカロワはなぜあの踊りを“変えた”のだろう。花籠はソロルからの贈り物と知ったニキヤは、前半ではヴァイオリンソロの叙情的な音楽でソロルに向けてゆったり踊る。後半は一変してアップテンポになり正面を向いて快活に踊る。ここで拍手やbravaがきて、直後に籠の毒蛇に咬まれて死ぬ。この流れを、というか流れが切れるのを不自然と見なしたのか。

それにしても、なぜ芸術監督はこのタイミングで初演(牧版)の踊りに戻したのだろう。今回同様、ニキヤがすべて自前の4年前も出来たはずだが。いずれにせよ、あの踊りが見られないのは個人的には少し残念。

このプロダクションは美術セットと衣裳が素晴らしい。近年、『眠り』や『くるみ』で冴えないセットを見なれた眼には特にそう感じる。場面転換などは詩的ですらある。オケは前回と同じ東響。総じてよい。特にオーボエ。・・・続きは楽日を見てから。

 

BCJ 定演 #131〈祈りのカンタータ〉/二つの震災を想起して【追記】

近年 BCJ の演奏には何度も心が動かされた。しかも強く。定演での受難曲やモーツァルトの《レクイエム》以外でも、ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》(2017.2)、モンテヴェルディ聖母マリアの夕べの祈り》(2017.9)、ベートーヴェン《第九》(2019.1)等々。が、なぜか感想をアップしていない。走り書きはあるが、まとめず仕舞い。だから今回は久し振り。どうも震災や死者に関わる舞台だとアップへの動機が強まるらしい。

BCJの定演を聴いた(3月3日 15:00/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル)。

今月の定演〈祈りのカンタータ〉は、1995年1月の阪神淡路大震災および2011年3月の東日本大震災で犠牲となった人々に祈りを捧げ、来月の《マタイ受難曲》へと繋ぐ演奏会らしい。

冒頭の鈴木優人によるオルガン演奏は J. S. バッハ《ただ愛する神の力に委ねる者は》BWV 690, 691, 647, 642の4曲。特にBWV 642 のコラール旋律には圧倒された。

前半1曲目のカンタータ第150番《御身を、主よ、われは切に慕い求む》はバッハが22歳頃の作品。ブラームスが例の交響曲第4番フィナーレに取り入れたのは、第7曲「チャッコーナ」(シャコンヌ)の通奏低音だった。が、そう思って聴いてもあまりよく分からず(四つのシンフォニーでは4番が最も好きなのに)。

前半2曲目のカンタータ第12番《泣き、嘆き、憂い、怯え》は29歳頃の作でオーボエソロ(三宮正満)が大活躍。本作で多用された旋律の上昇(アナバシス)と下降(カタバシス)の意味については、鈴木雅明氏が巻頭言で詳しく分析している。いつもながら充実した文章。

休憩後はカンタータ第21番《わが心に 数多の思い煩い満ちたり》第3稿。第3曲のハナ・プラシコヴァ(ソプラノ)によるアリアは聞き応えがあった。彼女を初めて聞いたのは十数年前か。以来、来日を楽しみにしてきた。昨年11月《クリスマス・オラトリオ》で久し振りに聞くと、年齢からか少し高音がきつくなった印象も。今回は声がやや太くなったが、相変わらず清澄で美しい歌唱。第5曲のアリアでは、テノール(ユリウス・プファイファー)が「落つる辛き涙の河、/轟く激流となりて絶えず流るる」と歌う。このときヴァイオリン群は、歌詞の通り、身体を大きく揺らしながら激流のような音型を奏した。「嵐と大波にわれは苛まれ、/幾多の苦難を堪うる この海は/われより魂と生命の力を奪わんとす、/帆柱と錨も今まさに砕けんとし、/ここにわれ 水底まで沈み行き、/かしこには 口を開けし陰府の深淵が見ゆ」(藤原一弘訳、プログラム)。津波や水害のことが思わず頭に浮かんだジェシカ・ラング新国立劇場バレエ団に振り付けた『暗やみから解き放たれて』(2014)のことも】

第二部の第7曲からソプラノ(魂)とバス(イエス)の対話が続く。艶っぽいプラシコヴァと厳かだが温かみのある加耒徹(バス)の遣り取りは、ユーモラスでとても魅力的。恋する男女の対話にも聞こえる。第9曲では、コンチェルティスト(ソロイスト)が交互に歌うなか合唱がコラールを朗々と斉唱していく。この旋律は、冒頭のオルガン演奏を見事に想起させる。素晴らしいプログラミング(第二部の歌詞も引用したいが、プログラムの文語訳は名文すぎて意味がすぐに飲み込めない。特に魂とイエスの対話は口語訳ならいっそう楽しめるはずだが・・・)。

合唱はいつも通り素晴らしい。ロビン・ブレイズの明るく清潔なカウンターテナーは大好きだが、数年前から衰えを隠せない。幾分持ち直した時期もあったが、響きや声量の低下は致し方ないのかも知れない(特にこの音域は)。テノールゲルト・テュルクもそうだった。時間の中で生きる存在は永遠ではないのだ。

新国立劇場 演劇研修所 第12期生修了公演『るつぼ』2019

修了公演『るつぼ』を観た(2月12日 18:30/新国立小劇場)。遅ればせながら感想メモをアップする。

この演目は正直シンドイので見るつもりはなかったが、知人から出演の知らせが入り行くことに。見てよかった。7年前の本公演も演出は同じ宮田慶子。その時より納得できる部分もあった。すでにできあがった俳優より、研修生の方が演出家はなにかと言いやすく、若い役者もそれを素直に受け入れるからか(栗山民也演出の『マニラ瑞穂記』もそうだったが『アンチゴーヌ』は例外)。

ジョン・プロクター役の河合隆汰と妻エリザベスの永井茉梨奈の対話には引き込まれた。まずは第2幕第1場、プロクター家のシーン。かつての使用人アビゲイルとプロクターの一件(不倫)が喉に刺さったまま、夫婦の寒々としたやりとりが続く。秀逸だった。

第4幕、牢獄での二人の対話で奇妙な体験をした。処刑の刻限が近づき、プロクターは決断(沈黙を守り絞首刑となるか、悪魔に会ったという嘘の告白で生き延びるか)を迫られるなか、エリザベスは夫にすがりつき、次のようにいう。「自分の信じるようにして。誰にも裁かせちゃだめ。この世には、プロクター以上に崇高な[higher]裁判官はいないのよ! 許して、許して、ジョン——この世界にこういう気高さ[goodness]があるなんて、知らなかったの!」 自己と他者との境界を決して見失わないエリザベス。日本ではとても考えられない。すごいと思う反面、冷たいとも。それでも、本公演より二人の距離が近いとも感じた。奇妙な体験とは、この goodness が、なぜか私には「気高さ」と聞こえたのだ。が、 水谷八也訳では「(まっとうな)人間らしさ」となっている。「まっとうな人間」? この訳語がいまひとつピンとこないために、あるいは「崇高な」という言葉に引っ張られて「気高さ」と聞き違えたのか。たしかに goodness の翻訳は難しいが、「人間らしさ」はどうなのか。もちろんgoodに「気高い」という意味はないし、それを提案するつもりも毛頭ないが・・・。

役の設定年齢と役者の実年齢に差がある場合、老人の声や動きを「作る」のはある程度やむをえまい。「役作り」というぐらいだし。重要なのは「作った役」を生きられるかどうかである。今回、老け役に関して若い役者たちにアドバイスはあったのだろうか。72歳のレベッカ・ナースを演じた女優(林真菜美)は、あまり老人性を作っていないように見えた。それでも、いよいよ絞首台へと赴くとき倒れそうになるレベッカをとっさにプロクターが抱きかかえる。レベッカ曰く「朝食を取ってないのよ」。最期までユーモアを失わない彼女の気丈さが見事に生きられていた。ああいうやり方もあると思う。一方で、ジャイルズ・コーリィ役(今井聡 第4期)は大変だっただろう。何しろ83歳の役だから。

 竹内敏晴によれば、俳優の演技/行動(action/acting)は「観客のからだにとどき、観客のからだに、あるふるえを起こし反応させるとき、初めて成り立つ」という。また、劇の上演は、絵を展覧会場に並べることで成立する美術とは異なり、むしろ陶器の製作に似ていると。

形を作り、釉をかけ、色をつけ、しかし、それが窯に入れられて火に焼かれたとき、どのように変わるか、に一切が賭けられる[……]。劇場は窯です、るつぼです。そこで燃え上がり、変形し、新しく生まれてくるものこそ劇のいのちです。(『劇へ——からだのバイエル』星雲書房、1975年)

 そうだとすれば、たとえ作った声や動きでも、窯(劇場)のなかで燃え上がり、変形し、新しい命が生まれてくるあり方を体得できるなら、OKということだろう。

ただ、83歳の抜け目がなく詮索好きの老人役を若い俳優が「作り上げる」ことと、その役を生き、観客との相互作用から変化しうるあり方を追求することは、矛盾するように思える。つまり、どちらを優先させるか決めなければならない。前者と後者のバランスをどうするか等々。これは、役者自身が考えることか。それとも、演出家が判断すべきなのか。今回どんなアドバイスがあったのか興味深いところである。

他にはジョン・ヘイル牧師の福本鴻介、メアリー・ウォレンの中坂弥樹、ティチューバの小川碧水(第8期)などが印象に残った。ダンフォース副総督役の西原やすあき(第2期)は強度の高い演技で舞台を引き締めた。

プロクターの最後の行動は、要約すれば、虚偽の告白書に記した「署名を晒されるより、絞首刑になる道を選ぶ」 となる。が、舞台を見ると、選んだというより、一瞬一瞬を必死で生きただけ。そう見えた。生きるために嘘の告白書に署名し、その告白書が衆人に晒されるのを知り、それを断固拒絶した。その拒絶が、結果的に、絞首台に上がることを意味した。それだけだ。この行動を言葉で要約すると「死を選択した」ことになる。たしかにそうだが、劇場/演劇では、人間が生きるさまを、その時、その場で、同時に見る【共振する】ことができる。それこそが演劇のよさだと、あらためて感じた。演劇は、なまで見てみなければ何も分からない。

 

2016-03-16 新国立劇場バレエ DANCE to the Future 2016【再掲】

一月にはてなダイアリーからはてなブログへ移行した際、この記事に限り(?)第1部「Immortals」のコメントまでしか公開できていなかった。編集画面にすると記事全体がすべて見えるが、「公開する」をクリックすると見える記事は相変わらず。試行錯誤の末、編集形式を「はてな記法」から「見たまま」に変えて全文を入れ直せばうまく行くことが判明。そこで、記事の日付は変わってしまうが、やむなく丸ごと再掲することにした。本来の日付は2016年3月16日。

「DANCE to the Future 2016」を観た(3月12日 14:00,13日 14:00/新国立中劇場)。
新国立劇場バレエ団の中から振付家を育てるプロジェクト」の4回目(Fourth Steps)。第3部のジェシカ・ラングに委嘱した作品も含め、「ビントレーの遺産」と呼ぶに相応しい公演。が、相変わらず客入りはあまりよくない。残念。
初日は1階中央から、二日目(楽日)は2階3列目のやや左から見た。ピットや前の座席は取り払われ、ステージは客席の最前列と同じ地平。

第1部・第2部
NBJ Choreographic Group 作品
照明:鈴木武
音響:河原田健児
アドヴァイザー:平山素子

第1部

「Immortals」
振付:高橋一輝
音楽:ヴィヴァルディ/M.リヒター
出演:盆子原美奈、中島駿野、林田翔平、奥田祥智、佐野和輝、八木 進、吉岡慈夢

 盆子原美奈のソロから始まる。男6人、女1人。ヴィヴァルディの『四季』を紗幕越しに聴くような編曲。ネオクラシカルというのか、踊りも構成もオーソドックスだが、盆子原の魅力が十二分に引き出される。高橋のミューズなのか。二日目も盆子原の美しい肢体が脳裏に焼き付いた。

「Fun to Dance〜日常から飛び出すダンサー達〜」
振付:小口邦明
音楽:M.グレコ
出演:小口邦明、若生 愛、宇賀大将、小野寺 雄、フルフォード佳林、益田裕子

レッスン音楽とは思えないほどゴージャスなピアノ曲に合わせて、バーレッスンのシーンから様々なダンスが繰り広げられる。ダンサーたちのコスチューム同様、カラフルな印象。短パンの小野寺雄と小口邦明のデュエットは動きに工夫があり面白かった。たしかに踊る喜び(Fun to Dance)は伝わってきた。二日目はさらによく見えた。笑いもはまったし、何よりみな実に楽しげに踊っていた。

「Disconnect」
振付:宝満直也
音楽:M.リヒター
出演:五月女 遥、宝満直也

ピアノから弦楽へ。「シンドラーのリスト」に似たメランコリックな音楽。暗闇のなか、男女の「繋がれない」あり方がダンスとして模索される。本格的な作品への志向。五月女遥は相変わらずすごい切れ味。
休憩20分
第2部

「如月」
振付:原田有希
音楽:D.ヒース
出演:五月女 遥、玉井るい、柴田知世、原田有希、盆子原美奈、益田裕子、山田歌子

女声で始まり、「春の祭典」の暴力性を抑えたような音楽が続く。思いこみの強さは個性か。ダンサーの魅力を引き出すのではなく、自分の観念をダンス化するために、駒として扱う。

「Giselle」
振付:米沢 唯
音楽:A.アダン
出演:小野絢子(12日)/米沢 唯(13日)

下手奥から少女が駆け込んでくる。初め小野絢子だと分からなかった。頭と背中に大きな赤いリボンを付け、ストライプの胴衣にチュチュに裸足。両手で両足首を掴み、股ぐらからこちら(観客席)をのぞき込み、舞台奥へどんどん歩いていく。無邪気に。ここで拍手が。やがて、真顔で客席の方へ駆け寄り何かを捜し始める。こんどは中央へ。そしてさよならの仕草。断念。女として社会化される以前の、生まれっぱなしの、生の躍動。マッツ・エック? ギエム? 実存的? それはそうだが、そうしたインタータクスチュアリティや言辞以前の、この世に生を享けた少女の生な感触をメタフォリックに造形した結果ではないか。あまりに短いが、始まった瞬間から頬が弛み、注視させられた。創り手にはこれで充分だったのだろう。あれ以上、長く作ると嘘になる? 偽りは微塵もなかった。二日目は創った本人が踊る。前日の小野とはまったく異なる印象。あまりに生々しいため、笑えない。頬も緩まない。走り込んできた後、横転し、口から何かを吐き出すような仕草・・・。そして、両手で両足を掴んだまま奥へ歩いていく。これは米沢唯の半生か。客席まで上がってきて何かを探し、中央奥へ戻って、さよならをする。何を探し、何にさよならをしたのか。自分自身? 分からないが、何か尋常ならざるものを、〝真実〟を見た感じ。

「カンパネラ」
振付:貝川鐵夫
音楽:F.リスト
出演:宇賀大将(12日)/貝川鐵夫(13日)

初日はリストの音楽を聴きながら「Giselle」の余韻に浸ってしまった。二日目は、見入った。下は袴のようなパンツに上半身裸。上半身の鋭い造形。白鳥のよう。こんな貝川鐵夫は初めて見た。涙が出た。素晴らしい。

「beyond the limits of ...」
振付:福田圭吾
音楽:トミー フォー セブン
出演:奥村康祐、寺田亜沙子、奥田花純、堀口 純、木下嘉人、玉井るい、林田翔平、原 健太

ハードな音楽。照明も普通に効果的。黒っぽいタイツに十字型のシルバーライン。例によってプロっぽい作品。いいと思う。福田圭吾は使える作品を普通に創ることができる。
休憩25分
第3部

「暗やみから解き放たれて」Escaping the Weight of Darkness
初演:2014年3月18日 新国立中劇場
振付:ジェシカ・ラング
音楽:O.アルナルズ/N.フラーム/J.クレイマー/J.メトカーフ
装置:ジェシカ・ラング(モロ制作会社ステファニー・フォーサイス、トッド・マックアレンのデザインによる裝置使用)
照明:ニコール・ピアース
衣裳:山田いずみ
出演:小野絢子、福岡雄大、八幡顕光、米沢 唯、奥村康祐、貝川鐵夫、福田圭吾、奥田花純、五月女 遥、細田千晶、丸尾孝子、川口 藍、広瀬 碧、宝満直也、若生 愛、朝枝尚子、小野寺 雄、原田有希

初演の印象と基本的には変わらない。やはり津波で死にゆく人々のありようを想起した。ただ、ステージが客席の最前列と同じ高さのため、フィクション性が少し薄れた印象。二日目は2階から見たので、難点は解消された。この日は特に貝川がよかった。人々が海底で転がりながらあの世へと、光の世界へと旅立っていく。この世に残した愛する人々への未練から、行きつ戻りつしながら、また、死に赴きながらも、助け合いながら、「暗やみから解き放たれて」いく。ぼんぼりのような宙に浮かぶ灯りがとても美しく、死にゆく人々の魂のよう。涙が出た。ぜひ被災地で上演して欲しい。

3月のフィールドワーク予定 2019/世田谷パブリック 会員特典感の低下【再追記】

1980年にパルコ劇場で見た三島由紀夫の『熱帯樹』は、演出 串田和美、美術 横尾忠則、出演 岸田今日子藤真利子加藤治子等々の顔ぶれで、いま思えば夢のような舞台だった。先般、世田谷パブリックシアターの会報誌『SePT倶楽部』で本作を小川絵梨子が演出すると知り、会員の先行抽選に臨むも落選。二十年近く会員を継続しているが、近年、希望座席が以前より大幅に限定されるなど特典感がかなり低下した。そもそも見たい舞台のチケットが取れないなら、会費を払い続ける意味はない。劇場にはぜひ改善を望みたい。

今月の舞台芸術はバラエティに富んでいる。「くちづけ~現代音楽と能~」ではハンガリーの現代作曲家エトヴェシュ・ペーテルの新・旧作と能のコラボを平田オリザが演出。「Harakiri」を2014年に東京オペラシティのリサイタルホールで聴い/観たとき、ゆったりとした時間性の創出に強い印象を受けた。今回は平田が演出する。どんな舞台が生まれるのか、注目したい。他にも、上岡敏之が率いる新日本フィルの美味しい会員特典コンサート(世田谷パブリックとは大違い)では昨年の上岡のピアノソロに引き続き今回は団員と上岡との室内楽新国立劇場バレエ団による『ラ・バヤデール』の再演、BCJ定演等が並ぶ。月末の「Dance to the Future」では、新国立バレエの元芸術監督デヴィッド・ビントリーが六年前に創始した「ダンサーによる振付作品」の上演を見ることができる。ダンサーたちのImprovisationも併せて、とても楽しみだ。【29日の「Dance to the Future」とアドヴァイザーの中村恩恵を失念していた。】 

 1日(金)14:00 新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』ゲネプロ新国立劇場オペラハウス

2日(土)14:00 新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』音楽:レオン・ミンクス/編曲:ジョン・ランチベリー/振付:マリウス・プティパ/装置・衣裳:アリステア・リヴィングストン/照明:アリステア・リヴィングストン&磯野 睦/ニキヤ: 小野絢子/ソロル:福岡雄大/ガムザッティ:米沢 唯/ハイ・ブラーミン(大僧正):菅野英男/黄金の神像:福田圭吾/ラジャー(王侯):貝川鐵夫/つぼの踊り:柴山紗帆/影の第1ヴァリエーション:寺田亜沙子/影の第2ヴァリエーション:池田理沙子/影の第3ヴァリエーション:木村優里/指揮:アレクセイ・バクラン/管弦楽:東京交響楽団 @新国立劇場オペラハウス

3日(日)15:00 BCJ #131 定演〈祈りのカンタータ〉J. S. バッハ《泣くこと、嘆くこと、案ずること、怯えること》BWV 12/《私の心は思い煩いで一杯でした》BWV 21/《主よ、あなたを私は仰ぎ望みます》BWV 150 他/指揮:鈴木 雅明/ソプラノ:ハナ・ブラシコヴァ/アルト:ロビン・ブレイズテノール:ユリウス・プファイファー/バス:加耒 徹/合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル

6日(水)18:00  青年団 平田オリザ・演劇展 vol. 6『隣にいても一人』A舞台監督:河村竜也/舞台監督補佐:陳彦君 鐘築隼/舞台美術:杉山至/照明:西本彩/音響・字幕:櫻内憧海/衣裳:正金彩/出演:山村崇子 秋山建一 海津忠 林ちゑ @こまばアゴラ劇場

—————— 20:30  平田オリザ・演劇展vol. 6『思い出せない夢のいくつか』出演:兵藤公美 大竹直 藤松祥子 @こまばアゴラ劇場

9日(土)16:00 舞台芸術創造事業 日本・ハンガリー国交樹立150周年記念「くちづけ~現代音楽と能~」中堀海都『二つの異なる絵』(委嘱作品/世界初演)[a]/バログ・マーテー『名所江戸百景』(委嘱作品/世界初演)[b]/エトヴェシュ・ペーテル『Harakiri』[c]/細川俊夫『線VI』[d]/エトヴェシュ・ペーテル『くちづけ』国際共同委嘱作品/日本初演)[e]/能:青木涼子[ce]/フルート:斎藤和志[abe]/バスクラリネット:山根孝司[abce]/クラリネットバスクラリネット:コハーン・イシュトヴァーン[bce]/ヴァイオリン:横島礼理[ae]/チェロ:多井智紀[abe]/打楽器:神田佳子[abcde]/演出:平田オリザ(Harakiri/くちづけ)東京文化会館 小ホール

10日(日)14:00 新国立劇場バレエ団『ラ・バヤデール』ニキヤ:米沢 唯/ソロル:井澤 駿/ガムザッティ:木村優/ハイ・ブラーミン(大僧正):貝川鐵夫/黄金の神像:奥村康祐/ラジャー(王侯):中家正博/つぼの踊り:原田舞子/影の第1ヴァリエーション:五月女 遥/影の第2ヴァリエーション:奥田花純/影の第3ヴァリエーション:細田千晶 @新国立劇場オペラハウス

【13日(水) 19:00 映画『金子文子と朴烈』監督:イ・ジュンイク/脚本:ファン・ソング/キャスト:イ・ジェフン(朴烈)、チェ・ヒソ(金子文子)、キム・インウ(内務大臣 水野錬太郎)、キム・ジュンハン(判事 立松懐清)、山野内 扶(弁護士 布施辰治)、金 守珍(裁判長 牧野菊之助)他 @シアター イメージフォーラム←追記

16日(土)13:00 こつこつプロジェクト―ディベロップメント―リーディング公演『リチャード三世』作:ウィリアム・シェイクスピア/翻訳:松岡和子/演出:西悟志/出演:岡崎さつき 川澄透子 チョウヨンホ 野口俊丞 林田航平 三原玄也 【追加出演:村岡哲至】 @新国立小劇場

—————— 15:30 リーディング公演『あーぶくたった、にいたった』作:別役 実/演出:西沢栄治/出演:龍昇 中原三千代 佐野陽一 浅野令子 @新国立小劇場

—————— 18:00 リーディング公演『スペインの戯曲』作:ヤスミナ・レザ/翻訳:穴澤万里子/演出:大澤 遊/出演:春風ひとみ 塚本幸男 斉藤直樹 宮菜穂子 中村美貴 @新国立小劇場

18日(月)19:00 〈プレシャス・ストーン 新日本フィル 特典コンサート〉ブラームスクラリネットソナタヘ短調クラリネット:中舘荘志)/ブラームスクラリネットソナタ変ホ長調クラリネット:マルコス・ペレス・ミランダ)/グリエール:2つの小品 Op.32コントラバス:藤井将矢)/J.ダドウル:スノーブラインド(パーカッション:腰野真那)ピアノ:上岡敏之すみだトリフォニーホール

19日(火)18:30 新国立劇場オペラ ジュール・マスネ《ウェルテル》全4幕〈フランス語上演/字幕付〉指揮:ポール・ダニエル/演出:ニコラ・ジョエル/美術:エマニュエル・ファーヴル/衣裳:カティア・デュフロ/照明:ヴィニチオ・ケリ/再演演出:菊池裕美子/舞台監督:大仁田雅彦/ウェルテル:サイミール・ピルグ/シャルロット:藤村実穂子/アルベール:黒田 博/ソフィー:幸田浩子/大法官:伊藤貴之/シュミット:糸賀修平/ジョアン:駒田敏章/合唱指揮:三澤洋史/合唱:新国立劇場合唱団/児童合唱:多摩ファミリーシンガーズ/管弦楽:東京交響楽団新国立劇場オペラハウス

22日(金)19:00 新日本フィル 定演 #601 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉モーツァルト交響曲第31番ニ長調K. 297「パリ」K. 297ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調マニャール:交響曲第4番嬰ハ短調 op. 21指揮:上岡敏之ピアノ:クレール=マリ・ル・ゲすみだトリフォニーホール

29日(金)19:00 新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2019」【アドヴァイザー】中村恩恵/第一部ゴルトベルク変奏曲」【振付】髙橋一輝【音楽】J.S.バッハ【出演】奥田花純、宇賀大将、益田裕子、渡邊拓朗/「猫の皿」【振付】福田紘也【出演】福岡雄大、本島美和、福田圭吾、小柴富久修/「Format」【振付】福田紘也【出演】福田紘也//第二部「Danae」【振付】貝川鐵夫【音楽】J.S.バッハ【出演】渡邊峻郁、木村優里/「beyond the limits of...」【振付】福田圭吾(「DANCE to the Future 2016」上演作品)【音楽】Tommy Four Seven【出演】奥村康祐、米沢 唯、寺田亜沙子、奥田花純、木下嘉人、原 健太、宇賀大将、玉井るい/「カンパネラ」【振付】貝川鐵夫(「DANCE to the Future 2016」上演作品)【音楽】F.リスト【出演】福岡雄大//第三部 Improvisation 即興【音楽監修】笠松泰洋【演奏】スガダイロー(pf.)、室屋光一郎(vl.)、伊藤ハルトシ(vc./gt.)【出演予定】貝川鐵夫、福田圭吾、池田理沙子、髙橋一輝 @新国立小劇場

30日(土)14:00  新日本フィル 定演 #602 ジェイド〈サントリーホール・シリーズ〉マーラー交響曲第2番ハ短調「復活」指揮:上岡敏之/ソプラノ:森谷真理/メゾ・ソプラノ:カトリン・ゲーリング/合唱:栗友会合唱団/合唱指揮:栗山文昭 @すみだトリフォニーホ

31日(日)14:00 新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2019」【アドヴァイザー】中村恩恵/第一部ゴルトベルク変奏曲」【振付】髙橋一輝【音楽】J.S.バッハ【出演】奥田花純、宇賀大将、益田裕子、渡邊拓朗/「猫の皿」【振付】福田紘也【出演】福岡雄大、本島美和、福田圭吾、小柴富久修/「Format」【振付】福田紘也【出演】福田紘也//第二部「Danae」【振付】貝川鐵夫【音楽】J.S.バッハ【出演】渡邊峻郁、木村優里/「beyond the limits of...」【振付】福田圭吾(「DANCE to the Future 2016」上演作品)【音楽】Tommy Four Seven【出演】奥村康祐、米沢 唯、寺田亜沙子、奥田花純、木下嘉人、原 健太、宇賀大将、玉井るい/「カンパネラ」【振付】貝川鐵夫(「DANCE to the Future 2016」上演作品)【音楽】F.リスト【出演】貝川鐵夫//第三部 Improvisation 即興【音楽監修】笠松泰洋【演奏】林 正樹(pf.)、佐藤芳明(acc.)、岩川 光(ケーナ)【出演予定】米沢 唯、渡邊峻郁、福田紘也、中島瑞生 @新国立小劇場